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二人の公爵令嬢 どうやら愛されるのはひとりだけのようです【書籍化決定】  作者: 矢野りと


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29.狼竜の錯乱

「この服のこと、シャロンは勘違いしたみたいだけど」


「申し訳ございません、お姉様。その服を着てらっしゃるということは私の思い違いだったのですね」


 みなまで言わずともシャロンは察したらしく素直に謝ってくる。

 なにごとかと、周囲の視線が私達に集まる。彼女を晒し者にするのが目的ではない。分かってもらえればそれでいいのだ。私は笑顔を見せて、気にしていないと伝える。


「シャロン、狩猟大会を楽しんでね」


 そう言って先に歩きだすと、いつの間にかザラ王女が前に立っていた。その横には着飾ったあの侍女達もいる。今日は友人として侍っているようだ。王女はシャロンを手招きして、自分の隣に呼び寄せる。


「シャロン様。シャロンの勘違いは愚かでしたが、私を思ってのことです。どうか、お許しくださいませ」


 王女は親密さをアピールするように、シャロンの肩に優しく手を置いた。一見するとシャロンを庇っているように思えるけど、実のところ、自分に非はないと言いたいのだろう。


「許しておりますのでご心配には及びません」


「良かったわ。でも、私の友人が迷惑を掛けたのだから花を贈らせてくださいませ」


「そんな気遣いは無用で――」


「私の花は受け取れませんか?」


 こんな言い方をされては断れない。 


「お言葉に甘えていただきます」


 後日花が贈られてくると思って返事をすると、クスクスと笑う侍女達に気づく。


「では、この先にある池に行ってくださいませ。それは見事な桔梗が咲いております。王室の領地に生えるものを採取するのは禁じられておりますが、シャロン様には特別に一輪差し上げますわ」


 ザラ王女はそう言うと、友人達を引き連れていってしまった。


 侍女達の忍び笑いの意味が分かった。

 池は北東エリアの端にあり、もともと狼竜の住処ではない。参加者達には狩猟エリアでないと伝えてあるので、本来ならそこまで巡回する必要はないのだ。


 無駄に歩かせたいのだろう――ただの嫌がらせ。


 王女様は内面が幼い。周囲にいる友人(侍女)達もそうだ。どちらがどちらに引きずられているのか知らないけど……。

 あの言い方だと、後で桔梗を見せろと言ってくるに違いない。無視して面倒なことになってもタイアンが対処してくれるだろう。……でも、王女の思う壺になるのは癪に障る。


 もし単なる嫌がらせではなく、誰かが待ち伏せしてたとしても、防御の盾で自分の身は守れる。


 遠いと言っても私の足なら余裕だ。先の細い靴を履いたことしかない淑女とは違う。幼い頃、遠い市場まで歩いた経験を活かすのは今であると、私は周囲に人がいなくなると走り出した。



 池に着くと確かに桔梗が咲いていた。私は一輪摘むとまた来た道を走って戻っていく。

 参加者達の姿がちらほらと見え始めた辺りで、私は歩きながら息を整える。

 巡回の途中で王女にあったら、「ありがとうございます」と桔梗をみせてあげよう。流石にもう何も言えないはずだ。


「できれば会いたくはないけど……」


 独り言を呟きながら予定通りに巡回していると、突然つんざくような声が聞こえてきた。それも、ひとりではなくて数人の声。


 どこから……?


 という問いの答えはすぐに分かった。


 叫びながら参加者達が、こちらに向かって逃げて来たからだ。

 私は彼らの流れに逆らって走っていく。すれ違いざまに「何があったのですか?」と叫んだけど、誰も答えない。

 令嬢達は自慢の髪型が崩れるのも気にせず必死に走っている。令息達も同じようなものだった。

 

 答える余裕などないのだ。


 いったい何があったの、外部から侵入者……?


 とにかく、みなが一斉に逃げ出すような何かがあったのだ。


 私は走りながら携帯している発煙弾を打ち上げる。

 ひとりでは対処困難な場合にはすぐに打てと指示されていた。これで騎士達が駆けつけてくれるはず。私の判断が間違っていて無駄足に終わったとしても、間に合わないよりはいい。



 森の開けたところで、ひとりの騎士が一頭の狼竜と対峙していた。彼の後ろには、ザラ王女と逃げ遅れた数人が庇われるようにかたまっている。



――外部からではなく、襲ってきたのは狼竜だった。



 ……ありえない。でも、ありえないことが目の前で起こっているのだ。

 私は走って壮年の騎士の隣に並ぶと、前を向いたまま叫ぶ。


「もっと騎士様に近づいてください! 私の防御の盾の範囲は狭いので」


 後ろを見なかったけれど、みな言う通りに動いたのは分かった。私は集中を切らさないように気をつけながら、今の状況を確認する。


「騎士様、狼竜はどうしたんですか?!」


「分からない。一頭が急に襲いかかってきた。たぶん、錯乱している」


「何かしたんですか?」


 彼は荒い息を吐きながら首を横に振った。


 周囲を警備している騎士ではないだろう。駆けつけて来たにしては速すぎる。たぶん、離れて付いていた王女の護衛だ。王女の護衛がひとりだけとは考えづらい。これから駆けつけるのかと、期待を込めて尋ねる。


「他の護衛の人はどこですか?」


「負傷して動けなくなったふたりは、幸いなことに令息達が担いで逃げてくれた」


 護衛騎士に選ばれるなら相当な手練れのはずなのに……。いいえ、今考えることじゃない。

 私は軽く頭を振って気持ちを切り替える。


「先ほど発煙弾を打ちました。すぐに助けが来ます」


「魔法士殿、防御の盾であの狼竜を囲めるか?」


 騎士は狼竜を睨んだまま尋ねてくる。


 防御の盾は文字通り”盾”なのだが、四方を囲むことも可能だ。だが、それには高度な技術がいる。私には無理だ。それに、動いているものを囲める魔法士など数人しかいない。


「私では出来ません」


「では、我々全員を囲むのは――」


「無理です。前面に盾を発動している状態を維持するのが精一杯です」


「後ろに回り込まれたら――」


「防護の盾を後ろに発動し直します」


 私は事実だけを告げた。でも、経験豊富な騎士にはそれで十分に伝わったようだ。


 発動し直すということは一瞬のスキが生じるということ。つまり、狼竜の爪の餌食になる者が出てしまう可能性があるのだ。

 でも、彼は私を責めることも焦りを見せることもなかった。魔法士と組んで任務に就いたことがあるのだろう。動揺が魔法士の集中の妨げになると分かっているのだ。……とても有り難い。



「では、魔法士殿は前だけに集中してくれ。横と後ろは私に任せろ。数分なら余裕で持ち堪えられる」


 騎士は最後の言葉だけ大きく叫ぶように告げた。後ろの者達を安心させるためだ。彼らが怯えて勝手に動いたら、数分すらも持ち堪えられなくなってしまう。


 冷静な彼となら数分を乗り越えられると確信した、その時。


 空に煙の筋が数本、いや数十本が続けざまに立ち昇る。発煙弾が他の場所でも打ち上げられたのだ。発煙弾を持っているのは魔法士と森の中を警らしている騎士達だ。使用方法は応援を要請するときのみ。


 ……数分で応援はもう来ないかもしれない。











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