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王の治療(1)


王の病状が思わしくないとして式典なども自粛の動きが見られていたオルティス王国の城下では、ある噂が流れていた。


「おい、聞いたか?王族派の当主たちがずっと伏せっていたらしいって」

「ああ、貴族派に負けて表に出て来ないだけかと思っていたが、原因不明の病で揃って意識が無かったらしいな」

「でも、つい最近意識が回復したんだろう?なんでも、隣国の優秀な医師が治療したとか」


オルティス王国では医師の資格を持てるのは貴族の男性のみ。そのため、この話を聞いた者の頭の中では当然のように男性の医師が想像されていた。

そこに、新しい情報を我先に話したがっている様子の男が話に入ってくる。


「知り合いがシュルス伯爵家で下働きしていてソイツから聞いた話なんだが、なんでもその医師は光魔法が使えるらしいぞ」

「魔法なんてお貴族様のもんだから全然知らないが、光魔法ってのは病気も治せちまうのか?凄いもんだな」

「今度王様の治療も行うそうだ」

「そりゃあいい。王様に元気になってもらって、もっと貴族派の奴らの横暴を取り締まってもらえたらなぁ」

「おい、下手な事口にするな。貴族のやつらに聞かれたら不敬罪で殺されちまうぞ」


――このような会話が、すぐに王都の至る所で囁かれるようになる。



***



「ウィリアム君、陛下の治療を行う日まで情報を流して良かったのか?もっと秘密裏に行った方が良かったんじゃ……」

「いいんですよ。どうせ王城で治療する事になるのなら、遅かれ早かれ王の治療を行うことは気づかれます。危険を冒して忍び込んだところで秘密裏に始末されては元も子もありません。だったら、堂々と乗り込んでしまった方が暗殺の危険はグッと下がります。何より大事な事は、治療を行うのがリリィである事を気づかれないこと。そして、確実にリリィを王城から無事に脱出させる事です」

「……そうだな。リリティア嬢は私たちの命綱だ。君の計画通りにしよう」


王城へ向かう馬車の中、レイト侯爵は重々しく頷くとウルティオの隣に座る赤毛の助手の少女に目を向けた。






馬車が王城に着くと、貴族用の表口から三人は連れだって中に入った。美しく整えられた庭園を眺める優美な回廊の正面には、このオルティス王国の初代国王である解放王オルティス一世の肖像画が飾られている。奴隷たちの自由を勝ち取り建国を宣言する姿が雄々しく描かれるその絵は建国時からこの広間に飾られているという。そこから左右に荘厳な大理石の階段が二階へとのびており、王のおわす本宮へと続いているのだ。


その階段へ足を踏み入れようとした三人に、制止の声がかけられた。


「待たれよ。其方たちは誰の許可を得て本宮へ足を踏み入れようとしているのだ?」


階段の上方からこちらを見下すのは、仰々しい服装の壮年の男性だった。恰幅の良いその男性の胸には侍従長を示すバッチが留められている。この王城の、特に王族の生活についての差配を握っている貴族派の手先である。


「侍従長殿とお見受けする。私はワーグナー・レイト。侯爵家の者だ。本日は王太子殿下とお約束があり参りましたが、侍従長殿には話がいっておりませんでしたかな」


慇懃に頭を下げるレイト侯爵に、侍従長は馬鹿にするように鼻を鳴らして眉を顰める。


「ええ、ええ。聞いておりますとも。なんでも、ご自身を治療した医師に陛下を治療させようとか……?そんな愚かな噂話が平民にまで広がっているようですね」

「はて、愚かとは?」

「レイト侯爵、あなたは長年の闘病生活で少々貴族的な考え方を忘れてしまわれたようですね。国の宝たる国王陛下を、どこの馬の骨とも知れぬ者に診せるなど考えられない事ですよ。そもそも王城には最高峰の宮廷医師がおります。それを押しのけ怪しげな医師を連れてくるなど、それは王家に対する侮辱も同等ですぞ!!」


自らの発言が覆されることなどありえないとでも言うような尊大な物言い。この男は、このように王権を笠に王城を自らの思い通りに動かしてきたのだろう。しかしそこに、レイト侯爵の後ろに控えていた白衣の青年から声が上がった。


「侍従長様、発言のご許可をいただけますでしょうか?」

「チッ、たかが医師風情がこの私に……」

「ああ、たかが医師風情が貴方様へ発言するなど誠に恐れ多いことでございます。しかし私はこの国の王太子殿下より依頼された身。王太子殿下からの命に背き簡単にここで帰ってしまう訳にはまいらないのでございます」

「王太子殿下はまだ年若い。判断を誤ってしまうこともあるだろう。この件は私から伝えておくので其方たちは帰ってよいと言っているのだ」


王太子の命でさえも軽く見ていることが分かる発言に眼鏡の奥の瞳をすがめてウルティオは笑った。


「これは勉強不足で申し訳ありません。オルティス王国に参ってまだ日が浅いため知りませんでした。こちらの国では、侍従長様は王太子殿下よりも位が高かったのですね」


貴族派ののさばる現在のオルティス王国では、厳格な身分制度が敷かれている。公の場で身分不相応の言動があれば処罰が下るのも常だった。そんな中、王城のど真ん中でされたウルティオの発言に侍従長はギョッとした目を向ける。

