王の治療(2)
「おい、あの指輪は一体何だったんだ」
青い顔の侍従長の横を悠々と通り過ぎるウルティオと並んで歩きながら、ジョルジュがこそりと尋ねる。
「あの侍従長は王城の宝物庫の品を窃盗して隣国の闇オークションに流して私腹を肥やしていたんですよ。蛇の道は蛇。裏組織には顔が利きますから、貴族派の金の流れは注視してたんです」
指輪の小箱を指先で弄ぶように右手に持ち変えると、ウルティオは手品のようにパッと箱を消してニッと笑った。その笑みにジョルジュは頭を抱えたが、すぐ後にははっと噴き出すように笑いだす。その後ろでは、マルティンも耐えられないというように肩を震わせていた。
「まったく、とんでもないことをする。……だけど、侍従長の様子には正直胸がすく思いだ」
「それは何より」
「お前は何も変わっていないな。厭味ったらしい法学の教師を完膚なきまでに専門分野で言い負かしていた時の事を思い出したよ」
懐かしそうに昔の事を語るマルティンに、ウルティオもにやりと笑みを浮かべる。共に王太子であるジョルジュを支えるために過ごした幼少期の絆は今も消えることなく二人の胸にあった。
「積もる話はたくさんあるが、それは全て終わってからにしよう。父はこの先の棟にいる」
ジョルジュの言葉に皆真剣な顔で頷く。王城に潜入できる機会などきっとこれきりだろう。王城という公共の場に顔を出したことで、今後狙われる可能性も高くなる。今回、確実に王の治療を行わなければならなかった。
ジョルジュが頷き返し、先頭で重厚な絨毯の敷かれた廊下に踏み入れようとしたその時、視線の先に佇んでいた人物を目にしてジョルジュはギクリと足を止めた。
同じように、全員の表情が険しくなり廊下が一気に緊張感に包まれる。
「――これはジョルジュ王太子殿下、ご機嫌麗しゅう」
他者を支配することに慣れた、重く響く低い声。ゆったりと足を踏み出しているだけなのに、のしかかるような重圧が迫ってくる錯覚を覚える。後ろに数名の騎士を従え、全身を覆う厚いマントを翻すその様は、まるで王者のような存在感を持っていた。
「ブランザ公爵……」
ジョルジュが絞り出すような声でその人物の名を告げた。
そこには、貴族派の筆頭であり国を裏から支配する男が佇んでいた。
「……このような場所で、公爵は何をしていた」
ジョルジュの固い声で紡がれる問いに、ブランザ公爵は作られた笑みを張り付かせたまま底冷えするような冷たい目をこちらに寄越す。
「ああ、優秀な医師がやってくると聞いて、是非お会いしたいと思ったのですよ。これも陛下を思う臣下の心ゆえ」
ブランザ公爵の言葉に、ジョルジュが苦々し気な表情を浮かべる。貴族派の妨害が入る予想はしていたが、ブランザ公爵自身がやってくる可能性は低いと思われていた。公爵は駒の貴族を動かし自らが表に出てくることはほとんどなかったからだ。
助手の少女を背に隠しながら、ウルティオは気取られぬように前に出、胸に手を当てて優雅に頭を下げた。
「お初にお目にかかります。私が治療を担当します医師、ジョン・バリュセルと申します。若輩の身ゆえご心配もありましょうが、誠心誠意治療に当たらせていただきます」
医師としての挨拶に「そうか。しっかりと治療を行うように」とだけ返した公爵に、ウルティオは公爵の思考が読めずに訝し気な表情を浮かべそうになるが、笑顔の仮面でそれを隠した。
(王の治療を妨害しに来た訳ではないのか?何を企んでいる?)
あっさりと通そうとする公爵に、油断してはならないと思いながらも皆の緊張が一瞬緩む。
足早に公爵の横を通り過ぎようとしたウルティオ達だが、――しかし助手の少女が通り過ぎようとした途端、その細腕をブランザ公爵がガシリと掴んだ。
「何をなさるのですか!」
少女の腕を掴む手を逆につかみ、ウルティオが剣呑な目でブランザ公爵を見遣った。
「彼女は私の助手をしている者です。彼女になにか?」
「陛下のもとに出入りするのだ。不審な者でないか顔を確認したいと思ってな」
つばの大きな白いメイドキャップで髪を覆い俯いているため、少女の顔は見られない。怯えたように後ずさろうとする少女を見下ろし、公爵はほの暗い笑みを浮かべた。
「それに、もしかしたらこの者は我がブランザ公爵家に連なる予定の者かもしれんのでな。なに、顔を確認するだけだ。すぐに済む。……それとも、何か見せられない訳でもあるのか?」
ウルティオは、公爵の言葉に瞳を氷のように凍て付かせた。
ブランザ公爵の腕を握るウルティオに、公爵の護衛の騎士たちが剣に手を伸ばす。
一触即発の空気の中、公爵は強引に少女の頭に手を伸ばした。




