序章二節
グリンは走っていた。森の中を駆け抜けて行く。
森を抜け、小高い丘の前へとたどり着いた。見上げれば、大きな大きな、雲だって突き破るんじゃないかと言うくらいの大樹がある。実際雲なんて突き破れはしない、そうセフィに聞いたグリンだが、この木はきっと雲だって突き破る位大きくなる。確信はないが、信じていた。
グリンだって、ご飯を食べて一杯寝たら大きくなった。木のご飯は水と土だってセフィから聞いた。なら、一日中寝てるように立っているのだから、きっともっと大きくなる。それがグリンの考えだった。
グリンは丘を駆けて、目的の木を目指す。
「あっ、やっぱりセフィここにいた」
目的地に到着すると、もう一人の目的にも辿り着いた。
「グリン、心配かけちゃったかな?」
悪戯を思い付いた子供のようにセフィは笑う。グリンはからかわれると気付いて、そっぽを向きながら答えた。
「う、ううん、セフィじゃなくて、レオン探してたんだ。な、レオン」
大樹に寄りかかるように座るセフィの傍らには、真っ白い毛を持った大きな狼が伏せていた。
「ふふふ、そう、レオン貴方に用があるんだって」
優しく笑いながらセフィはレオンの頭を撫でた。レオンは気持ち良さそうに目を細め、小さく唸っている。
「う~」
グリンも気付かない内に唸っていた。何だか胸がモヤモヤして、レオンにかじりつきたくなったくらいだ。
「あらら、可愛い子供だらけね。私は」
セフィはそう言うと、グリンを抱き上げ、レオンに寄りかからせる。グリンの大好きなレオン枕完成だ。ちなみにセフィも大好きである。そして、セフィは優しくグリンの頭を撫でてやる。
「ち、違うんだよ。レオンと遊びたかったんだ。だから、ここに来たんだよ」
「はいはい、それにしても貴方も重くなったわね。そろそろ抱き上げられないかも」
意地っ張りに返してくるグリンに、誰に似たんだろ、とか思ったが、言うまでもなく自分だと確信してセフィは心のなかで笑った。
「大丈夫、僕が大きくなったらセフィを高い高いしてあげるから」
セフィは呆気に取られて固まってしまう。そして空気が解凍され動き出すと、笑いが止まらなかった。
「なんで笑うんだよ」
グリンが頬を膨らませて文句を言ってるが、セフィは喜びのあまりそれどころではなかった。
「ううん、早く大きくなってね」
目尻溜った涙を指で拭いながらセフィはグリンを撫で続けた。
落ち着いた二人はレオンを枕にして空を見ていた。木の枝の隙間から洩れる光がきらきらして綺麗だった。
「そういえばどうしたの? 走ってきたみたいだけど」
セフィは少し意地悪な質問をした。セフィにはグリンがここに来た理由がないのは知っている。
「………グリン?」
いつまで経っても返事が帰ってこない。
セフィは体起こしてグリンの顔を見る。それを見たら堪えきれず吹き出してしまった。はっ、となり慌てて口を押さえる。
そこで丁度よくレオンが大きな欠伸をする。
「レオン、静かに」
不服そうにレオンはキューンと鳴き、目を閉じた。
幸せ過ぎて、反面セフィは怖くなった。何だか最近感じるのだ、胸の辺りにモヤモヤを、なんだか嫌な予感ばかりが頭を駆け回っていく。
もう一度セフィは空を見た。蒼窮が恐ろしいくらい綺麗で、セフィはその空にどうか私達の関係ない所で世界が動いてくれることを祈った。
それから半年が経ち、冬となり、今日は連日降った雪が積もって森は雪化粧した。
「レオンは中に入らなくて良いの? 寒いよ?」
「レオンは寒いのに強いから大丈夫だよ。まぁ、今日は特別入れてあげなさい。一緒に枕にしましょう」
ちなみにこの会話は毎年している。枕にされるレオンからしたらまた不服そうに鳴くんだろうが、冬場にはとてもレオンは暖かいので仕方ない。
それにしても今日は嫌な予感がする。首の後ろ辺りがチリチリする。森中に嫌な空気が充満している。空気に火薬を混ぜられたような、いつ爆発してもおかしくない。
今日は家に込もって全てやり過ごそう。
そんな時だった。大分離れてはいるが、爆発音響いた。炎の魔法により、森の一部が吹き飛んだ。体の一部が引き千切られたように痛む。
「あ、あれなに?」
「………いいから、レオンと家に入りなさい絶対出ては駄目よ」
そう言ってセフィは外に行く準備をする。自分には行かねばならない場所がある。グリンとこれからも一緒にいるために。
「えっ? セフィどこに行くの? 嫌だよ、一人にしないで」
グリンは服の裾を掴んでセフィを止めた。セフィは屈んで、目線をグリンに合わせるといつものようにゆっくり頭を撫でて微笑んだ。
「心配しないで、直ぐに帰って来るから。そしたらシチューを作りましょ。手伝ってくれるわね?」
不安そうにグリンはうつ向き、小さく頷いた。最後に頭を二回ポンポンと叩き、セフィは扉で立ち止まり振り返る。
「レオンも頼むわよ。グリンのお兄ちゃんなんだから」
レオンは返事をするように鳴いた。セフィは満足そうに頷くと外に出る。外では爆発音と人の叫び声が痛いくらい耳に響いた。セフィは不可視の魔法家にかけて、足早に目的地に向かった。
グリンはレオンにしがみついて小さくなっていた。
