11 魔術師グレンの実力
約一か月後、その日は首都のとある伯爵家の屋敷から火柱が立っていた。
「アニーが! アニーがまだ中に!」
「お母様! 助けて! 助けて!」
伯爵夫人が、燃え盛る屋敷に向かって年頃の娘アニーの名前を叫んでいる。
だがアニーの姿は三階のベランダに見えるものの、誰も助けに行けずにいた。
火元と思われる一階はすでに火の海と化し、屋敷の中に入ることは不可能。飛び降りたアニーを受け止めようと思っても、ベランダの下に近付くことすらできないほど一階の窓から火が吹き出していた。
もっと言えば、アニーだけでなく他の窓からも救援を求める使用人たちの声が響いている。
伯爵家お抱えの魔術師も魔術で生み出した水で火を消そうと奮闘するが、焼け石に水。火の勢いは衰えを見せずにいた。
「あぁ、女神よ。どうか救いを」
せめて、できるだけ苦しまずに……そう多くの者が希望を手放そうとしたとき、新たな魔術師が馬で駆けつけた。
魔術師は金色の髪を靡かせながら庭に降り立つと、屋敷に向かって声を張り上げた。
「十秒だけ息を止めろ!」
「グレン様よ! みんな従って!」
質問を挟むことなく、アニーはともにベランダに逃げた使用人たちへと指示を出す。
すぐさまアニー本人も含め、全員が口元を手で覆った。
「いくぞ!」
グレンが手のひらを屋敷に向かって突き出した瞬間、屋敷は水に包み込まれる。
まるで水槽に沈むオブジェのように、すっぽりと静かに。
アニーたちは指示通り、水の中で必死に息を止めていた。
(火は消えた。あとは熱せられた石材が冷めれば――……よし!)
中途半端に魔術を解除すると、次は大量の蒸気が人を殺してしまう。グレンは宣言通りしっかり十秒待ってから魔術の水を消し去った。
残されたのは水に濡れた屋敷だけ。小さな煙すら上がらないほど、火の気配は消え去っていた。
ベランダにいたアニーたちも、息が乱れているだけで無事だ。
グレンがパチンと指を鳴らせば、氷でできた滑り台が地上からベランダに伸びる。
「焼けた階段は危険だ! 使ってくれ」
「はい!」
アニーを先頭に、次々と使用人が滑り降りていく。逃げ遅れた全員が無事かは分からないが、多くの犠牲は避けられただろう。
グレンは密かに胸を撫で下ろした。
(偶然、この時間に近くを通って良かった。遅刻確定だが、伯爵家を助けたということで許してもらおう)
グレンは全員がベランダから避難し終えたのを見届けてから、氷の滑り台を消した。
そして自分の出番は終わりと判断し、伯爵夫人の前に立つ。
「それでは俺は引き揚げます。よろしいですね?」
「グレン様、ありがとうございます! どうお礼をしたら良いのか」
伯爵夫人が涙を流し、頭を下げる。
だがグレンの涼しい表情に変化はない。
「お礼を考えるより、二度目がないようにしてください。では失礼します」
グレンはそれだけ言い残すと、馬の方へと踵を返した。
「さすがグレン様だわ。噂以上の才能ね」
「これが選ばれし魔術師の力か」
「帝国一の魔術師というのは誇張ではないらしい」
周囲は称賛の言葉と畏怖の眼差しをグレンに送る。
それすらもグレンは興味がなさそうに聞き流し、一度も振り返ることなく馬を跨いだ。
(どれだけ褒めようとも俺は……っ)
ふっ、と小さく息を吐いて沈みかけた思考を切り替える。表情を引き締め直して、急ぎ目的地へと馬を走らせた。
しばらくするとエデルトリア帝国において最も高貴な場所――帝城に到着する。
白亜の城壁は麗しさもさながら、大陸一の強国の名にふさわしい荘厳さがある。高く伸びる尖閣の先では国旗が風に靡き、エデルトリア帝国の威光を示していた。
慣れたようにグレンは門番に馬を預けると、城の奥を目指して回廊を闊歩する。
すれ違う人間は敬意をもって彼に頭を垂れていく。
グレンは当然のように受け入れて進み、重厚な扉の前で足を止めると、背筋を伸ばしてノックした。
「宮廷魔術師グレン・アシュバートン、ただいま参りました」
「入って」
「失礼します」
扉を開けた先では、銀髪の青年が待っていた。
青年が細めた目は、皇族直系でもなかなか生まれないという始祖の色『赤』。筋の通った鼻梁にシャープな輪郭ということもあり、作り物のように美しい顔立ちをしている。
そんな青年に対してグレンは胸に手を当てると、恭しく腰を折った。
「遅くなり申し訳ございません。お呼びでしょうか? フィリップ皇太子殿下」
青年の名はフィリップ・ディ・エデルトリア。今年二十二歳を迎えた、エデルトリア帝国の次期皇帝だった。







