襲撃(1)
「ジョルジュ殿下、陛下のご快復、心よりお喜び申し上げます。父もきっと朗報を心待ちにしているでしょうから、本日はいったん下がらせていただきますわ」
オルティス一世の肖像画の飾られたホールの前で、マリアンヌはジョルジュに優雅に頭を下げる。人の出入りの多いこの場所で行われた会話に、話が耳に入った人々のざわめきが起こる。
「王がご快復されたのか?」
「例の隣国の医者……。光魔法を使うと言うのは本当だったのか?」
ざわざわと話す周囲に気づかぬ振りをしながら、ジョルジュも予定通りのセリフを口にする。
「ああ、リーデルハイト公爵によろしく伝えてくれ」
「はい」
そうして礼をし城を後にするマリアンヌには、一人の侍女が付き従っていた。
***
「……はあ、無事に城を出れたわね。これで一安心だわ」
「はい。ありがとうございました、マリアンヌ様」
マリアンヌに感謝の言葉を伝えるも、その表情の陰りは隠しきれてはいなかった。マリアンヌはそんなリリティアに労わるように言葉をかける。
「大丈夫よ、リリティア。ウォーレン先生……じゃなかった、ルーベンス様はずっとあなたを守ってきた方でしょ?あなたを悲しませるような事はしないわ」
「はい」
リリティアは最後に抱きしめられた時の腕の温度、そして熱い真夜中色の瞳を思い出して小さく笑みを浮かべた。その信頼しきった表情に、マリアンヌは嬉しそうにくすりと笑う。
「ふふ、愛されているわね、リリティア。私の言った通りだったでしょう?元婚約者のあんな馬鹿男よりも、ウォーレン先生の方があなたにお似合いよ、って」
いつか学園でした会話を持ち出して誇らしそうに胸を張るマリアンヌに、リリティアもくすくすと噴き出した。
「はい!ジェイコブ様と婚約が破棄できて、とても幸せに思います」
まるであの頃に戻ったように、くすくすと二人は笑い合う。
その時、リリティアはふいに窓の外の景色に違和感を覚えた。じっと窓の外を見つめるリリティアに、マリアンヌが首を傾げる。
「どうしたの、リリティア」
「……マリアンヌ様、王城から真っすぐにリーデルハイト領へ向かうはずでしたよね?」
「?ええ、その予定だったけれど」
「……今、この馬車は恐らく西門へ向かっています」
リリティアの言葉に、マリアンヌは表情を険しくさせて窓の外を見た。リーデルハイト領は王都から南の方角に位置する。王都から向かうのならば南門を使うはずだ。ましてや、西門は貧民の多い地区に近く治安も悪い。貴族はほとんど使わない門だった。
「何故かしら?攪乱のためにいつもと違う道を行っているの?」
(違う……。これは、人通りの少ない場所に誘導されている⁈)
リリティアは急いでマリアンヌに馬車を止めるように伝えた。
「マリアンヌ様、今すぐ馬車を止めさせてください!」
「分かったわ!――今すぐ馬車を止めなさい!」
小窓から御者に伝えるが、馬車は速度を緩めることなく進み続ける。近くを走っているはずの護衛たちを見るも、何故か何の疑問も抱かずに馬で並走しているように見える。
(まさか、闇魔法で操られている⁈)
リリティアは素早く思考を巡らせる。
闇魔法の発動条件はいまだ分かっていない。王族派の当主たちのように意思に反する命令であれば抵抗し意識を失う。しかしもしかしたら単に道順を変えるというだけの単純な命令ならば、自らになんの違和感も抱かせずに暗示にかけることが可能なのかもしれない。
「な、なんで止まらないの!護衛たちは何をしているの⁈」
マリアンヌは焦ったように狼狽える。ガチャガチャと扉を開けようとするも、鍵がかかっているのか開けられないようだ。
「マリアンヌ様、代わって下さい」
マリアンヌに代わり扉の前に座り込んだリリティアは、髪からピンを引き抜くと鍵穴に差し込んだ。
「大丈夫です、ウィルに鍵開けはしっかりと教わっていますから」
カチャカチャとピンを動かし始めて瞬きの間に、カチッと鍵の開く音がした。
「開いた!」
「リリティア、あなた……」
驚くマリアンヌの手を引いて、リリティアは座席に庇うように座って顔を近づける。
「マリアンヌ様、闇魔法で護衛たちが暗示を受けている可能性があります。誘拐目的なのか暗殺目的なのか分かりませんが、誘導場所に着く前に逃げる必要があります」
「でも、走っている馬車から飛び降りたら怪我ではすまないわ」
「ここはまだ王都の中です。入り組んだ造りになっていますから、曲がる際にスピードを落とすはずです。そのタイミングを見計らって、脱出しましょう」
リリティアの言葉に、マリアンヌは真剣な表情で頷いた。
「分かったわ」
二人はいつでも飛び出せるように手を握り合って馬車がスピードを落とすタイミングを待った。
そして馬車が曲がり角に差し掛かったその瞬間、二人は馬車の外に身を投げた。
「くっ」
背を地面に打ち付けた痛みはあるが、二人は幸いにも怪我無く馬車から脱出することができた。
流石に二人が飛び出したことに気が付いたのか馬車は止まるが、護衛たちはその場に止まったまま動こうとしない。
(目が焦点を結んでいない……。やっぱり、闇魔法の影響下にある!)
