51.親子の絆
タイアンの執務室に赴くと、部屋には彼しかいなかった。魔術士長、そして王弟という立場の彼が執務中にひとりだけになれる時間はほぼない。常に誰かしらが、彼の意見または判断を求めているからだ。……人払いする必要があったということだろう。
彼は数日前とは別人のようだった。
落ち窪んだ目の下には隈が浮かんでいて、いつもきっちり締めている首元もだらしなく緩めてある。
良い知らせがあって呼ばれたのではないのは明白だった。
タイアンは私達のもとに近づいて来ると、椅子を勧めることなく立ったまま話を始める。
「先ほどの国王の茶番は聞きましたね?」
「あれが国を治めていると思うと反吐が出ます」
ルークライは容赦ない言葉を放った。
「同感です。我が兄ながら本当に愚かな父親です。ですが、国王としての手腕は見事なものでした。……呆れるほど」
タイアンは悔しそうに唇を噛み締めたあと続ける。
「綿密に練っていたのでしょう。推測は出来ても痕跡は一切残してませんでした」
「……つまり、打つ手なしということですね」
私は呟くように言葉を吐いた。
いくら人望がある王弟と言えども、何の証拠も提示できなければ誰も動かない。そのうえ、国王は今回、貴族ではなくまず民を味方にした。王弟の推測だけで、領民との信頼関係を崩すような真似を貴族はしない。
国王は圧を掛けずに貴族も上手く封じ込めたのだ。
「幸いにも、私とルークライの関係には気づいてませんでした。私に隠し子がいると疑ったことがなかったからでしょう。ですが、それ以外はしっかり把握してました」
「それ以外とは、私とルークが恋人関係にあるということだけですか?」
タイアンが軽く首肯するのを確認して、私は安堵の息を吐く。
私達の回復については奇跡のままということだ。もし、そこを疑われていたらと、私とルークライは懸念していたのだ。私達のために動いてくれたお医者様に迷惑は掛けたくない。
ルークライはこの場にはいない国王に向かってチッと舌打ちしてから、タイアンに尋ねた。
「それで、国王は何と言って脅してきたのですか?」
誰も味方が得られなかったとしても、タイアンが引き下がるわけが無い。それが分かっていたからこその質問だった。
「推測を話したら世迷い言だと笑ってました。そして、こう言いましたよ。一年目とはいえ魔法士は貴重だ。民の総意を無視して誰かが誤った行動をした結果、彼女を失うのは忍びないと」
「チッ、何が総意だ……」
ザラ王女にとって私は邪魔者だった。つまり、彼女を溺愛している国王にとっても私は不愉快な存在のはず。なのに、現状維持なのは利用価値があるからだ。
明後日の叙爵式で、ルークライが褒賞を拒んだら、私は消されるのだろう。
我が国の王は、他国から賢王と評されている。今までの外交においての実績を見れば、確かにその通りなのかもしれない。
……でも、人としては最低。
国王は父親として娘を切り捨てられなかった。その点は良いとしても、父親なら娘が己の過ちを心から悔いるように導くべきなのだ。
――無罪放免にするのは愛情ではなく、ただの自己満足。
国王は地位も名誉も教養もある。それなのに、どうして良い父親になろうとしないのか。
そう思いながら、血が繋がっていないのに父親になる道を選んだタイアンを見る。
彼は顔を手で覆い小刻みに肩を震わせていた。……咽び泣いていると思った。
けれども、次の瞬間、聞こえてきたのは笑い声だった。
「……くっくく。殺してあげましょうか? いいえ、違いますね。殺しましょう。まず最初に愚かな兄を。……その次はザラを」
彼はそう言いながら顔を覆っていた手をどけた。
いつも穏やかな表情を保っているのに、今は毒を煽ったかのように歪んでいる。……なのに、目だけは爛々としていた。ゾクッとした。狂気が宿っているとき、人がどんな目をするのか初めて知る。
深い愛情が彼を狂気へと誘っているのだ。
お願い、堕ちないで……。こんなの、私もルークライも求めていない。
タイアンは笑い声を零しながら私達から離れていく。王弟なら胸に忍ばせている護身用の短剣で家族の命を奪うことは可能だろう。
でも、その後は……。いいえ、何より彼にそんなことはさせたくない。
「タイアン魔法士長!」
「勝手なことをしないでくださいっ」
――ダンッ。
私とルークライの声と、タイアンの体をルークライが壁に叩きつけ押える音が重なった。
「はっは……は、心配は無用ですよ。迷惑は掛けませんから。愚かな兄に似ているのでしょうね。あなたと私の関係は痕跡を残していません」
「違う、そうじゃない!」
睨み合う形となっているというのに、タイアンはルークライを見ていなかった。いつだって、どんなに嫌がられたって、彼はルークライを見ていたというのに。
俺を見てくれと表情で訴えるルークライ。その横顔は父を案じる息子のものだった。
タイアンはこんな顔を見られる日をずっと待っていたはずなのに、狂気に支配され気づけない。
――どこまでもすれ違ってしまうふたり。
「タイアン魔法士長、ルークライの話を聞いて下さい!」
私達はタイアンに一縷の望みを託していた。でも、駄目だった時のことも、ちゃんと話し合っていたのだ。決して、彼だけにこの結果を背負わせるつもりはなかった。
伝えたいことがあるのだと必死に訴えるが、私の声もルークライの声も届かない。
「……俺を見てください」
絞り出すようにそう告げた。
「……俺のことを見てください」
「時間がありません。また後ででいいでしょうか」
今行かせたら後でなんてないくせに、タイアンは微笑みながらそう告げてくる。
ルークライの顔が歪んでいく。 タイアンを止められないのが苦しくて仕方がないのだ。自分のために彼に死んで欲しくないのだ。
「お願いだ、聞いてくれ」
ルークライの必死の懇願に、タイアンはゆっくりと首を横に振る。
私も何か言うべきなのに言葉が出てこない。泣けないルークライの代わりに、私の目から涙が零れ落ちていく。
その時、ルークライが初めて父を呼んだ。
「…………父さ……ん」
「……っ!」
その声がタイアンの目から狂気を消していく。狂気に駆り立てたのが愛情なら、鎮めるのもまた愛情だったのだ。
「リディア、私の息子はいつから口が悪くなくなったのでしょうか……」
タイアンの声は喜びで微かに震えている。私は泣きながら「だいぶ前からですよ」と、とっておきの秘密を教えてあげた。




