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13 裏切り侍女は微笑む


 入室してきた彼女は、レティーシャ・ルイ・メーダ。神託で選ばれた、フィリップの婚約者だ。

 桃色の髪と翠の瞳を持っており、隠れるようなドレスを着ていて見えないが鎖骨には六花の印がある。

 パッチリとした目元を強調した化粧のため一見勝ち気そうに見えるが、振る舞いは至って普通の令嬢と変わらないか弱い雰囲気だ。

 今も可愛らしい紙箱を抱え、不安げな表情を浮かべる姿は健気といった言葉が相応しいだろう。

 フィリップは柔らかく微笑み、横にずれて座る場所を作った。



「レティーシャなら、いつでも歓迎するよ。どうしたんだい?」

「先ほど街に降りましたの。そうしたら素敵なパティスリーを見つけまして、フィリップ様に召しあがっていただけたらと買ってしまいました」



 レティーシャは戸惑うことなくフィリップの隣に座ると、抱えていた紙箱を膝に載せて蓋を開けてみせた。

 中にはケーキが十種類ほど入っており、どれも宝石のように輝いて美しい。箱に押された店名のスタンプは、今話題の行列が絶えない人気店のもの。



「こんなにたくさん。ありがとうレティーシャ」

「喜んでいただけて嬉しいですわ。フィリップ殿下はいつもお忙しそうですから、少しでもお疲れを癒して差し上げられればと思いまして。お好きなケーキがあればよろしいのですが」

「レティーシャは優しいね。どれも美味しそうで悩んでしまうよ。あとで大切に食べるね」

「はい♡」



 フィリップが笑みを深めれば、レティーシャの頬は一段と色付いた。眼差しは酔ったようにうっとりと蕩け、見惚れているのが分かる。

 だが、長くは続かなかった。



「ご、ごめんなさい。グレン様の前でお恥ずかしいところを」



 正面のソファにグレンが座っていたことを思い出したレティーシャは、「ふふふ」と誤魔化しながら背筋を伸ばした。

 恥じらうような笑みは、一般的に可愛い部類に入るだろう。実際にレティーシャに笑みを向けられて、見惚れる貴族と平民は多く見てきた。


 それでも、グレンの表情はピクリともしない。

 王女は同居人レティと同じ髪と瞳の色をした女性の笑顔なのに、何ひとつグレンは心の動きを感じないのだ。

 強いて言えば、早く家に帰りたい気持ちが刺激されるくらいで……。

 グレンはすまし顔で応える。



「いえ、レティーシャ殿下が気にする必要はございません。俺はいない者と思ってくださると幸いです」

「まぁ、そんな寂しいことをおっしゃらないでください。グレン様は、フィリップ様の大切な側近とお聞きしています。皇太子妃になる身として気にかけるのは当然でしてよ」

「どうか、俺よりも他のことに気を配ってください」

「……そ、そうですか。失礼しましたわ」



 グレンが固い態度を崩す気はないと示せば、さすがに踏み込む気が失せたらしい。レティーシャは立ち上がり、フィリップに優雅に腰を折った。



「それではお邪魔しましたわ。フィリップ様、また夕食の時間にお会いしましょう」

「うん、またあとでね」

「はい、失礼いたします」



 そうしてレティーシャが退室すると、どことなく気まずい空気が漂う。

 先に口を開いたのはフィリップだった。



「相変わらずグレンはレティーシャに容赦がないね」

「こちらの方が都合がよいのでは? 俺が冷たくすれば、フィリップ殿下が慰めることで王女殿下が傾倒してくれるかと思ったのですが……様子を見る限り余計なお世話かもしれませんね」

「お陰様で、そのようだ」

「今日の装いからも、随分と帝国の生活にも馴染み満喫しているようですし」



 レティーシャのデイドレスは、ひと目で最高級品だと分かるものだった。

 デザインや色味はお忍び用に落ち着いたものにしているつもりなのだろうが、使われている生地やボタンは希少価値の高いものだった。


 特に目を引いたのが耳で光るイヤリングだ。

 エデルトリア帝国でも手に入れるのも難しい他国の宝石が使われており、それを嵌めこんだプラチナの金具も緻密なデザインだった。

 レティーシャがフィリップに強請ったのだろうと当たりをつける。



(前回見たときも、別の高級アクセサリーをつけていたような。ドレスも何着仕立てたのか……。フィリップ殿下が許している間は皇太子妃の予算に問題はないのだろうが、受け取った分の役目は果たしてくれよ?)



