28.狩猟大会の始まり
狩猟大会当日の朝。
狩猟の場となる王室が所有する領地に到着すると、すでに貴族令息令嬢の姿がたくさん見受けられた。大会が始まるまであと一時間ほど余裕があるのに、待ちきれなかったのだろう。
私はそんな彼らの横を素通りして魔法士達の姿を捜した。中央に集合することになっているけど、なかなか見つからない。いつもと違って漆黒の制服を纏っていないので紛れてしまっているのだ。
あっ、いた……。
私が最初に見つけたのは紫銀の髪だった。駆け寄ろうとして足を一歩踏み出したところで、ぎこちなく動きが止まってしまう。
どんな顔で挨拶すればいいのか――というよりも、この緩んでしまった顔をなんとかしないと……。
私は頬に手を当てて、筋肉に刺激を与える。
でも、焦れば焦るほど、昨日の記憶が鮮明に蘇ってくる。にやけた顔を周りの人に見られまいと顔を伏せていると、誰かの靴先が私の目に映った。
「リディ、おはよう」
「ひゃっ! お、おひゃよう……ございまする」
「くっくく、なんだその言葉使いは。でも、良かった。昨日のことは忘れていないようだな」
ルークライはいつもと同じように笑顔を見せてきた。私と違って余裕があるのが羨ましい。
彼の肩には白がとまっている。でも、漆黒ではなく灰色がかった白を基調としたシンプルな服なので、周囲からは濡れ鴉だという声は聞こえてこない。
それでも、彼に秋波を送る令嬢はあとを絶たない。以前なら相変わらずモテるなで終わっていたけれど、今はモヤモヤしてしまう。だって、私には焼きもちを焼く権利がある――と思うと、嬉しくもあった。
口元は緩んでいるのに目は少しだけ鋭い、そんな変な顔をする私。ふと、彼を見れば同じような顔をしている。
「リディの可愛い姿を、他の奴が邪な目で見ると思うと許せないな。片っ端から射殺してしまいそうだ」
ルークライが真顔で冗談を言うと、後ろから誰かが口を挟んでくる。
「射殺すとは穏やかではありませんね。魔法士の評判を落とされては困るので、できたら覆面でもして闇討ちでお願いしますよ、ルークライ」
颯爽と登場したのはタイアンだ。
彼は今日、魔法士としてではなく王弟としてこの場にいるので、王族に相応しい綺羅びやかな衣装を身に着けている。
「ただの冗談です、タイアン魔法士長」
「はっはは、そんな顔してよく言いますね。大丈夫ですよ、他言などしませんから。それはそうと、リディ。どうやら嫌われる勇気を出せたようですね。おめでとうございます、でいいですか?」
「ほへぇ?!」
こんな変な声を出したのは初めてだった。まるで彼は、私とルークライに昨日何があったのか分かっているような口ぶりで。
私は横に立っているルークライをパッと見た。
「ルーク、もう話したの?」
いつかは報告するべきだと思っていたけれど、昨日の今日とは思わなかった。だが、返事をしたのは彼ではなく、タイアンのほうだった。
「ふたりの様子から察しただけですよ、リディ。彼は大切なことは私に話しません。ね? ルークライ」
「タイアン魔法士長、個人的なことに他人が口を出すのはやめてください」
「それは失礼しました。余計なお節介が過ぎましたね。では、この話は終わりにしましょう。そろそろ、主催者の挨拶が始まるようですし」
タイアンは私達から離れて、中央に設けられた壇上に向かっていく。壇上の上にはすでにザラ王女の姿があった。
狩猟大会の主催は年若い王族が担うのが慣例となっている。実際に準備をするのは家臣なので王族は名前だけ。今年成人したばかりの王女でも十分に務まるのだ。
彼女が纏っているドレスは、昨日見たものとは違っていた。遠目から見てもその光沢から高級な布地を使用していると分かる。叔父であるタイアンに嫌われたくなくて、本来用意したものを着たのだろう。
私とルークライが他の魔法士達と合流すると、ちょうどザラ王女が壇上で挨拶を始めた。
「お集まりの皆さま。今日は待ちに待った狩猟大会です。ご存知の通り、ただ狩るのが目的ではありません。どうぞ、この機会に人脈を広げてくださいませ。そして、素敵な出逢いを見つけてくださいませ。それがこの国を支えることに繋がっていくのです」
威風堂々とした王女に参加者達から拍手喝采が起こる。王族としての教育の賜物だろうけど、出来れば外面だけでなく内面もこうであって欲しかった。
周囲に合わせては私も手を叩いていると、ルークライが耳打ちしてきた。
「暫く俺達の仲は伏せておこう。王女が――」
「分かってる、ルークに夢中なんでしょ。タイアン魔法士長から聞いたわ」
「すまない。しつこくてな……」
「平気よ。タイアン魔法士長も私達の味方だから」
そう言うと途端に彼の眉間に皺が寄る。
この顔、誰かに似ている? そうか、タイアンに似ているのだ。ルークライとタイアンはまったく容姿に共通点はないのに、ふとした表情が似る時がある。
飼い主と犬が似るように、上官と部下も似ることがあるようだ。
王女の挨拶が終わると、続いて文官達の説明が始まった。例年ルールは同じだけど、初めて参加する者のために行うのだ。
狩猟大会と言っても、本当に殺傷するわけではない。これは安全な娯楽。
この森には狼竜という珍しい生き物が生息している。その見た目から厳つい名前がついているが、とても穏やかな性格をしていて襲ってこないし逃げもしない。
でも、それだと狩りにならない。なので、この日のために事前に捕獲して興奮作用のある食事を与えたあと放つのだ。のろのろと逃げ回わる狼竜を、参加者達は歩いて追いかけ弓で射る。と言っても、殺傷能力はなく毛に色をつけるだけ。最後に色を数えて優勝者が決まるのだ。
貴族令息令嬢のお遊びに付き合わされる狼竜はいい迷惑である。
「では、それぞれ指定された場所へ行ってください。健闘を祈ります」
文官がそう告げると、ぞろぞろと参加者達が移動を始める。
王女を筆頭に令嬢達はみな華やかなドレスを着ている。でも、動きやすいように、いつもより丈が短くボリュームも押さえ気味だ。
魔法士達も彼らに紛れて、それぞれの配置場所へと移動する。誰かを警護するわけではないので、定められたエリアをひとりで巡回するような形で任務につく。
何かあったら各自の判断で対応することになっているが、過去を遡っても問題が発生したことはないらしい。
この森は周りをぐるりと荒野に囲まれており、ぽっかりと浮かんだ島のようだった。騎士達が取り囲むように警備しているので、外部からの侵入を許したことはない。
参加者は素性が確かな令息令嬢のみなので、問題が起こりようがないのだ。みな輝かしい自分の将来を潰す気などない。
魔法士は本当にいるだけという感じであった。
私が配置されたのは北東よりのエリアだった。中央から離れているけれど景色が一番美しい場所だ。そこを目指して歩いている令嬢のなかに義妹がいた。
厳密に言えば私服の今日は王宮の鴉ではない。だから、私は声を掛けた。
「待って、シャロン」
「シャロンお姉様、あら、その服……」
振り返った彼女は気まずそうな顔をしている。どうやら、私の予想は当たっていたようだ。




