18 遠い存在
グレンがレティーシャの肩を借りた晩から数日。
最近の不安定さが嘘のようにグレンの濃かった目の隈が薄れ、食欲も戻りはじめた。
態度まで時を戻り、保護してもらった当初のようにツンが強くなり、笑みを見る機会まで減ってしまったが……。
それでもグレンが元気なら、レティーシャはかまわなかった。朝から鼻歌を奏でながらかぼちゃのポタージュを煮込む。
「ふん、ふん、ふふふ~ん♪」
「随分とご機嫌だな。今日は何か予定でもあるのか?」
二階から降りてきたグレンに問われる。
「グレン様、おはようございます。ポタージュが上手に作れたんです! 野菜のうまみととろみが絶妙です!」
「自分で言うのか……。とりあえず、特に予定はないんだな?」
「はい。家事以外は特に……ん?」
そう答えながらグレンの姿を見たレティーシャは、目を瞬いた。
今日のグレンは休暇のはず。普段ならカットソーにカーディガン、ゆったりとしたズボンで過ごすのだが……今は皺のないシャツとスラックスを着ていた。
そして腕には上質なジャケットも。
「レティ、食べ終わったら一緒に出かけるぞ。連れていきたいところがある。持っている服の中で一番まともなものに着替えておいてくれ」
「お出かけって……買い物ですか?」
「そうじゃないが、俺とお前のふたりだけで行きたいところがある。良いな?」
レティーシャは言われた内容を頭で反芻する。
(グレン様とお出かけ……身なりを整える……ふたり……もしかして、これはもしかしてデートと言うのでは!?)
グレンと一緒に外に出かけたのは、買い物の仕方をメリーに教わったとき以来。
ふたりっきりで出かけるのは初めてだ。
「はい! 早く朝食を終わらせましょう」
レティーシャはそわそわした気持ちを隠しきれない様子で、テーブルに皿を用意していく。
グレンが、どこか寂しそうな表情を浮かべていることには気付かずに……。
そうして朝食後、レティーシャは最近買ったばかりのワンピースに着替えて玄関を出た。
外ではグレンが立派な馬一頭を連れて待っていた。
「今日は馬車ではないのですね」
「裏道を抜けるには馬の方が楽だからな。さっさと乗るぞ」
グレンはそんなことを言うが、馬は一頭しかいない。レティーシャはきょとんと首を傾けた。
彼が馬に乗り、自分は従者のように隣を徒歩で……というパターンも頭を過ったが、グレンはどうしてか両手をレティーシャに差し出していた。
「もしかしての、もしかしてですが……相乗りというものでしょうか?」
「それ以外に何がある。どうせひとりで乗れないだろう?」
「はい! 乗れません!」
レティーシャは素早くグレンの手を握った。するとふわりと風が彼女を包み込み、体を浮かせて横乗りになるよう馬の背へと運んだ。
そして宣言した通りグレンも後ろ側に乗り、レティーシャを囲うように手綱を握る。
「レティ、落ちないように俺側に体を傾けるか、片手を背中に回して掴んでおけ」
「承知しました」
恋する乙女は躊躇うことなく両方採用する。思い切りグレンに抱きついた。
あまりの遠慮のなさにグレンから何か言いたげな視線を向けられるが、レティーシャは知らんぷりをきめる。
グレンの諦めのため息とともに馬が歩き始めた。
(こんなに長くグレン様とくっついていられるなんてドキドキが止まらないわ)
スラリとした見た目に反してレティーシャをしっかりと支える力強さと、気遣いを感じる馬の歩調の優しさに胸の高鳴りが止まらない。
鼓動がうるさすぎて、グレンの耳にまで届いてしまいそうだ。むしろ鼓動と一緒に気持ちも届いても問題ない。
このまま幸せな時間に浸っていたいと思う。
しかし目的地でレティーシャを待っていた現実は、あまりにも厳しいものだった。
(ここは――?)
首都の一角にある貴族街の奥へと進むと、馬はとある屋敷の敷地に入っていった。
立派な構えの正門と荘厳な屋敷へと続く道には、使用人が乱れなく並んで恭しく頭を垂れている。
その間をグレンは、堂々とした態度で馬に乗ったまま進んでいくではないか。
高鳴っていたレティーシャの胸の中は、不安とざわめきが広がっていく。
エントランスで馬から降りれば、壮年の執事が一歩前に出てきた。
「グレン様、お帰りなさいませ」
「ポール、父上はいるか?」
「はい。侯爵様は執務室でグレン様をお待ちになっておいでです」
「分かった。俺が父上と話している間、レティを頼む。明日からここで働かせてやってくれ」
グレンはポケットから封書を取り出すと、ポールと呼ばれる執事に手渡した。
そして、馬から下ろしたレティの背中に手を添え、一歩前に押し出した。
その手つきは強めで、突き放すようなもの。
混乱のせいで体が強張っているレティーシャは、躓きながらでポールの前へ出ることになった。
(グレン……さ、ま? ここで働くということは、私は屋敷の使用人になるということ? それにお父様が侯爵ということは、グレン様は侯爵家の御令息?)
突きつけられた真実に、レティーシャの指先が冷たくなっていく。
リズに立場を奪われて、メーダ王国の王女でなくなったレティーシャの身分は平民に当たる。高位貴族であるグレンとは結ばれない身分だ。
その上、侯爵家の使用人になるということは、基本的に屋敷に住み込みで勤めることになる。森にあるグレンの家から、使用人の部屋に引っ越さなければいけないだろう。
好きな人と結ばれない上に、一緒にいることもできないと知ったレティーシャは戸惑いを隠せない。すっかり彼女は顔色を失っていた。
だというのに、いつも優しいグレンは、今日に限って無視するようにこちらを見てくれない。
「レティ、俺のところでやっていたように励めよ」
グレンはそれだけ言うと、振り返ることなく屋敷の中へと入っていってしまった。







