52.比翼の鴉〜タイアン視点〜
冷静さを取り戻した私――タイアンは、壁に掛かっている時計を確認する。三人だけで話せる時間はあと十分ほどしか残ってなかった。
私は魔法士長としてふたりを説得する役目を引き受けていた。だからこそ、それを理由に人払い出来たのだ。
ルークライとリディアの顔を、私は交互に見る。
「兄が付けた監視役がもうすぐ戻って来ます。さっそくですが、話を聞かせてもらえますか?」
「俺とリディアはこの国を出ます」
「……っ! ですが、」
単刀直入に答えたのはルークライだった。
予想していた言葉のひとつではあったが、感情に流されて否定しそうになってしまう。ぐっと拳を握りしめ、引き止めるための言葉を一旦飲み込む。
「私や他の魔法士達を頼るという選択肢はないのですか?」
「はい、頼らないと決めました」
「……やはり信用出来ませんか」
私は自嘲気味に呟く。
ふたりが信用できないのは私だ。盾となり国王から守り切ることが出来なかったのだから当然だろう。
だが、ルークライの決断に頷くことは出来なかった。
魔法士が他国へ赴く場合は、事前の申請が必要とされている。貴重な魔法士が他国へ流出するのを防ごうとしているのだ。
当然、出奔などしたら処罰の対象となる。国王のことだからそれを狙っている可能性もある。弱みを握って穏便にことを運ぶ……外交でもよく使っている手段だ。
国王はその手法を最も得意としている。だからこそ、他国と表立って衝突する――戦争を何度か回避出来たのだ。
だから、私は躊躇してしまった。推測だと一笑に付された場面で刺し違えることも可能だったのに……。
私は唯一の王弟ではない。上に四人の兄がいて、スペアとして帝王学を習得している者もいる。だが、急な退位の混乱を敵国が見逃すはずがない。民のためにも、国王の交代は時間を掛けて行う必要がある。
……いいや、それは言い訳だ。
私は大切なものをひとつだけ選ぶ勇気がなかったのだ。
父親になりきれなかったと項垂れる私に、リディアが微笑み掛けてくる。
「信用しているからこそ頼らないと決めました。私達がこの国にとどまれば、みんなは私達を守ろうと動いてくれます。あの国王なら、みなの家族を人質にしかねません。そう思いませんか? タイアン魔法士長」
「……するでしょうね」
普段の兄は良き執政者。だが、ザラ王女が絡むと違う顔を見せるのは実証済みだ。
「王宮の鴉は家族も同然です。でも、彼らにもそれぞれ家庭があって、守るべきは仲間だけではありません。私達のせいで、誰かが傷つくのは嫌なんです」
「だから、やっと見つけた居場所を手放すのですね」
リディアはその境遇から自分の居場所を必死に求めていた。苦しんで、足掻いて、一生懸命に頑張って、やっと鴉という家族を見つけたのだ。
こんな決断をさせてしまったことが心苦しくて堪らない。
リディアは一瞬キョトンとしたあと、ふふっと笑いながら自分の胸に手を当てた。
「私はもの凄く欲張りなんです。大切なものは何一つ手放したりなんてしません。遠く離れたとしても、ずっと心の中にみんないます。これが私――いいえ、私達の居場所です。ね? ルーク」
問われたルークが軽く頷くと、ふたりは交互に鴉ひとりひとりの名を心を込めて紡いでいく。
そして、残すは最後のひとりとなった。
「タイアン魔法士長、家族になってくれて有り難うございます」
「父さん、愛してくれて有り難うございます」
「……っ、……こちらこそ有り難うございます」
私は声を殺して泣いた。
まだまだ守るべき子鴉だと思っていた。なのに、いつの間にか私は追い越されていたのだ。
私は大切なものをひとつだけ選べないと嘆いていたが、ふたりは大切なものすべてを守る道を迷わず選んだ。
寄り添うように立っているふたりの姿は、まるで比翼の鳥だ。
雌雄それぞれが目が一つ、翼が一つのため、常に二羽一体となって飛ばなければならない比翼の鳥は、仲睦まじい夫婦のたとえとなっている。
だが、彼らはただの鳥ではなく鴉。
比翼の鴉は四つの目と四枚の翼で、新天地へと力強く羽ばたいていくのだろう。
子供はいつか親元から巣立っていくものだ。それを止める権利は親にはない。
ルークライに肩を抱かれたリディアは、ぽろぽろと泣いている。本当にこの子は泣き虫だ。これからはルークライの隣でたくさん嬉し涙を流すのだろう。……叶うことなら近くで見守りたかった。
旅立つのは叙爵式典の前だろうと尋ねる。
「今日ですか、それとも明日ですか?」
「明日の宴のあとに出ていきます。叙爵の祝いを仲間内で行うことは随分前から決まっていたので、予定を変更したら怪しまれますから」
ということは、闇夜に紛れて出国するのだろう。
「みなには何も告げずに旅立ちます。そのほうがお互いのためです」
ルークライはきっぱりと言いきった。互いのためではない。知っていて黙っているのは加担したと見なされるからだ。
別れの挨拶も出来ないのは辛いだろう。でも、明日はきっとみなの前でふたりとも笑ってみせるのだ。
「本当に立派になりましたね、ルークライ。セリーヌによく似てます」
「たぶん、あなたにも似ています」
声を上げる代わりに、涙目のリディアはぶんぶんと首を縦に振っている。
「嬉しいことを言ってくれますね。自慢の息子とその嫁は」
気が早いと誰も笑わなかった。
ふたりが結婚したあと会う機会はもう来ない。許可なく他国に渡った魔法士は罪人となる。捕まる危険を犯して戻って来る価値はこの国にはない。
……心の中に鴉は刻まれているのだから。
ルークライとリディアが部屋を出ていった後すぐに、監視役は戻ってきた。
「アクセル様、問題なくお済みでしょうか?」
「もちろんですよ」
監視役はそれ以上聞いては来なかった。
ルークライとリディアは扉を出ると別々の方角へと歩いていった。その姿を確認済みなのだろう。ふたりの表情から決別したと思っているはずだ。
『周囲が誤解するように、リディアとルークライは距離を取ってください。そうですね、リディアは憤怒と悲しみの表情を。ルークライは王命に従い王女を選んだ男を演じてください』
私はふたりにそう告げていた。
策略が得意なのは国王であって周囲の者達ではない。人は自分と同じタイプを近くに置きたがらないものだ。それは兄も同じだった。真面目な監視役は、素直に見たままを報告するだろう。
彼は執務室を足早に出ていった。それでいい。あと二日、波風を立てないことが重要だ。
兄を出し抜ける才覚は残念ながら私にはない。
だが、私だから持っているものもある。王位継承権を放棄したからこそ、上下関係がない本物の友人がいる。
「さあ、忙しくなりますね」
……些細な頼み事なら快く引き受けてくれる友人は少なくない。




