55.やり直せたら……①〜ザラ王女視点〜
ニーデル修道院の廊下は建物の外に作られており、凍てつく空気のせいで石畳は一年中氷のように冷たい。薄っぺらい布靴は足の指を守ってくれず、凍傷になってしまう修道女もいる。私――ザラはそんな廊下を足早に進んで行く。
「ザラ修道女、静かに歩きなさい」
すれ違った年嵩の修道女が生意気にも注意してくる。
ここでは戒律がすべてだ。身分も美貌も多額の寄付金も関係なく、戒律を破った者には厳しい罰――鞭打ちが待っている。
ここに来てすぐに私も打たれた。
『ザラ修道女、清掃の時間です。布を持って、みなと同じように廊下を拭きなさい』
『私は王女よ。這いつくばるなんて御免だわ』
『では、清掃の代わりに神からの試練をお受けなさい』
懲罰室に連れて行かれた私は、そこで鞭打ちを受けたのだ。……あの痛みは決して忘れられない。
それ以降は恐ろしくて、戒律を破ったことはない。
でも、もう守る必要はない。今日限りでこんな生活とはおさらばですもの。
一週間前、叔父であるアクセルから手紙が来た。そこには、次の面会日に朗報を伝えると書いてあった。
この修道院は面会を三ヶ月に一度と制限している。そのうえ、二親等以内との面会はおろか手紙さえも、甘えが生じるという理由で許されていない。
そんな中、私のもとに一番足を運んでくれたのはアクセルだ。
修道院では愚痴すら許されない。私の話を黙って聞いてくれる彼との面会だけが私の捌け口だった。昔から優しい叔父は何があっても私の味方だ。その彼がもたらす朗報などひとつしかない。
――私はついに解放されるのだ。
歩調を緩めることなく進む私に、後ろから声が掛けられる。
「ザラ修道女、改めないなら上に報告しますよ」
「ご勝手にどうぞ」
私はよく聞こえるように叫んでやった。ここでは大きな声も禁じられている。でも、もう鞭打ちを恐れる必要はない。
アクセルが待っている面会室に着いた私は、意気揚々と扉を叩いた。
「どうぞ入ってください、ザラ」
「お久しぶりです、アクセル叔父様。ずっとこの日を待っておりましたわ」
アクセルは座面に布すら貼っていない質素な椅子に座っていた。この部屋は外部の者を通す唯一の場所なのにソファもないのだ。置いてあるのは二脚の椅子だけ。
修道院長曰く、神は贅沢を求めていないそうだ。私に言わせれば、ゆとりのない生活を誤魔化しているだけ。
私は空いている椅子に座ることなく、キョロキョロと周りを見る。それらしい大きな荷物はない。早くこの修道服を脱いで、本来の私に戻りたいのに。
「着替えは持って来てくださっているのですよね?」
「衣服は支給されたものしか許されていませんよ、ザラ」
「そうではなくて、ここを出ていく時に着るドレスのことですわ」
少しだけ唇を尖らせてしまう。アクセルはドレスのことを失念していたようだ。男性だから淑女の嗜みを分かっていないのだろう。仕方がない途中で購入すればいい。この修道服を着たあとでは、どんな安物でもオーダーメイドのように感じるはずだ。
さっそく面会室を出ようとすると、アクセルに呼び止められた。
「まずは座りなさい。これから大切なことを話します」
座り心地の悪い椅子に座りたくなかったけれど、私は渋々従った。きっと面倒な手続きがあるのだろう。六年前、ここに来た時も、山ほどの書類に署名させられた。
タイアンは組んでいた足を戻し、私に向き合う。
「一ヶ月前、国王の交代が行われました」
「……っ!」
「質問があればどうぞ。可能な限り答えますよ、ザラ」
何から聞けばいいのか分からない。こんな荒唐無稽な話は信じたくない。外の情報は入ってこないけれど、身内が病に倒れたら知らされると聞いていたのに……。
「お父様はいつお倒れになったのですか? 具合はそんなに悪いのですか? お母様はどんなご様子ですか? こんなに早くに国王の座につくなんて、お兄様はご無理をされていませんか?」
心配で堪らず矢継ぎ早に質問してしまう。
身を乗り出す私を、彼は優しく椅子に戻してから口を開いた。
「兄上の退位は健康上の問題ではありません。国王として相応しくないと判断された結果です。兄上夫妻は今は、西の辺境で静養しています。退位後、気鬱の病に罹ったようでして。それから、現国王は私の次兄――あなたの叔父上です。だから心配には及びませんよ」
「謀反……」
それしか考えられなかった。
「違います。貴族院が可決したものを王族の過半数が承認しました。正当な交代です。王太子――ザラの兄は国王になるには経験不足ですので、王太子のままです。問題がなければ、次兄の後に国王の座につきます」
告げられた事実に愕然とする。貴族院にそういう権限があるのは承知している。でも、過去にそんな交代劇は一度たりともなかった。
父は賢王だ。彼ほど国王に相応しい人はいないのに……。
「誰がお父様を嵌めたのですか?!」
私は声を張り上げる。
「ザラ、兄上が六年前に行ったことを覚えていますか?」
もちろん、覚えている。六年前、父は私を助けようと尽力してくれた。なのに、ふたりの魔法士がそれを台無しにしたのだ。その事実を私に教えてくれたのは、確か……他でもないアクセルだったはず。
「もちろんですわ。忌々しい魔法士のせいでお父様の努力が水の泡となったのですから」
「努力ではなく奸計です。嘘で民を操り、ふたりの魔法士の人生を台無しにしました。人として許されないことをしたのです。自分のエゴのために」
アクセルは溜息を吐いてから私の言葉を否定した。そして、その声音には父への侮蔑が込められていた。……ということは。
「まさか、叔父様がお父様を嵌めたのですか……」
わなわなと怒りで唇が震える。信じられなかった。私が知っている彼は、誰かを蹴落とすような人ではなかったはずなのに。