 グレンは苛立ちを隠すことなく、深いため息をついてしまった。

 ところがフィリップは、自分の婚約者に対して臣下が失礼な態度を取っても咎めることはしない。ソファから腰を浮かし、首都が一望できる窓辺に立った。

 未来の皇帝の眼差しは慈愛に満ちていた。



「ねぇ、グレン。私はこの眺めが好きで、幼き頃から守りたいと思ってきた」



 知っている。

 フィリップが帝国のために身を粉にして動いているのを、グレンは長年そばで見てきたのだ。

 しかし――



「レティーシャも、私と同じように心から帝国を愛してくれると良いんだけど」



 振り向いたときのフィリップのほほ笑みには、申し訳なさが濃く混ざっていた。




 ***




「少し休みたいから、ひとりにしてくれる? あなたたちも、ゆっくり休んで」



 王女レティーシャに成りすましているリズ・ギレットは、私室に戻るなり人当たりの良い微笑みを浮かべて使用人に命じた。

 使用人たちはリズが本物だと疑った様子もなく、恭しい態度で退室していく。

 ひとり残されたリズは口元にくっきりと弧を描いた。



「本当……この暮らし最高だわ」



 今にも高笑いしてしまいそうだ。

 部屋の壁際に積まれた箱のひとつを開けると、希少種の鳥の羽で誂えた扇子が入っていた。

 特に珍しい純白のそれは、リズの優越感を存分に高めてくれる。

 次の箱には、高級ブティックで買った一目ぼれのドレスが。

 隣の箱には贈り物の宝石付きの靴がある。


 どれも、本物のレティーシャのイメージに合わせた可憐なデザインばかり。

 リズの好みとしてはもう少し派手なものが欲しいところだが、品質は最高級品。メーダ王国から影武者として与えられていたドレスや装飾品と比べても雲泥の差がある。

 些細な不満はすぐに追いやられた。



(フィリップ殿下も本当に素敵な方だわ。あんなに麗しい殿方は大陸中探してもいないかも。物腰は柔らかく、いつだって優しいなんて最高じゃない)



 初めてフィリップと顔を合わせたとき、あまりの美しさにリズはメーダ王国の王女を演じることも忘れて見惚れた。

 挨拶で手の甲に口付けを落とされたときは、うるさいほど胸が高鳴った。


 非の打ち所がない完璧な御方の伴侶になれる――その事実は、いつもどこか物足りなさを感じていたリズの心を満たしていったのだった。

 皇太子妃の座は絶対に手放したくない、そう思うのは当然。

 だからリズは、愛されるような振る舞いを常に心がけている。


 メーダ王国での社交を通じて、『最低限のマナーは守りつつも少々無邪気さがある女性』が男性に好まれると学んだ。

 今日もフィリップを訪問した際も、彼のことを思っての行動に見えるように動いた。目論見通りフィリップは喜んでくれたし、付き人たちも微笑ましそうに見つめてくれた。

 順調だ。みんな自分を可愛がってくれる。

 たったひとりの魔術師を除いて。



(グレン様の態度はなんなのかしら? 未来の皇太子妃の気配りをあのように拒絶するなんて……! フィリップ殿下は、あの飾らないグレン様の態度が気に入っているらしいから私が引くしかないけれど。まぁ、宮廷一の魔術師と言えど何かできる立場でもないから放っておきましょう。だって、今の私は神託の乙女なんだもの)



 神にこれほど感謝したことはない。

 桃色の髪、翠の瞳、六花の痣を持っているだけで、『神託の乙女』として国中から宝のように扱ってもらえる。

 夢のような暮らしを、簡単に手に入れられる。



「ふふ、行動を起こして正解だったわ」



 レティーシャから立場を奪ったことに対して、後悔も罪悪感も湧かない。

 むしろ本物の罪人の証を持つ忌み姫が幸せになるのを阻止できた、という達成感ならある。

 あの麗しいフィリップが罪人を愛さなければいけないという、可哀想な運命を覆すことができた。



「あぁ、早く結婚したいわ」



 今のところレティーシャらしき人物の遺体は見つかっていないし、病院に保護されたという噂も、神殿や帝城に自分が本物だと訴えに来た不審者の話も聞かない。

 首を撥ね損ねた騎士が言った通り、渓谷に落ちて生き残るのは難しかったようだ。

 愛らしいメーダ王国の末姫を演じている今、不届きものを消してほしいなんて願いづらい。

 余計な手間が生まれずに心底安堵する。



「私だけ幸せになってごめんなさいね。姫様、どうかそのまま大地の肥やしになってくださいませ」



 リズは顔を緩ませ、買ったばかりのドレスを愛おしそうに抱き締めた。

 ただその顔は、到底『神託の乙女』とは思えないほどの悪意に染まっていた。


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