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20 逃げられない宿命

 グレン様が死ぬ――?

 

 悪い夢を見ているのだろうか。足元が崩れていくようだ。

 自分を渓流から救えるほどの偉大な魔術師が、少し前まであんなに笑っていた青年が死ぬなんて想像できるはずがない。


 扉を見つめたままレティーシャは立ち尽くした。

 部屋の中にいる親子の言い争いは、彼女の心を置いて続いていく。



「手遅れになれば、俺どころか多くの帝国民が死ぬのです! 俺に帝国民を見捨てろと!?」

「お前がそんなことできる人間ではないことは知っているが――」

「であれば、これ以上俺の覚悟を揺るがすようなことは言わないでください。父上も、もう駄目だって分かっているのでしょう? 他に手がないということも!」

「だが、息子の死を当然と受け入れられる親がどこにいる!? 頼む、一日だけでも長く!」

「いくら説得しても現実は変わりません。失礼します!」

「グレン!」



 扉が勢いよく開く。

 飛び出してきたグレンは、レティーシャを見て目を丸くした。

 彼越しに、先日のグレンに負けないくらい顔色の悪いアシュバートン侯爵が目元を濡らしているのが見える。

 悪夢の方がマシだと思える現実が、レティーシャに突き付けられた。



「どうして……くそっ」



 グレンは言葉を続けることなく、苦しげに顔を逸らして脇を通り過ぎようとする。

 レティーシャはすかさず、彼の腕にしがみついた。



「グレン様、待ってください!」

「離せ。使用人が生意気だぞ!」

「嫌です!」

「てめぇ!」



 グレンは声を荒げるが、レティーシャを突き飛ばしたり、無理に腕を振り払うようなことはしない。体を強張らせるだけで、彼女から離れるのを待とうとしていた。

 グレンの不器用さを知るレティーシャは、乱暴な言葉は彼の本心ではないと見抜く。

 だから遠慮なくグレンの腕にしがみつく力を強めた。



「グレン様が死ぬって、どういうことですか!?」

「――っ、レティには関係ない」



 打って変わってグレンは冷たい声で返す。

 決して視線を合わせようとせず、逃げるように顔の向きまで逸らして拒絶の意を示そうとした。

 しかし――



(横から見ても分かるほど迷いのある目をされて、引けるわけがないじゃない! でも、どうしたらグレン様を止められる?)



 アシュバートン侯爵との会話を聞く限り、グレンはこのまま屋敷に戻ることなく目的を遂行するために旅立ってしまうだろう。

 今を逃したら二度と対話できなくなる可能性が高い。

 最後の会話が、こんな喧嘩のようなもので良いはずがない。

 そもそも、わけも分からないまま、好きな人を死地に送るほど従順な性格ではない。



「まだ恩返しが終わっていません!」

「もう十分だ! だから離せ!」

「私は足りません!」



 レティーシャは力いっぱいグレンの腕を掴んで意思を示す。



「もういいっ」



 さすがに埒が明かないと判断したのか、グレンがレティーシャの手首を掴んで腕から引きはがそうとしはじめた。



「離せ」

「嫌、ですっ」



 レティーシャは力いっぱい抵抗する。

 だが力で敵うはずもなく、簡単に片手が外されてしまった。振りほどかれてしまい、魔術まで使われたらもう捕まえられない。

 そう肝を冷やしたとき、アシュバートン侯爵が口を挟んだ。



「グレンが話さないのなら、私が話そう。私が認めた我が家の使用人であれば、陛下もお許しくださる。私の口からどう語られるか、考えてみなさい」

「……父上、それは脅しですか?」

「脅しになれば上々だが、どうする?」



 グレンは睨みつけるが、アシュバートン侯爵も鋭い視線を返した。

 睨み合って数秒、折れたのはグレンだった。



「ちっ……俺が話します。レティ、逃げないから離せ。執務室に入るんだ」



 不服そうにしながらもグレンが力を緩めたのを確認してから、レティーシャもそっと手を離した。

 グレンは覇気のない足取りで部屋の中へと進むと、沈むようにソファに腰を下ろした。

 その彼の隣には、息子を監視するようにアシュバートン侯爵が座り、レティーシャはすすめられた正面に座った。

 キースは「私がいないほうが話しやすいでしょう」と部屋には入って来なかったため、部屋には三人だけだ。



「さて、どこから話せば良いのか」



 グレンは目を瞑って考えを巡らせ、数分ほど沈黙してから、ゆっくり口を開いた。



「エデルトリア帝国の帝城庭園には神殿があり、その中には、建国時代から生きる神木が保護されている。俺は、その神木を生かすための生贄の魔術師なんだ」

 


 *** 



 グレンは、エデルトリア帝国の名門貴族アシュバートン侯爵家の嫡男として生を受け、稀有な魔術の才能にも恵まれていた。

 快活な性格で、使用人からも慕われ、弟と妹を思いやれる優しい一面も持っている。

 立派な当主として育つだろうと、多くの人がグレンに期待を寄せて見守っていた。


 グレンも期待に応えようと、教養の勉強と魔術の練習に打ち込んだ。

 その甲斐あって順調に実力を伸ばし、十五歳で帝国魔術師の試験を受けることになった。

 十八歳でようやく受験が認められるのが一般的ということを考えれば、特例で受験資格を得たグレンの才能が抜きん出ていたことは言うまでもない。

 まさに順風満帆のエリートコース一直線。



(帝国魔術師になって活躍して、領民に還元してやらないと!)



 両親や家庭教師からしっかりと当主教育を受けてきたグレンは、裕福な暮らしができていることを当然とは思っていなかった。

 幼い頃から自分を可愛がってくれる領民が、汗水垂らして支えてくれているからこそ成り立っていると理解していた。


 エデルトリア帝国所属の魔術師になれば莫大な給与と権限が手に入る。水害対策や医療施設をもっと充実させられる。

 グレンは明るい未来を描きながら、帝国魔術師の試験に挑んだのだった。



 ただ、そこから彼の運命は変わってしまった。



「俺の魔力が神木と親和性が高い……ですか?」



 合格発表の翌日、皇帝から直々に呼び出され、聞かされたのはグレンが生贄候補になったという話だった。


 神木とは大陸中に根を張り、各地の穢れを吸収して、清浄な大地を保っている重要な木だ。

 穢れはその地に溜まると感染症を引き起こして人を死に至らしめ、土壌を汚染し作物の不作を招くとされている。

 大陸で生きるものすべてを脅かす恐ろしいものなのだ。

 その脅威から大陸を守る神木を保有していることで、エデルトリア帝国は各国から重要視されている。



 しかし……神木は瘴気のすべてを浄化できない。



 神木は約百年に一度、穢れを溜め込んだ黒い実をひとつつける。成熟すると種を弾けさせ黒煙のように広がり、大地に落ちると芽吹き、数日で蕾をつける。

 そして咲いた花は毒を巻き散らして災厄をもたらすという。


 種は目視で追うのも難しいくらい小さく、風に乗ってどこまでも遠くへ飛んでいく。一度実が弾けてしまったら、手に負えない代物だ。

 では成熟前に穢れの実を取れば――そう考えても、いたずらに触れただけで種を弾かせるというのだから厄介極まりない。


 つまり、これまでどうやってエデルトリア帝国が災厄を未然に防いでいたかというと、選ばれた帝国魔術師を生贄にしていたのだった。


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