21 感謝と遺言
生贄とはどういうことか。
グレンの問いかけに、皇帝は重々しい口調で説明を続ける。
魔術師の中でも神木に最も親和性の高い魔力の保有者を選び、禁術によって穢れの実を浄化するらしい。
禁術は命を削る魔術で、過去に使った魔術師は例外なく死んでいったという。
各国がエデルトリア帝国に敵意を向けないのは、自分たちでは背負いきれない重責を帝国が担っているからだ。
帝国もまた神木を管理していることを盾に、周辺国に睨みを利かせている面も否定できない。
だが、神木の事実が悪意のある人間の耳に入れば、枯らさんと狙ってきたり、生贄に選ばれた魔術師が害される可能性もある。
神木の事実は周辺国の国王とエデルトリア帝国の関係者、神殿の上位神官だけに知らされていた。
「陛下、俺は死ぬ運命ということですか?」
「このまま他に適性のある魔術師が生まれなければ、おそらく。しかし酷なことを告げるが、その可能性はかなり低い。禁術は高度な魔術だ。魔力の親和性があっても使える才能がなければ任せられず、失敗したら魔術師の無駄死にになる。親和性も才能も……両方となると、な」
つまり先輩魔術師を含めても、新人魔術師グレンが圧倒的な適性の持ち主ということ。
歯切れの悪い皇帝の言葉に、グレンの両親は今にも倒れてしまいそうだ。血の気が失われた顔を俯かせ、放心してしまっている。
一方でグレン本人は、あまりにも想像していなかった宣告に実感がわかない。
自分のことなのに、まるで他人事のように感じながら皇帝に問いかける。
「ちなみに、俺の出番は何年後の見通しでしょうか?」
「実は昨年、神木に穢れの小さな実が確認された。おそらく七〜八年後に頼むことになるだろう」
「――ははっ、思ったよりも短いのですね」
穢れの実ができるのは約百年に一度と聞いたから、もっと先だと淡い期待を抱いていたというのに……あっけなく砕かれてしまった。
なんてタイミングが悪いのか。皇帝の前だというのに、グレンは無礼にも天を仰いでしまった。
描いていた明るい未来像が崩れ落ちていく音がする。
得意の魔術で多くの人を助けるという夢は、想像とは全く違う形で実現しようとしていた。
「拒否は……できませんよね?」
「グレンがその選択をした場合、エデルトリア帝国のみならず大陸中が混沌の渦に落とされるだろう。禁術に失敗して穢れの実が弾けてしまった八百年前、エデルトリア帝国とその周辺国の六割の生物が大地に還ったという記録がある。どこまで正確かわからないが……多大な被害が出るのは間違いない」
「俺ひとりが死ぬか、俺も含めて大勢死ぬか……ですか」
あまりにも選択肢がない。
目を閉じれば、瞼の裏に大切な家族や領民たちの笑みが浮かぶ。自分が逃げてしまったら、彼らを殺すと同じ。
そんなことできるだろうか。
視線を落とした先のグレン自身の足首に、鎖が絡まっていく幻が見える。
「グレン・アシュバートン、我が皇家はできる限り貴殿が望むものを用意しよう。だからどうか、頼まれてくれないか」
大陸で一番重い頭が下げられた。王冠を外してまで深々と腰を折る姿には、覚悟が重々しく乗っている。
そして父は血が出るほど唇を強く噛み締め、母は声を殺して大粒の涙を落とす。
兄を慕う弟妹が知ったらどうなってしまうか想像もしたくない。
(家族を悲しませたくない……でも、死なせるのはもっと嫌だ)
決断に迷いはなかった。ただ、それを言葉として伝える時間は必要だった。
怖い。
誰か助けて。
神様、どうして俺なんですか。
そういった言葉が今にも喉から出てしまいそうだ。
グレンは時間をたっぷり使って飲み込むと、皇帝の前で片膝をついた。
「その役目、謹んで受けさせていただきます。この命に代えても、エデルトリア帝国をお守りいたしましょう」
その声は、凍えたように震えていた。
それからアシュバートン侯爵家の屋敷には暗雲が立ち込め、早くも喪に服したような重たい雰囲気で満たされた。