セフィが帰って来たら分かるように玄関の側で縮こまっている。
時折聞こえてくる爆発音の度に、体をビクンと反応させる。レオンの背中に顔を埋めてセフィとシチューを作る想像する。
どんなに楽しいだろうか、どんなに暖かいだろうか。二人で笑いながらシチューを作り、今日は寒いからレオンを家の中に入れて三人で寝るんだ。それで起きたら、レオンと外に行って遊ぶんだ。そうだ、花を摘みに行こう。雪の中でしか咲かない花を探してセフィにプレゼントするんだ。きっと喜ぶぞ。
幸せな想像を、幸せな未来を何れ程考えただろうか。何れだけの時間をうつ向いて待っただろうか、何時しか爆発音は止み、夕暮れが訪れていた。
不安だった。レオンが居てもセフィが居なきゃ不安で仕方なかった。レオンもグリンの不安に気付いたのか、顔を寄せて慰めるように鼻でつついてくる。
「レオン………セフィは? セフィはどうしちゃったんだよ………」
キューン、とレオンも不安そうに答える。グリンは言いつけを破ることにする。大丈夫、セフィは言いつけを破っても笑って許してくれる。本当に自分が悪いことをしない限りセフィは怒らない。いつもみたいに、しょうがないと言って笑顔で頭を撫でて、最後に二回頭を叩いてくれる筈だ。
「レオン、行こう。きっとあの木の所だよ」
レオンも悩んでるようだった。とても頭の良いレオンだ。セフィの言いつけを破っても良いのか悩んでるのだろう。でも、心配が勝ったようで伏せていた体を起こして、玄関に向かう。
外は静かだった。なんだか焦臭くって、どこまでも静かで動物達を感じられなかった。
「行こう、セフィに会いたい」
レオンと移動する時は玄関先の大きな岩に乗っかって、そこからレオンの背中に掴まっていた。
何時も通りにレオンの背に乗り、レオンの胴に手を回し、レオンは駆け出した。風景がどんどん流れ、木と木の間をレオンは素早くすり抜けていく。
でもグリンにはこの時間が酷く長く感じられた。早く着いて欲しいのにいつまで経っても大樹には着きはしない。
不安は大きさを増し、体から溢れてしまうんじゃないかと思うくらい堪えた。
目的の丘の前へとやって来た。
「嘘………だよ……」
雲を突き破らんばかりに伸びていた大樹は燃えていた。枝をパチパチと火で鳴らし、風で枝が揺らめく様はまるで苦しんでるようだった。
「急いで、急いでレオン!」
いつもの所に、あの場所に、もしかしたらセフィがいるかもしれない。でも、もしかしたらすれ違いになってて、家に帰ったら居るかもしれない。そうしたらレオンと二人で謝ろう。それでシチューを食べるんだ。
「シチューを………たべ………」
いつもの場所にセフィは居た。居たが、大樹の根本で幹に体を預け眠るように目を瞑っていた。
「セフィ!」
レオンも吠える。グリンは転びながらもレオンから下りて、セフィの元へと駆け寄って行く。
「セフィ! ねぇセフィ! こんな所で寝ちゃ駄目だ。木が燃えてるんだよ、速く逃げなきゃ」
グリンはセフィの肩を掴み、少し乱暴に揺らした。
「………あ…」
小さくセフィがうめいた。グリンは嬉しくなって、肩を掴む手に力を入れたがグリンの手の平は閉じた。
そう『掴めないんだ』
「………グリン? よかったよ………最後に会えて………」
「最後って何っ!? どうして? どうして! どうしてどうしてどうして!? なんでセフィに触れないの!?」
グリンは泣いていた。必死にセフィに触ろうとするが触れない、手がすり抜ける。そこに居るのに、セフィの体はそこにあるのに。
「…………よく聞くんだグリン………君は一人じゃない、レオンもいる………私はいなくなってしまうけど、悲しむ事じゃない。また会えるよ………だから、生きるんだ。なにがなんでも……何をしても、生きるんだ。絶対に生きるんだよ………私の可愛い息子………もちろ……ん……レオンもだよ………」
セフィは苦しそうな顔をしながら必死に笑顔を作っている。レオンも不安そうに鳴いている。
「やだよ………やだよ。お母さん……いなくなっちゃ嫌だよ!」
グリンは必死に叫んだ。涙でセフィがよく見えなくて、拭っても拭ってもやっぱり見えなくて、悔しくて、声が上手く出なくて。
「グリン………今なんて? よく聞こえなかった…………」
「お母さん! お母さんお母さんお母さんお母さん…………うう………あぁぁ………」
「ありがとう………嬉しいや……あはは………」
いつも通りにセフィがグリンの頭を撫でだした。グリンは触れないが、セフィにはグリンが触れるらしい。確な感触がある。
そして、最後に二回ポンポンと頭を優しく叩いてくれる筈だ。
ポン。
………………………………………………………………沢山待った。一杯待った。
それでももう一回は来ない。グリンは顔を上げた。
「セフィ? お母さん…………お母さん………………お母さぁぁぁぁぁんっ!!」
誰も居ない、元から何も無かったように木は静かに、確実に燃えていった。
危険を察知したレオンはグリンを加えて木から離れた。
グリン達が居た場所に燃え盛る枝の一部が音を立てて落下してきた。
レオンはグリンをくわえ、家へと走る。
「……………お母さん…………」




