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15 異変

 レティーシャに見つめられながら、グレンはスプーンを手にした。

 どどん!とハートが描かれているオムライスにスプーンが入る。



「いただきます」

「ど、どうぞ!」

「……」

「……」



 レティーシャの期待をよそに、グレンは特段の反応を示すことなく、いつもと変わらぬ雰囲気でオムライスを食べていくではないか。



(あぁ……ハートが消えていく……っ。やはり、グレン様には一般論は通用しないのかしら? それとも私はタイプじゃなさすぎて、可能性ゼロ?)



 密かに肩を落としつつ、レティーシャも食べることにする。


「いただきます――……んん~♡」


 今日は気合のオムライスということで、ベーコンはゴロッと大きめに角切りにしたものを混ぜ、バターをふんだんに使って卵を焼いたため風味が良い。

 自画自賛になるが、その美味しさに沈んだ気持ちは浮上していく。食べ終わるころには、すっかり立ち直っていた。

 レティーシャが軽やかな気持ちで洗い物を始めると、隣にグレンが立った。



「レティ」

「はい、なんでしょうか?」

「また料理の腕を上げたな。今日のオムライス、前回よりずっと旨かった」

「――!」



 レティーシャは驚きの表情でグレンを見上げた。

 きちんとできたことは褒めてくれる彼だけど、わざわざ食事を終えたあとに伝えてくれることなんて初めてだ。

 それは今日のオムライスを特別気に入ったということ。ハートについて期待するような反応は得られなかったが、十分に報われた気持ちになる。



「ありがとうございます! グレン様に喜んでもらえて、私も嬉しいです!」



 舞い上がる気持ちを隠すことなく、レティーシャは満面の笑みをグレンに向けた。

 そのとき、彼女の視界に影が重なった。



(――え?)



 影の意外な正体にレティーシャは固まった。

 グレンの手が彼女の頭の少し上、触れるか触れないかギリギリの位置で止まっていたのだ。

 そして手を伸ばしたグレン本人も無意識だったのか、「え?」という顔をしている。



(もしかして撫でてくれようとしているのではなくて? グレン様、良いんですよ。思いっきり撫でてくださって良いんですよ! むしろ撫でてほしいので躊躇わないでください! さぁ!)



 欲望を隠さず、ギラギラとした眼差しをグレンに送る。

 待って数秒、グレンはハッとしたように手を引っ込めて下ろしてしまった。



「まぁ、これからも励めよ」



 素っ気なくそう言い残し、グレンは部屋を目指して踵を返す。

 だけれど背を向けたことで、彼の首元が赤くなっているのがレティーシャの目に映った。グレンの姿が見えなくなるまで我慢し、ひとりになった瞬間に勢いよく両手を上げる。



(やったー! 胃袋を掴む作戦成功よ! やっぱりグレン様と一緒の森暮らし最高だわ!)



 レティーシャは初めての手ごたえに歓喜し、打ち震えた。

 こんな自分でも、グレンを意識させることができるかもしれない。希望の光が見えたことが嬉しくて、走り回りそうになる。

 皇太子妃としての生活に未練が一切芽生えないくらいに、レティーシャは今の生活を堪能できていると改めて実感した。

 鼻歌を歌いながら、残りの皿を洗っていく。



(今のところ新しい仕事先については話題に出ないし、先程も悪くない反応だったし、ずっとグレン様と一緒に暮らしていきたいな……そしていつか――)



 明るい未来を想像しようとして、ふと現実に引き戻される。

 手早く皿洗いを終わらせたレティーシャは手の水気を拭き、テーブルの隅に置かれた新聞を手に取った。

 グレンが仕事帰りに持ち帰る新聞を確認するのが彼女の日課になっている。

 そして、すべてに目を通したあとため息をついた。



(今日も、皇太子殿下と神託の乙女の挙式の発表がないわ)



 レティーシャは妙な胸騒ぎを感じ、不安で瞳を揺らしながら新聞を畳んだ。




 ***




 さらに一か月が経った。

 だが、いまだにエデルトリア帝国の皇太子とメーダ王国の王女の婚姻に関する発表はない。

 朝食の準備を終えたレティーシャは、昨夜の新聞を読み直して眉を顰めた。



(おかしいわ。この輿入れはエデルトリア帝国の希望もあってすぐに婚約が結ばれ、最短の日程でメーダ王国を出国したのよ。リズが帝城入りして三か月も経つのに、何ひとつ進展がないなんて……)



