01 裏切りの夜
「姫様、私の代わりに死んでくださいな」
メーダ王国の末姫レティーシャにそう告げたのは、彼女と同じストロベリーブロンドの髪と翡翠の瞳を持つ侍女リズ・ギレットだった。
月明かりだけが頼りの森の中、乗っていた馬車から突き飛ばされて尻もちをついたレティーシャは、呆然とリズを見上げた。
先ほどまで穏やかな雰囲気だったのに、相手の急な態度の変化に理解が追い付かない。
まるで氷の上にいるかのように、地面についた手足から温度が失われていく。
(嘘、よね?)
事実を否定したくて、リズの顔をまじまじと見た。
しかしリズは、顔色を失ったレティーシャを見下ろしながらニッコリと微笑みを浮かべている。
「死んでください」という残虐な言葉を使った人とは思えないほど柔らかな表情で、一切の陰りがない。
そんな――とレティーシャの体は、底知れぬ恐ろしさに震えた。
助けを求めるように護衛騎士と御者にも視線を送る。
だが彼らは動揺した素振りを見せず、この状況を傍観しているだけ。
まるでリズが主というかのように、少し後ろで控えるように立っていた。
どうしてこうなったのか、この場で知らされていないのはレティーシャだけらしい。
震える唇を必死に動かし問いかける。
「みんな、どうして……?」
レティーシャ・ルイ・メーダは、二十歳になったばかりのメーダ王国の第六子である末姫。
甘いストロベリーブロンドの髪はサラリと長く、翡翠の色を持つ目は大きく丸みを帯びている。滑らかな輪郭ということもあり、実年齢より幼い顔立ちをしていた。
そんな彼女は今夜、隣国のエデルトリア帝国の皇太子フィリップに嫁ぐため移動していた。
しかし、とある事情で、メーダ国内から国境までの移動は夜の時間帯が選ばれ、人数も必要最低限になっている。
国境ではエデルトリア帝国の騎士団が迎えのため待機していると聞いていたが、王女の安全を確保しながらそこまで向かうのは重責。
未来の帝国の皇妃に何かあれば、メーダ王国とエデルトリア帝国の間に亀裂が入りかねない。
そんな責任を負うことになっても、レティーシャの侍女リズと護衛騎士たちは自ら付き添うと名乗り出てくれた。
だから彼らを信用していたというのに……。
「穢れた姫に一生を捧げて仕えたい人が、本当にいると思っていたのですか?」
「――っ」
レティーシャの心情を見透かしたように、リズが鼻でフンと笑い飛ばした。
どこかで「やっぱり……」と、レティーシャは納得してしまう。
そっと自身の右肩に手を添え、下唇を噛んだ。
実は彼女が触れたそこには、変わった形の痣がある。
二十年前、レティーシャは右の鎖骨にひし形の痣を持って生まれた。
指で輪を作った程度の大きさだった痣は、年を重ねるごとに増え、濃くなり、今では花弁のように六つの青い痣が並んでいる。
それが良くなかった。
メーダ王国では、昔から生まれ持った痣は『前世は罪人であり、その魂を引き継いでいる証』という迷信が残っている。
赤子のうちに消えれば罪は許された――とみなされるが、逆にレティーシャの痣は増えてしまった。
つまり輪廻を繰り返しても許されないほどの大罪人の魂を持つ、忌まわしい存在。
血統や伝統を重要視するメーダの王家では、致命的な問題に繋がる。
レティーシャは王家の汚点として扱われることになった。
父である国王はレティーシャを病弱な王女と周囲に説明し、療養という名目で幼い頃から王宮の奥へと隠すことにした。事実を知るのは王家の直系と一部の関係者だけ。
レティーシャに接するのは、必要最低限の世話役のみと制限された。
母である王妃も、兄と姉も基本的にレティーシャのもとに足を運ぶことはない。
彼らが末姫の部屋を訪ねるときは、王家の結束力を示すためのパフォーマンスが目的。
顔を合わせても挨拶以外の会話をすることはなく、息が詰まるような時間を過ごす。
無言ならまだ良いほうで、明らかに侮蔑の視線や言葉をぶつけられることも少なくはなかった。
兄姉だけで楽しく談笑する姿を見せつけられ、外に出られないレティーシャには分からない話題ばかり並べられ、強い疎外感を与えられるのが当たり前。
レティーシャは言葉を挟むことなく、聞き役に徹する人形だった。
常に蚊帳の外。それは成長してからも同じ。
メーダ王国における成人した令嬢のドレスは、襟元が大きく開いているデザインが好まれていた。
