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19 グレンの隠し事


 グレンに置いてかれてしまったレティーシャは、その場で立ち尽くす。

 新しい仕事先も、始めるタイミングも、どうして事前の相談なしに決めてしまったのか……準備ができなかったレティーシャの心は、捨て犬のように凍えてしまっている。



「レティさん、まずはお茶でもどうですか?」

「――え?」

「どうやらグレン様の独断で、混乱しているようだ。温かいものを飲みながら、今後についてお話ししましょう」


 話を聞けば、少しは納得できるかもしれない。レティーシャはポールの提案にぎこちなく頷いた。



 ***



 グレンはエデルトリア帝国のアシュバートン侯爵家の長男で、現在は帝国魔術師団に所属している魔術師だった。

 国一番の実力者であるものの、『ワケあって』社交界など表舞台には一切姿を現さないらしい。

 侯爵家の跡継ぎも、本人の希望で次男キースが指名されているとのこと。

 そのワケをレティーシャが問うたものの、「お教えしたいのですが……」とポールは言い淀んだ。



(言えないだけで、ポール様は事情をご存じなのね。口止めされているのだわ……一緒に暮らしていたのに、私ったらグレン様のこと何もしらない――っ)



 レティーシャは、両手に力を入れてスカートに皺を作った。

 親しくなれたと思っていたのは自分だけだったのかと、虚しさと涙が込み上げそうになる。


 しかし同時に、あの優しいグレンのことだから、のっぴきならない事情があるのだと察することもできてしまう。

 納得できるかは別だが……とにかく、侯爵家の令息で宮廷魔術師の手にも余る『ワケ』が気になって仕方ない。


 先日までグレンの顔色が悪くなっていた理由と、無関係だと考えにくい。

 悪い予感が強くなっていく。



「ポールさん。もう私は、グレン様とお会いすることは難しいのでしょうか?」

「それは……」



 ポールの顔が陰った。

 レティーシャは息を呑む。



(帝国の名家の執事ともあれば、感情を悟らせない訓練を受けているはずよ。ここまでの所作や姿勢も、ベテランの上品さがあった、そんなポール様が動揺を隠せないなんて……っ)



 自分が思っている以上に、侯爵家とグレンが何か大きな問題を抱えていることを察する。

 ますます強まった焦燥感がレティーシャの胸の内を焦がした。



「ポール様。グレン様が屋敷を離れる前に、これまでお世話になったお礼を直接伝えたいのですが、お時間を調整していただけませんか!?」



 このままグレンと別れてはいけないと直感が告げている。

 ポールは判断に迷っているようだが、レティーシャは身を引く気になれない。



「せめて、屋敷の前でグレン様のお見送りをする機会をくださいませ」



 ポールに訴えて、食い下がる。

 すると、他の人間がレティーシャに応えた。



「僕が兄上のところに案内してあげよう」

「あなた様は――」



 金色の長い髪を肩口で緩く結んだ、青い瞳の青年がレティーシャの前に立った。名乗らなくても誰か分かるほど、目の前の青年の顔立ちはグレンに似ている。



「キース様でいらっしゃいますか?」

「えぇ。あなたが兄上と暮らしていたレティさんだね。働き者だと聞いていたよ」



 顔は似ているが、グレンよりもずっと物腰が柔らかい。



「ありがとうございます。その、本当にグレン様に会わせていただけるのですか?」

「もちろん。こっちにきなさい」



 今から?と驚きつつも、レティーシャはキースの後を追う。

 そして連れていかれたのは重厚な二枚扉の前だった。

 そのとき、廊下にまで届くほどの言い争う声が聞こえてきた。



「グレン! まだ諦めるのは早い!」

「父上、もう悠長なことは言っていられない状況なのです。メーダ王国から花嫁を連れてきても、何も改善しなかった。神託に出たような力を、彼女は持っていなかった!」

「神託に一致する乙女が、他にもいるかもしれないじゃないか!」

「だとしても、探し直す時間なんてありません。もう俺がやるしかないのです!」



 声の主はグレンと、彼の父である侯爵のもののようだ。

 でもキースは部屋に入って仲裁することなく、扉の前で立ち止まったまま。まるでレティーシャにわざと聞かせているようだ。

 彼女も黙って、扉の向こう側に耳を傾ける。

 グレンと侯爵の声はどんどん感情的になり、激しいものになっていく。



「待て……もう少し待つんだ! 」

「しかし、他に方法はないのです。俺が……選ばれた俺がやるしか、帝国が……大陸が助かる道はないのです!」

「しかし! 頼むグレン…… 死に急ぐな! 親より早く死のうとしないでくれ!」



 レティーシャの心臓が、一瞬止まった。

 嘘よ――そう思いたかったが、隣に立つキースの拳は体の横で白くなるまで強く握られているではないか。

 小刻みに震える拳からは、苦悩が滲みでている。

 言い争いの内容が真実だと悟るには十分だった。



(グレン様が、死ぬ――?)



 レティーシャの頭の中は、真っ白になった。



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