王族が貴族派の傀儡とされているのは公然の秘密であるが、オルティス王国の頂は王族と法で定められており貴族派も表面上は王族に頭を下げるのだ。


「な、何を不敬な事を言っているのだ!そんな訳ないだろう!」

「おや、そうでしたか?私には貴方が王太子殿下の命を軽んじ勝手に撤回したように聞こえたのですが」

「違う!私は殿下の為に言ったまでで……」


「私の為だと言うのであれば、彼らを通してもらおう、侍従長」


周りの目を気にするように怒鳴る侍従長に、はっきりとした声が響く。声の元を辿れば、そこにはジョルジュとマリアンヌが立っていた。二人の後ろには側近のマルティンとマリアンヌの侍女も控えている。


「侍従長、レイト侯爵たちは私が招待した者たちだ。なぜ邪魔をしている。私の命を聞いていなかったのか?」

「な!お待ちください。私はどこの馬の骨とも分からぬ医者が陛下に近づくのを防ごうとしたまででございます」

「では、その者が身分ある者であれば問題ないということだな?」

「それは……」


ぐっと忌々しそうに顔をゆがめた侍従長は言葉を詰まらせる。しかし、それを了承ととった医師の青年に扮するウルティオはパッと笑顔を浮かべた。


「ああ!自己紹介がまだでございましたね。私はガイル国バリュセル侯爵家のジョン・バリュセルと申します。どうぞお見知りおきを」


優雅な仕草で頭が下げられる。するりと肩をすべる金髪に、その秀麗な容姿を見ればその場の誰もが名家の子息と信じるだろう。実際、侍従長は文句の付けようのない作法に悔しそうに歯噛みをした。


「彼の身分は僕が保証する。これで問題はないな?」


すっと侍従長の横を通り過ぎようとしたジョルジュたちだが、侍従長は声を荒げて遮った。


「王太子殿下!そのような外部の者を城内に引き込むなど、誠心誠意陛下に仕えてきた我々に対する侮辱ですぞ!殿下は、我々や宮廷医師が治療に手を抜いていたとでも言いたいのですかな⁈それはひいては、国を支える貴族たちへの侮辱ととりますぞ!」


ここでいう貴族たちとは、貴族派の貴族たちを指している。侍従長は、貴族派に王太子の反抗的な言動を伝えるぞと脅しているのだ。

王城では、自身だけでなく臥せった父や妹も貴族派に監視されている。常に人質がとられているようなものなのだ。

侍従長の言葉に顔色を悪くし拳を握るジョルジュに、侍従長はいやらしい笑みを浮かべた。


「我々を軽んじるような言動は次期国王としていかがなものかと……。大丈夫でございます。私がこれからも殿下の正しいあり方についてお教えしてまいります。――亡き王妃様のようには、なりたくないでしょう……?」


侍従長の言葉に、ジョルジュは血が滲むほど強く拳を握った。王妃のように殺されたくなければ言う事を聞け。そう言っているのだ。

これほどの侮辱を受けても、この侍従長を更迭することの出来ない自分の無力さに目の前が真っ赤になるほどの怒りがわく。


そこに、先ほどから変わらぬ笑みを浮かべていたウルティオが明るい声を上げた。


「いやあ、侍従長様の王家への忠誠心、感動いたしました。隣国でこのようなご立派な志の貴族の方に出会えて私、感動しております」


そう言ってズイッと近づいてきた青年は、警戒心を抱かせない自然な仕草で侍従長の手を握って嬉しげに上下に振る。


「な、何をして……!」

「お近づきの印に、こちらを献上させてください」


そうしてニコニコと、無邪気そうな笑みで胸元から取り出した小箱を侍従長の手に握らせる。そして侍従長に見せつけるように、パカリと目の前で蓋を開けてみせた。


中に入っていたのは、細かな装飾が施された真鍮の指輪。


それを目にした途端、侍従長の顔色が青く変わった。


「な、何故これを……」


その声は震え、ダラダラと脂汗まで垂れている。怯えるようなその瞳には、人畜無害そうに笑うウルティオの笑顔が映っていた。


「やはり博識な侍従長様はお分かりになりますか!これは隣国で特別な伝手を使って手に入れたものなんです。素晴らしい品でしょう?」


良い品に決まっていた。何故ならそれは、外へ出るはずのないオルティス王家ゆかりの品なのだから。普通であれば、王国崩壊の危機などでなければ国外へ流出するはずがない。


(なぜこんなところにコレがある⁈絶対にバレないように裏オークションに流したというのに……!)


ガタガタと足を震わす侍従長の前に差し出されているのは、自身が秘密裏に王城の宝物庫から横領した品だった。侍従長は今の地位を利用し、王族所有の宝石類を盗んで私腹を肥やしていたのだ。貴族派の指示ではなく独断で行っていたため、貴族派にもバレないように慎重を期して隣国の裏オークションに流していたのに。


(まずいぞ、勝手をしたことがバレれば、ブランザ公爵からこの地位を罷免されてしまうかもしれん。いや、それだけで済めばよいが、お怒りに触れれば命も危うい……!)


「素敵な品でしょう?実はこれは私のコレクションのごく一部なんですよ。こちらの国の方たちと仲良くなりたいと持ってきたのです。他の方たちにもお渡しすれば、きっと喜んでくれますよね?」

「それは!」


焦って止めようと腕を伸ばす侍従長の手をやすやすと掴むと、まるで親し気な友のように顔を近づけウルティオは囁いた。


「ですが、侍従長様が私たちを歓迎していただけると言うのでしたら、侍従長様にだけにお見せして差し上げます。どうなさいますか?」


侍従長はその問いに、是という以外の答えは持ち合わせてはいなかった。



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