白くて細い首元を晒すことで純潔を、コルセットで寄せた胸元を強調することで女性として成熟期を迎えたことをアピールするのだ。
ただ、レティーシャがそのドレスを着ると、鎖骨に浮かぶ六花の痣がはっきりと見えてしまう。
だからといって詰襟のドレスを着れば、良くない理由を秘めた王女だとして王家の権威に傷がついてしまう。
そのためレティーシャが十五歳の成人を迎える半年前、ひとつ年上の少女が密かに王宮に迎えられた。
それがリズ・ギレットだった。
名も聞いたことのない辺境の小さな村の女の子で、父が視察先で偶然見つけてそのまま連れてきたらしい。
顔立ちはリズの方が勝ち気な印象があるものの、身なりを整え、化粧で誤魔化したら瓜二つ。王国内にどれだけ見分けがつく人が残るだろうか。
あまりにも似た容姿に、レティーシャ本人も素直に驚いたものだ。
「私が立派に影武者を務めてみせます!」
そう元気よく宣言したリズは、侍女として身の回りの世話をしつつレティーシャの仕草を学び、教育係に王族の作法を叩き込まれた。
ただ、両親と離れ、慣れない生活の中で高等教育を受けることは大変だったらしい。
侍女としてレティーシャの世話をするときには、とても怠そうにしていた。
(私の痣のせいで、苦労をかけてしまっているわ。できるだけ負担をかけないようにしないと)
王族は着替えるときも、コップ一杯の水を飲むにも基本的に侍女の手を借りる。
そこをレティーシャは、王族教育で忙しくするリズのために、自分で動くように気を配った。
そして半年後、リズは影武者として成人式を成功させた。
それ以降、王族が揃わなければいけない式典はリズが影武者として参加するようになったのだった。
どの貴族の令息がハンサムだったか、アクセサリーはどういうデザインが流行なのか、劇団の催し物がどれだけ素敵だったか。
リズは社交界が気に入ったようで、よく楽しそうに外の話を教えてくれた。
でも、レティーシャが直接社交界に関わることはない。
(結婚となれば、夫婦の営みは避けて通れない。血統を重んじるお父様が影武者のリズを差し出すことはない……そうなったら痣を隠すことは無理だわ。婚約者ができることもなく、このまま王宮の奥で病弱な姫として一生を終えるのかもしれないわね)
実際に縁談の話がレティーシャに届いたことはない。父の耳には入っているのかもしれないが、理由をつけて断っていることは想像できた。
過去に、本当に病弱だった王子は結婚することなく王宮で一生を過ごした例がある。
表はリズが、裏ではレティーシャが王族の責務を果たしながら、同じ道を辿るのだろうと思っていた。
だがレティーシャが二十歳を迎えた先月末、人生の転機が訪れた。
大陸の覇者といわれるエデルトリア帝国が、メーダ王国にこう要求したのだった。
『神より啓示があった。桃色の髪に翡翠の瞳、体のどこかに花のような印を持つ姫が王家にいるはずだ。その姫をエデルトリア帝国の皇太子フィリップの妃として迎え入れるため、直ちに嫁がせよ』
神託で示された特徴は、レティーシャにピッタリと当てはまっていた。
エデルトリア帝国は大陸の中央に位置し、半分以上の面積を国土とする大国。いくつも鉱山があり、肥沃な土地も広く、どの分野においても産業が盛んだ。戦争も負け知らず。
これらの功績は神の恵みだとして、国民の信仰心が厚いとされている。
そんなエデルトリア帝国が、神託を重要視するのは当然の流れ。その意思に反することなど、メーダ王国のような小国には無理なこと。
むしろメーダ王国の国王は忌み嫌う忌み姫を堂々と国外へと追い出せる上に、エデルトリア帝国の王妃を輩出できることを大層喜んだ。
『末姫レティーシャが神託に当てはまります。わが国の文化の都合上、六花の印を持つ事実を隠してくださるのであれば、喜んで帝国に送り出しましょう』
メーダの国王は謁見に参上したエデルトリア帝国の特使に、その場でそう返事をした。
そうして帝国の『直ちに』という希望もあって、レティーシャ本人は輿入れの話を聞いて一カ月も経たずにメーダ王国を出発することとなった。
(突然のことで驚いたけれど、王宮の外に出られる日が来るなんて! 外はどんな世界なのかしら? それに神託だとしても、生まれて初めて私を必要としてくれる人に出会えるのも楽しみだわ。皇太子のフィリップ殿下はどんな方なのかしら?)
