22 神託の乙女
グレンが生贄であると聞いて、レティーシャの胸は強く軋んだ。
(グレン様は十年も死と向き合っていたなんて――! 長生きできたって言っても、まだ二十六歳じゃない!)
あまりにも過酷なグレンの運命を知って目眩がした。
自分を保護したときも、家事を教えてくれたときも、買い物に付き合ってくれたときも、チャレンジした料理を褒めてくれたときも、グレンが死の運命を抱えていたなんて……!
振り返っても、悲壮感とはまるで無縁の堂々した態度だったからこそ信じられない。
どれだけの忍耐力をもって、笑みを浮かべていたのだろうか。いや、忍耐力ではなく、開き直った結果の笑みだとしたら?
グレンの胸の内を想像しただけで、レティーシャの心臓はつぶれてしまいそうだ。
親子の会話を聞いても、グレンの本音は生きたいと思っていることはひしひしと伝わる。
しかし、死なないでほしいと引き留めたくても口にすることは憚られる。
エデルトリア帝国が大陸全体のために心砕いてきた千年以上の歴史と、これまで命を捧げてきた先人の魔術師たちやグレンの誇りまで踏みにじってしまいそうで……正解の言葉が見つけられないレティーシャは口を横に強く引いた。
けれどずっと黙っていても、話は終わったとグレンはこのまま帝城に向かってしまうだろう。
先ほど言われた「ありがとう」の言葉は、感謝よりも別れの言葉にしか聞こえなかった。
レティーシャは考えを巡らせ、聞いていなかったことを思い出す。
「あの……神託の乙女についてもお聞きして良いですか? メーダ王国の花嫁がそうだったようなことが聞こえたのですが」
親子の言い争いの中で、「メーダ王国から花嫁を連れてきても、何も改善しなかった。神託に出たような力を、彼女は持っていなかった!」とグレンは言っていた。
つまり、神託の乙女が何か問題を改善できる鍵を握っていたはずだ。
「神木を浄化させる方法は、実はひとつではない」
「――!」
「神託で選ばれた乙女は、穢れを浄化する力を有していると言われている。魔力とは違う特別な力をもって祈りを捧げることで神木を癒し、命を削らなくても穢れの実の成熟を止めることができる。祈りが強ければ祝福の実へと変える奇跡も起こせるらしい」
「神託の乙女に、そんな力が? メーダ王国の国王陛下はご存じなのですか?」
国王からエデルトリア帝国からの縁談について聞かされたとき、特別な力の話をされた覚えはレティーシャにはない。
神託で選ばれた花嫁を迎えることで、幸運がもたらされる――と信仰心の高いエデルトリア帝国ならではの風習だと思っていた。
「罪人の印を持つレティーシャが選ばれるなんて、皇太子も可哀想に」と国王が呟いていたことから、知らない様子だったが……。
「真の力を知れば、神託の乙女を盾に、理不尽な要求を帝国に突き付けてくる可能性がある。国同士の争いに発展させないためにも、基本的に身体的特徴だけを伝え、真の力について伏せた状態で交渉したはずだ」
「そうでしたか」
国王が知らなければ、レティーシャの耳にも届かないのは当然と納得する。
確かに、それで良かったのかもしれない。実際に名声と権力に固執している父が知れば、皇太子妃の座の他にもっと何かしら要求していただろう。
何も知らなかったから、簡単に末王女を手放したのだ。
エデルトリア帝国の判断は正解と言える。
(浄化の力か……)
ふと、三か月前に立ち寄った神殿での出来事が脳裏に蘇る。
あのときレティーシャは、生き延びられたことを門の前から神に感謝を捧げた。すると駆けつけた神官が、汚れていたリースをレティーシャが綺麗にしたと指摘した。
そして神官は特別な魔術を使ったと考え、秘訣を乞うてきたのだが……レティーシャは魔力を一切持っていない。だから、単なる神官の勘違いと思って今日まで忘れていたのだけれど。
(黒ずんでいたリースが祈りで白くなるなんて、浄化っぽいのでは? しかも白いリースは皇室から特別にいただいた物らしいし、木の枝でできているように見えたわ。その枝がもし神木の枝だとしたら――?)
