襲撃(2)
「はあ、はあ……っ」
リリティアは懸命に足を動かしながら、迷路のような路地を迷いなく進んでいた。
(大丈夫。王都の詳細な地図は全て頭に入ってる。――そして、ウィルから教えられた組織の全ての情報も……!)
「大丈夫、きっと、間に合わせる……!」
少し開けた通りに出たリリティアは、真っすぐに目的の店を目指した。そこは赤煉瓦造りの落ち着いた雰囲気の店だった。貴族向けの商品を扱っているのか、門構えも洗練されている。
「いらっしゃいま……」
店のドアが開けられた音に店員が振り返るが、怪訝な顔で言葉をとぎらせた。
入って来た少女が、立派な貴族家のお仕着せを着ているのにどこかから逃げてきたかのようにマントはボロボロで、息も絶え絶えな様子だったからだ。
「すみませんが、厄介ごとはお断り……」
「赤毛に赤褐色の瞳……ダイン・ノートンさんですね」
リリティアの言葉に、店員・ダインは瞳を細めて警戒した。自分の本名を知る者など、本当に限られた数名しか存在しない。ダインは貴族派を探るために王都に潜入している組織の諜報員だからだ。
「お嬢さん、なぜその名を知っている?場合によっては……」
ちらりとカウンターの裏に隠しているナイフに視線をやったダインだったが、少女から差し出されたものに目を見開くことになる。
「それは……!」
「貴方に、お願いしたい事があります」
真っすぐな瞳でダインを見る少女の手元には、美しい彫刻細工の銀の懐中時計。文字盤には、彫刻に紛れるように特殊な暗号を刻んでいる。
組織の幹部でもごく一部しか持つことの出来ない、ボスと同等の命令を下すことの出来る印だ。
「!かしこまりました。なんでもご命令ください」
すぐに膝を折って頭を下げたダインに、リリティアは静かに口を開いた。
***
「くっ!」
公爵家の暗部の男の蹴りを受け、ガスパルは痛みに歯を食いしばる。体中に切りつけられた傷があり、失血で立っているのも辛い状況だ。ましてや毒で意識も朦朧としており、もはや倒れていないのが奇跡のような状態だった。
(くそッ。ギリギリ食い止められているが、これ以上は厳しい!姐さん、何とか逃げ切っていてくれ……!)
血を失い過ぎた足から力が抜ける。ガスパルは最後の力を振り絞って倒れ伏すマリアンヌの近くで膝をついた。
(王太子殿下のご婚約者で姐さんの大切な親友だ。せめてこの身を盾にしてでも守ってみせる)
覚悟を決めた目で男たちを睨みつけるガスパルに、傷の男が残虐な笑みを浮かべる。
「は、驚くほどのタフさだが、ついに膝をついたか。そんなに頑張らずとも、もうすぐお前たちは揃って毒で心臓が止まることになる。お前たちを見捨てて逃げたあの女を恨みながらな」
暗示を受けていた公爵家の護衛たちも毒にやられて倒れている。絶望的な状況だが、ガスパルは血を吐きながらもニヤリと笑ってみせた。
「は、姐さんを恨む?そんなこと天地がひっくり返ってもする訳ないだろうが。あの人は俺らの希望なんだよ。それを守れて、これほど誇らしいことはないさ」
「この周囲は我々の縄張りだ。すぐにあの女も捕まることになる。自分のしたことの無意味さを嘆きながら死ね」
傷の男がナイフを振り上げる。ガスパルがここまでかとマリアンヌに覆いかぶさったその時、凛とした声が響いた。
「止まりなさい!!」
声の主を目に捉えて、ガスパルはその瞳に絶望を宿す。
「姐さん、なんで……」
ガスパルの声が届いたのか、男たちを挟んで反対側の位置に立つリリティアは申し訳なさそうに眉を下ろして小さな笑みを浮かべた。
(ごめんなさい、ガスさん。でも、二人を死なせることなんて、私にはできなかった……)
「ターゲット自ら戻ってきてくれるとは、探す手間が省けましたね。素直に来てくれる気になったんですか?」
余裕の笑みを浮かべる男を見つめながら、リリティアはゆっくりとポケットから取り出したナイフを手に持つ。
「ははは!まさか、我々相手に貴女が戦うとでも?そんなナイフじゃ、私たちには傷一つ付けられませんよ」
馬鹿にしたように笑う男たちに、リリティアは口角を上げてゆったりと微笑む。
「ええ。そうなのでしょう。――でも、私を傷つけるには十分なんです」
そう言ってリリティアは、良く研がれたナイフを自分の首筋に押し当てた。そして凛とした声で言葉を発する。
「今すぐ彼とマリアンヌ様から離れてください。でなければ、私はこのナイフで首を切ります」
「……はは、そんなの脅しになりませんよ」
「そうでしょうか?」
リリティアは自身の怯えなど少しも悟らせることのないように、余裕のある笑みを浮かべ続けた。
「私はブランザ公爵をよく知っています。公爵は無慈悲で、冷徹で、そして部下の失敗を絶対に許さない」
ゆっくりと紡がれる言葉に、男たちは僅かに身じろぎする。心当たりはあるだろう。少しでも公爵の意に沿わない行動を起こした者たちを始末してきたのは、自分たち自身なのだろうから。
「貴方たちは、こう命令されているのではないですか?リリティア・カスティオンを無傷で連れてこいと」
ブランザ公爵のほの暗い瞳を思い出す。彼は何故か昔から、リリティアをブランザ公爵家に入れることに執着していた。はったりだが、恐らく事実であろうことは男たちの様子を見れば分かる。光魔法の使い手を始末したいだけなのなら、二人を人質にとるように公爵家秘蔵の毒を使うまでもなくリリティアにも効く毒を使えばよかったのだから。
「貴方たちは、力のない小娘が自分の首を掻き切ることなどできないと高を括っているのでしょうが……、私には医学の心得があります。正確な頸動脈の位置も、どれだけの力でどうナイフを入れればいいのかも分かっています。死には至らずとも、大量出血を引き起こすことなど造作もないこと。そんな状態の私を公爵の元に連れて行って……果たして貴方たちは無事でいられると思いますか?」
「は、自分から死ねるわけ……」
「ふふ、心配ありません。私が死んだら困る貴方たちが、懸命に治療してくださるでしょう?だから私は躊躇いなく切れます」
リリティアの静かな瞳に、男たちは唾を飲み込む。それでも動かない男たちに、リリティアはグッとナイフを自らの首に押し当てた。その白く細い首筋に赤い筋が入り、ポタポタと垂れた赤い雫が地面を濡らす。それを見て、表情には出さずとも男たちが顔を青くするのが分かった。
「私を傷つけたくないと言うのなら、今すぐマリアンヌ様たちから離れてください!私以外の人の命を保証してくれると言うのなら、貴方たちと行くことを約束します」