姿絵で見た皇太子フィリップは、穏やかな笑みが似合うとても麗しい殿方だった。容姿の通り、優しい人柄だと願うばかり。
エデルトリア帝国の次期皇妃という立場には気後れしそうになっているが、何年も一緒に過ごしてきたリズがそばで支えてくれるから大丈夫。
きっと今日から人生は好転する。
そうレティーシャは期待で胸を膨らませていたのだったが……現実は甘くなかったらしい。
リズに突き飛ばされたレティーシャは、地面に手をつきながら小さく震えた。
(痣のせいでこんなに嫌われていたなんて……でも、仕方ないわ。六花の痣は、前世の罪の証だもの)
しかし、命まで狙われる理由までは分からない。
これまでリズに無理難題な命令をしたことも、嫌がらせをした覚えもない。どちらかと言えば、表に出られない自分の代わりに頑張るリズを労わっていたつもりだった。
「リズ、あなたの代わりに死ぬってどういうことかしら? 誰かに命を狙われているの? 迎えの騎士たちが待つ国境まであと少し。リズは大切な侍女だからと、私から帝国の方に助力を仰いでみるから考え直してくれない?」
レティーシャは期待を込めてリズに提案してみる。
だが思いを裏切るように、リズの笑みが悪意に歪む。
「あははは! もう皇太子妃気取りなのですね。本当に姫様はずるいお方。厳しいマナーレッスンを受け、王族の責務を代わりにこなしたのは私だということをお忘れですか? 本来なら、頑張った私がご褒美をもらえるはずですのに!」
小さな村からリズを見つけて侍女にしたのも、厳しい教育を詰め込んだのも、影武者として働かせたのも国王の判断だ。
レティーシャの意思は、そこに一分たりとも含まれていない。
王族の責務についても、公の場に出る式典はリズに任せる形だったが、慈善事業の計画に、招待状の用意、手紙の返事はリズの手を借りずにきちんとレティーシャがやっていた。
侍女としてそばにいたリズこそ、そのことは見てきたはずなのに。
王宮で上手くいっていたのは、すべて自分の手柄だとリズは信じ込んでいるような口振りだ。
「ご褒美って……まさか」
ふと、ひとつの可能性が頭を過る。
リズの考えていることが恐ろしくなり、レティーシャはお尻をついたまま後退った。
どうか思い違っていて欲しいと願うが、報われることはなかった。
「えぇ、姫様と同じ髪と瞳の色、似たような顔立ち、年は私がひとつだけ上……メーダ王国の国民はもちろん、貴族の誰も私が影武者だと気付きませんでした。姫様の姿を目にしたことのないエデルトリア帝国を欺き、姫様に成り替わるなんて簡単なことでしょう?」
「でも、神託の花の痣が――」
「そんなもの、付ければ問題ありませんよ。とても似ていると思いませんか?」
リズは、ブラウスの襟元を開いた。そこからのぞく鎖骨には、くっきりとした花弁が六枚並んだ印があった。
つい先日までなかったことから、急ぎ焼き印か入れ墨を入れたのだと分かる。
忌み嫌う印まで入れるなんて、リズは本気で花嫁の座を奪う気だ。
「そんな……っ」
「ということで、私がエデルトリア帝国の王太子妃レティーシャとして嫁ぎ、姫様は侍女リズとしてここで死んでいただきます。夜盗に襲われ、レティーシャを庇って命を落とした可哀想なリズとして……ね? 血なまぐさい光景は苦手ですので、馬車で待たせてもらうわ」
「リズ、待って! 話を――」
一瞥もせずリズは馬車に乗ると、拒絶するように窓のカーテンを閉めた。
「レティーシャ殿下に恨みはありませんが……」
傍観していた騎士ふたりがゆっくりと剣を抜いて、大きく一歩前に出た。
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