仕事熱心だった父は無気力になり、気高かった母は憑りつかれたように神に祈り続け、事実を知らされた一部の使用人はグレンの顔を見るたびに胸を詰まらせる。
十五歳になるまで秘密にすることになった弟と妹は、様子が変わってしまった周囲に困惑して笑みを消した。
そんな光景をグレンは、しばらく黙って眺めていた。
それから生贄の宣告をされて一年後。屋敷を出る決意をしたのだった。
(屋敷にいたままだと決意が揺らぎそうだ。甘えそうになる。逃げたくなってしまう……! それに今から俺のいない生活に慣れた方が、実際に俺が死んだとき、父上たちも日常を取り戻しやすいはずだ)
グレンは父を説得して後継者の資格をキースに譲り、人とあまり関わらなくても良い森で暮らしはじめることにした。
これ以上親しい人間が増えないよう、人除けのために口調を乱暴なものに変えたのはこの頃からだったように思う。
だが気持ちというものは、自分のものなのに上手く制御できないもので……。
穢れの実の成熟スピードは予測できるものでなく、禁術の出番が早まってしまわないか怯える日々。頻繁に神木の様子を見に神木のもとへと足を運び、何時間も眺めたものだ。
時間が経てば生への執着が薄れ、死を受け入れられるようになると思っていたが、それも上手くいかない。
むしろ「あと四年くらいか」と、近づく死の気配に恐ろしさが増すばかり。
もちろん、何もせず時間を消費していたわけではない。
禁術に変わる新しい浄化の魔術がないか調べ、研究を進めようとした。
しかし調べれば調べるほど、自分の前に厳しい現実の壁が立ちはだかった。糸口を見つけても、すでに先人たちが試し尽くした失敗に辿り着く。
当然だ。千年以上他の方法が見つかっていないから、生贄の魔術師が選ばれるのだ。
むしろ、よくぞ禁術を見つけたなと敬意を表したほど。
(どうせ変わらない運命なら、いっそもう禁術を使って楽になってしまおうか)
わたあめがグレンの前に現れたのは、投げやりになりかけたそんなときだった。
帝城から帰ってきたある日、家の前で怪しい白い毛玉を捕まえた。
「トマト泥棒め。植木鉢にあった赤いやつ全部食べやがって」
「わふ!」
「楽しそうに尻尾振ってんじぇねぇよ」
「わふ! わふ!」
白い毛玉はいくら叱ってもご機嫌で、口のまわりに付いた赤い汁をぺろぺろとしている。
「お前なぁ…………食べ過ぎて腹壊すなよ?」
すっかり毒気を抜かれたグレンは、その白い毛玉を森に還したのだが……以降、白い毛玉は勝手に懐いてしまった。
頻繁に家に訪れ、結局赤くなったトマトはグレンの口に入る前に全部食べられていく。
なのに、「もうないの?」とつぶらな瞳で図々しく訴えてくる。
気付けば『わたあめ』と名前を付け、保冷庫にトマトをストックするようになっていた。
禁術を使うのはもう少し先にしても良いかもしれない――わたあめを相手にしているうちに少しずつ焦りが消え、グレンは精神が落ち着いていくのを感じるようになる。
そうして、穢れの実の成熟スピードが想定よりも遅かったことで、生贄の宣告から十年経った今も生きることができていた。
グレンは淡々とした口調で、生贄に選ばれた理由とこれまでの経緯を語った。もちろん家族の滅入った姿と自分の弱い心の部分は隠して。
正面に座るレティは、今にも泣きそうな顔をして真剣に耳を傾けてくれている。
(こんな顔をさせたくなくて黙っていたのに、無駄になったな。レティには笑顔でいてほしいのに……そう思うのに……俺が死んだら悲しんでくれると分かって嬉しいなんて)
自分の捻くれ具合に嘲笑しながらグレンは、レティの翠の瞳を見つめた。
「運よく長生きできたお陰で、レティに会うことができた。お前との生活は存外楽しく、最後に明るい思い出ができて良かったよ。ありがとう」
だからどうか自分が死んで悲しんだとしても、早い段階で『哀れな男の心を救えた』と胸を張って前を向いてほしい――そう願いながら、グレンは説明を締めくくった。