 皇族と王族の結婚なのだから、慎重に日程を組むというのは理解している。

 ただ、皇太子の結婚はエデルトリア帝国において重要な式典。貴族向けの披露宴を催すのはもちろん、首都では七日間に渡って祝祭が行われる予定だ。

 皇家から祝いの酒が振舞われ、広場では大道芸や劇が披露され、特例で関税の免除を許された市場には他国の品が多く並べられることになっている。

 それらの準備を整えるため、早めに挙式の日だけでも周知する必要があるのだが……季節すら告知がない。



(リズに何か問題が起きたのかしら?)



 なにせリズは、レティーシャに成り代わった偽物の王女。不安要素はしっかりある。

 成りすましが見破られていたとしたら、今ごろ国際問題へと発展し、新聞はその話題で賑やかになるはずだ。それなら本物のレティーシャを捜索する動きもあるはずだが、その気配もまったくない。



(リズの不健康説……は、あり得ないわね。先日も買い物に出たとき、街の人の話題はお忍びで来店したリズのことだった。外商を帝城に呼び寄せることなく自ら街に足を運ぶなんて、リズが元気な証拠。フィリップ殿下も、視察の記事でお元気な様子だと報じられていたわ。では、一体どうして?)



 挙式の日程が決まらない理由を考えてみるが、情報が少なすぎて予想すら難しい。新聞を読むのが関の山。

 エデルトリア帝国の内情を調べる手段を持ち合わせていないことが歯がゆく感じる。



(杞憂で終わることを祈るばかりだわ。それよりも今気がかりなのは――)



 新聞を専用ボックスに入れたタイミングで、グレンが二階からリビングに降りてきた。

 少し前なら朝から彼の顔を見られたことで浮かれたレティーシャだったが、最近は嬉しさ以上に心配の気持ちが先行する。


 なぜなら、グレンのオレンジ色の目の下には隈ができているからだ。日に日に濃くなっていくそれは、今日は一段と酷い色をしていた。



「グレン様、大丈夫ですか?」



 挨拶も忘れて、レティーシャは思わず両手でグレンの頬に手を添えた。

 親指で彼の目の下をなぞりながら、唇を固く結ぶ。



(ほとんど寝られていらっしゃらないのでは? 顔色は良くないし、頬もやつれて……)



 いつも力強かった瞳の輝きも今はどこか虚ろで、倒れてしまわないか心配になるレベルだ。

 昨夜に至っては夕食を残してしまっていたし、睡眠時間だけでなく食事量も減っているように思う。

 夕食を残したことに「すまない」と告げたグレンの力ない表情が脳裏から離れない。

 グレンの両手が今にも彼女の背に触れそうなほど近くまで延ばされているのに気づかないまま、レティーシャは心配で胸を痛ませた。

 だが結局彼の手は下ろされ、体の横で固く握られた。



「ちょっとな……とりあえず朝食を頼む」



 グレンがテーブルに足を向けたことで、レティーシャの手から彼の顔が離れていった。



(ちょっとのレベルではないと思うんだけれど)



 心配を受け入れてくれず、そっけない態度は一線引かれたように感じてしまう。

 だが、住み込みで雇ってもらう条件に『仕事について詮索はしない』というものがあるため、レティーシャは踏み込むことができない。

 愚痴や悩みを聞いてあげることもできない立場に悔しさを覚える。



(ううん! こういうときこそ、私にできることを精一杯やるべきだわ。仕事の力にはなれないけれど、支えることはできるはず。仕事が大変なら、家を快適空間にして疲れが癒せるようにしないと!)



 自分がくよくよしていては、相手を元気にすることなんでできない。

 レティーシャは気持ちを切り替え、朝食を用意していった。


 そして笑みを保って仕事に向かうグレンを見送れば、入れ違いでわたあめが家にやってくる。

 レティーシャはしゃがみ、視線をわたあめの高さに合わせて神妙な表情を浮かべた。



「わたあめ様、おはようございます」

「わふ!」

「ひとつお願いごとがあるのですが、ご協力いただけませんか?」

「わふ?」



 頭を傾けるわたあめの前で、レティーシャはブラシを強く握ってみせた。


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