54.いつかまた……
時計の針を見れば、そろそろこの店を出ていく時間が近づいている。
王都には東西南北それぞれに外に通じる門があり、通るには通行許可書が必要だ。
私達が用意したのはよく出来た偽物。パッと見では分からないから、門番が交代する直前、疲れている時間帯を狙っていく。
二人一緒に店を出るのはまずいので、私がひとりで先に出て途中で落ち合う予定になっている。
「先に行くね、ルーク」
私が立ち上がり掛けると、タイアンがルークライの隣――空いた席にすっと腰を下ろした。
来てくれて良かったと、私とルークライは目を合わせる。彼とだけ、まだ別れの挨拶をしていなかったから。
「タイアン魔法士長、みなに羽交い締めにされたと聞きましたが……」
「どうせ、モロックあたりの発言でしょうね。嘘ですよ、リディア。察した者達に聞かれましたが答えてません。否定はしませんでしたが」
つまり、こうかと聞かれて正しい時は分かりやすく微笑んだりしたのだろう。タイアンらしい。
「ふふ、それは答えたも同然ですね」
私がそう言うと、タイアンは眉を下げ怒っているかと聞いてきた。私とルークライは揃って首を横に振る。
「最後にひとりひとりと話せる機会を作ってくださったこと、本当に感謝しています」
これで思い残すことはない。……ああ、そうだ、これもお願いしないと。
私は胸元から手紙を取り出しテーブルの上に置く。真っ白な封筒には宛先も送り主も書かれていない。
「いつか兄に会う機会があったら渡してくれませんか。マーコック公爵家の中で唯一家族と感じられたのは兄だけでした。と言っても、世間一般の兄妹とは掛け離れていますが。感謝の気持ちだけをしたためています」
「必ず渡しますよ、リディア」
罪人となった妹からの手紙を兄は破って捨てるかもしれない。それならそれで構わない。……でも、兄はそんなことはしないと思う。
何度も真偽を問う――私を案じる手紙が送られてきていた。巻き込みたくなかったから返事は返さなかったけど。
タイアンは手紙を懐に仕舞いながら話し始める。
「時間がないので手短に話します。今すぐ裏口からふたり揃って出てください。午前零時頃に南門のすぐ近くで喧嘩が始まりますので、手薄になったタイミングで門へ。壮年の大柄な門番に『ご苦労様です、ハック』と言えば問題なく通れます」
「店内の監視役は?」
すかさずルークライが問い掛ける。ふたり一緒に出ていくのを見過ごすわけがない。
「今はトイレに籠もってます。どうやら食事が合わなかったようですよ。それと今夜は様々なところで、急患や騒ぎが起こりますが、あなたがたは気にしないでください」
「いろいろと有り難うございます、タイアン魔法士長」
ルークライは父とは呼ばなかった。周りには鴉がいる。彼らの関係は秘密だ。タイアンは「さあ、行きなさい」と急き立てる。
でも、ルークライは立ち上がらなかった。
「国を出る決断ができたのは、あなたがいたからです。タイアン魔法士長なら、俺達の大切な家族を守ってくれる。そうですよね?」
「上に立つ者として全力で守りますよ」
「では、約束してください。正義の名のもとに決して死に急がないと」
「…………」
タイアンは困ったように微笑んでいる。やはり、私達が出奔した後、国王の過ちを正そうと考えていたのだろう。
それは正しい行いだけど、命を捨ててまでやることではない。
私達の出奔自体が国王の嘘を暴くことになる。今はそれで十分だ。その先はひとりの力では無理だから。でも、因果応報は必ずあると思ってる。
答えないタイアンにルークライが向き合う。
「あなたの背中を見て、諦めないことを学びました。いつかまた会える日が来ると信じてます。だから、あなたも信じて待っていてください」
「タイアン魔法士長、またいつかお会いしましょう」
「またいつか……良い言葉ですね。いつまでも待ってますよ」
私とルークライが歩き始めると、鴉達が「またいつか……」と杯を掲げてくる。さよならなんて誰も言わない。
流石は王宮の鴉――私達の家族。
裏口へ繋がる通路を進んでいくと、店内に空いたテーブルが二つほどあった。たぶん、そこに監視役が座っていたのだろう。私達を気に留める者は誰もいない、と思っていたら。
「幸運を……」
柔らかい声が聞こえた。フードを目深に被った人がこちらに向かって杯を掲げている。その人が少しだけフードをずらした。お世話になったお医者様だった。
「ふたりに幸あれ」
「おふたりの幸せをお祈り申し上げます」
今度は違う席から声を掛けられる。あの調査官とその兄――護衛騎士だった。あの時の傷が腕に残っているけれど、とても元気そうだ。ふたり揃って頭を下げてくる。
タイアンは察した者達に聞かれたと言っていた。鴉と限定しなかったのは、こういうことだったのだ。鴉以外にも私達を案じてくれた人がいると知って胸が熱くなる。
一言でいい、言葉を交わしたい。でも……。
私達は酔った鴉の目を盗んで店を出るというていなのだ。ここで接触したら、後々彼らに迷惑を掛ける恐れがある。私達は彼らに向かって深々と頭を下げてから店を出た。
今夜は新月で月明かりはなかった。着替えは持っているけれど、門に辿り着くまではこのままがいいだろう。鴉の漆黒は闇夜に溶ける。
ルークライと私はどちらともなく手を繋いだ。門に辿り着く前にこの手が離れるとしたら捕まった時だろう。すなわち、それは死を意味する。……怖くはない。私達が今、恐れているのは半身を失うことだ。
「この手を離さないでね、ルーク」
「一生離すわけがない。そのためにこの国を出るんだ。一緒に幸せになるぞ」
どこからともなく現れた白は、先導するように闇夜を飛んでいく。どうやら安全な道を案内してくれるようだ。心強い味方がここにもいた。
本当は白を連れていくつもりはなかった。行くあてのない旅路だ。追っ手も掛かるだろう。安住の地を見つけられずに彷徨い続けるかもしれない。
だから、タイアンに託したのだけれども、白はルークライから離れるつもりはないようだ。一緒に連れて行こう。
私とルークライは歩き出す。店から賑やかな声が漏れ聞こえてきたけれど、振り返りはしなかった。
いつかまた、会える日までお元気で……。
――その晩、この国から三羽の鴉が姿を消した。