レティーシャの背筋に緊張の汗が流れた。
だが確信が持てない。レティーシャ自身はそもそもリースがあったことを知らなかったため、色の変化をこの目で見ていないのだ。
「グレン様、神託の乙女はメーダ王国の王女以外に現れる可能性はありますか?」
「神託の乙女は滅多に現れない。穢れの実の浄化時期に合わせて神託が降りた過去は数例しかないんだ。新たな神託がないことから、第二の存在は誕生していないと考えた方が良いだろう」
つまり、神託の乙女はレティーシャだけ。
「唯一無二……なのですね」
「あぁ。たったひとつの希望だったんだ」
グレンは額を押さえ、視線を落とした。
「穢れの実ができる時期に、必ず神託の乙女が現れるとは限らない。神託があっても、他国の場合は探し出せないこともあった。だけど今回はギリギリのタイミングで現れ、帝国に連れてくることもできたのに……!」
「――っ」
「メーダ王国の王女殿下が神木にいくら祈っても、浄化するどころか共鳴すらしない。神託の乙女が現れたと知ったとき、死なずに済むと思ったんだけどな……駄目だったみたいだ」
グレンの顔に、弱々しい微笑みが浮かんだ。
レティーシャの胸はますます締め付けられ、ズキリと痛む。
グレンは絶望を突き付けられ、苦しんでいたところに現れた救いにすら裏切られたのだ。
二度も絶望の谷底に突き落とすくらいなら、最初から希望を見せないでほしいと思ったに違いない。
先週までの顔色の悪かったグレンの姿を振り返れば、容易に想像できてしまう。
そしてここ数日で彼の顔色が改善したのは、再び死を覚悟したからだろう。
レティーシャにどこよりも安定した仕事先である屋敷を斡旋したのも、この世から去る準備の一環。
(自分が一番大変なのに、私のことを気にかけてくれていたなんて……!)
一緒に過ごした三か月間が、さらに宝物の時間になっていく。
「説明は以上だ。元気でな、レティ。父上も、ご無理なさらずに」
帝城に向かおうと、グレンは腰を浮かして執務室から出ていこうとする。
レティーシャの覚悟は一瞬で決まった。
「お待ちくださいませ。グレン様に見ていただきたいものがございます」
そう言って彼女は、躊躇することなく首元からワンピースのボタンをはずし始めた。
グレンとアシュバートン侯爵はそろって目を丸くした。
「レティ!?」
グレンが顔を赤くさせながら目を泳がせ、アシュバートン侯爵はキリっとした顔で「私は席を外す!」と部屋から飛び出そうとする。
だが、侯爵の腕は息子に掴まれた。
「父上、ふたりきりにしないでください! レティはそれ以上ボタンをはずすな!」
「息子よ、女性の覚悟をだな――」
「俺をロクデナシにするつもりですか!?」
親子が騒いでいる間にもレティーシャは黙々と手を動かし、胸の谷間が見えるところまでボタンを外した。
そして形振りかまわずグレンの正面に回り込み、ぐっと襟元を大きく広げる。
「馬鹿! 早く隠せ!」
華奢な右肩が露わになる寸前で、グレンは顔を逸らしてしまった。ついでに、しっかり父の目元を手で覆っている。
だがレティーシャは止まらない。
「見てください! もう全身を見ているのだから、今さらじゃないですか!」
「あれは手当ての一環で、心構えが違う! 今は駄目だ!」
「駄目もへったくれもありません! グレン様を助けたいのです」
レティーシャは両手でグレンの顔を挟んで、強引に自分のほうへと振り向かせた。
「さぁ、見るのです!」
「助けるって、慰めのつも――……は?」
薄目で開かれたグレンの目が、レティーシャの右肩にある印で留まった。
メーダ王国では『前世は罪人の証』と言われている、小さな花びらのような痣が六枚の並んだそれを見て、目を最大限に開いていく。
息子の異変に気付いたアシュバートン侯爵も、緩んだグレンの指の隙間から確認し、遅れて驚きの表情を見せる。
「どうして、レティが?」
吸い寄せられるように、グレンは手をレティーシャの右肩に伸ばした。小さく震える指先で確かめるように六花の痣にそっと触り、意味が分からないと困惑で瞳を揺らす。
皇太子フィリップの隣には、まさに神託通りの乙女がいるというのに。
保護した女性は、王女のファンとして追いかけてきたと言っていたはずで。
髪と瞳の色が同じという偶然があっても、六花の印の模様と位置まで一致するなんて――。
そう混乱しているのがありありと分かる表情をしたグレンの眼差しが、右肩から翠の瞳へと移った。
視線で問われたレティーシャは、真っすぐな目で見返した。
「私の名前は、レティーシャ・ルイ・メーダ。本来、エデルトリア帝国の皇太子殿下に嫁ぐ予定だった――本物の第六王女にございます」
ハッキリとグレンの耳に届くその声は、凛としたものだった。