「マリアンヌ様、急いでここから離れましょう!」
リリティアはマリアンヌを立たせると急いで駆け出す。
しかしその前に、六人ほどの男たちが立ち塞がった。
彼らは浮浪者のような格好の者や町人、商人の身なりをした者と様々だったが、共通して鋭い目つきでリリティアを捉えている。隠す必要もなくなったのか、身のこなしも一般人とはかけ離れた暗殺者のもの。リリティアは顔を青くさせた。
(先頭にいる灰色のローブの男の顔の傷……。覚えてる。ブランザ公爵邸で一度だけ見たことがある。彼らは、恐らくブランザ公爵の汚れ仕事を行う暗部の者たち……!)
ブランザ公爵の指示で暗躍する公爵お抱えの集団が存在することは知っていたが、こうして見たのは初めてだった。
(こんなところで出会うなんて……!初めから私を狙っていたの?それなら何故、このタイミングで……)
初めからリリティアの事に気が付いていたのならば、ブランザ公爵はあの場でリリティアの変装を暴いていたはずだ。それなのに何故今になってリーデルハイト公爵家の馬車を襲うような大きな事件を起こしてまでこんなことを……。
(ううん、今はとにかく逃げ出さないと。でも、どうやって……!)
マリアンヌとともに逃げ切ることは難しいと頭の冷静な部分は判断を下すが、リリティアは諦めることなくじりじりと下がりながら周囲を観察する。
その時、ドガッという音が響いて端にいた男が横に吹っ飛んで行った。
「姐さん!ご無事ですか⁈」
隻眼の大男がまた一人男を蹴り飛ばしながらリリティアの前にやってきた。リリティアは驚いたように顔を上げた。
「ガスさん!どうしてここに⁈」
「ボスが姐さんを守るようリーデルハイト家までの経路の護衛を指示してたんです。途中で道を逸れたんで焦って追って来たんすよ」
ガスパルはそう言って前を向くと、男たちと対峙した。1対多数だが、ガスパルは大柄な体に似合わぬ俊敏な動きでリリティア達に近づこうとする男たちをけん制して近づけなかった。
「チッ、厄介な」
そう言った顔に傷のある男は、胸元から何かを取り出しニタリと残忍な笑みを浮かべた。
「だが、どんなに強かろうが、我らの任務に失敗はありえない」
その何かを地面に投げつけると、小さな爆発音とともに周囲に煙が舞う。
「煙幕か⁈いや、それにしては威力が小さすぎ……ガフッ!」
「ガスさん⁈」
突如口から血を吐き出し膝をついたガスパルに、リリティアは慌てて駆け寄ろうとするが、その横で今度はマリアンヌまでも血を吐き倒れ込んだ。
「マリアンヌ様⁈……これは、毒⁈」
青い顔で毒を特定しようとマリアンヌを診るリリティアに、冷たい声がかけられる。
「これはブランザ公爵家に伝わる毒ですよ。貴女にもブランザ公爵家で独特な味の茶が出されていたでしょう?その茶を飲んでいる者には効かない特殊な毒です。一般の医師では治療もできず死を待つのみ。……ですが貴女が素直に我々について来ると言うのなら、この者たちに解毒薬を投与してやってもいい」
リリティアに断ることができないのを分かっている強者の笑み。リリティアは悔しげにグッと拳を握った。
(頷いたところで、本当に解毒薬が投与されるのかも分からない。ましてや、私が連れていかれた後に証拠隠滅のために殺されてしまう可能性が高い。でも、このままじゃ結局……)
リリティアが少しでも時間を稼ぐために前に歩き出そうとしたその時、膝をついていたはずのガスパルがふらりと立ち上がり庇うようにリリティアの前に立った。
「ガスさん⁈」
「姐さん、逃げてください」
ガスパルはリリティアを振り返ると、ニカリといつもの明るい笑顔を浮かべた。
「姐さんはボスが命より大切にしている人だ。そして、俺たち組織の宝でもある。だからどうか、逃げてください。絶対に俺が足止めしてみせるんで」
「そんな……ガスさん……」
潤んだ瞳を見開き震えるリリティアに、さらに横合いからも言葉がかかる。
「……そうよ、リリティア。貴女だけでも逃げなさい!貴女は王族派の切り札なのよ。命に懸けても守ると私は誓った。だからこんなところで捕まることは許さないわよ!」
「マリアンヌ様……」
マリアンヌは座り込みながらも、口元の血を拭って泣きそうなリリティアに勝気な笑みを浮かべて見せる。きっと、起き上がるだけでも辛いはずなのに……。
「さあ!早く!」
ガスパルの叫びに背中を押され、リリティアは唇を噛みしめ涙を耐えながら背後の路地へと飛び込んでいった。




