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盗作


次の週もまた次の週も、ウルティオは甘いお菓子と共に裏庭に現れた。

授業内容について話す時もあれば、二人静かに本を読む日もあった。好きな本を語り合った日もあれば、城下の美味しいお菓子のお店の話を聞かせてくれる日もあった。

週に一度のこの不思議な昼休みだけの邂逅は、リリティアにとってとても心安らぐものだった。


――これは怪盗さんの優しさだ。きっと昼休みを一人で過ごす私を気にかけてくれているだけ。

怪盗さんもお仕事があるもの。だからずっと続くわけではないことは分かっている。


……だから、あと少しだけ、このままの時間が続くことを願っていた。



「お母さん、毎週ね、怪盗さんが来てくれてお話しするの。それがね、とても楽しみなの。

……私だけ、こんなに楽しくって、良いのかな。お母さんは、治療で大変なのに……」


治療院の病室で、リリティアはいつものようにお母さんに話しかける。

返事がないことに、リリティアは悲しげに視線を下ろして胸元に隠している小さな巾着袋を握りしめた。


「ごめんね、疲れちゃったかな?また来週来るからね、お母さん」



***


 

――きっとこれは罰なのでしょう。

私が、自分の立場も忘れて浮かれていたから。



その日の朝学園の門をくぐったリリティアを待っていたのは、現実を突きつけるような生徒たちからの嫌悪の視線だった。その人だかりの中心には、見事な演技で泣き崩れるビアンカとその肩を抱くジェイコブの姿があった。


(今回は何の指示も受けていないはずなのに、どうして…?)


周りの反応からリリティアが来たのが分かったのか、ジェイコブは顔を上げてまるで演説するかの如くリリティアを糾弾した。


「リリティア・カスティオン!常々お前の醜い言動には辟易としてきたが、今回は呆れてものも言えん!」

「何の……事ですか?」

「お前は、経済の授業で課された課題でビアンカの論文を盗用しただろう‼︎」


それはおそらく本日が提出期限の経済学の課題のことだ。

リリティアはいつものように自分用とジェイコブ用の二つの論文を仕上げて渡していた。

いつもは内容など気にしないジェイコブが、今回はお前のも見せろ、良い方をもらってやると言って二つの論文を持って帰っていたが、先日無事に返されたため提出していたのだ。


「私は、決してそのようなことは……」

「ここにお前の論文がある!前々からビアンカが一生懸命書いていた論文と全く同じ内容じゃないか!経済学の教授からの指摘があり発覚したのだ!自分が盗用しておきながら、ビアンカに盗用の罪をなすりつけようとしたのか⁈恥を知れ!ビアンカがどれだけ悲しんだ事か」

「良いのです、ジェイコブ様。私は……うっ……」


悲しみの涙を流すビアンカが、一瞬だけリリティアに向けてニヤリと笑みを向けた。それだけで、リリティアは自分の役回りを理解した。事前の指示が無かったのは、リリティアが焦る様子を見て笑いたかったのだろう。


「婚約者として、妾腹のお前には我慢してきたが、これほどお前が婚約者で恥ずかしい事はない!誰かを虐げる事ではなく、少しくらいは自分を高めるために努力してみてはどうだ、この恥知らずが!」


ジェイコブは、嗜虐的な笑みを隠しながら言い放つ。


――違いますと、言いたかった。押し付けられた事とは言え、リリティアは学問に対しては常に真摯に取り組んできた。元平民だったこらこそ、学ぶ機会が与えられる事がどれほど貴重な事なのか理解していたから。

しかし悪役令嬢である私の話など、誰も聞いてはくれないだろう。彼らにとって、リリティアは身分の低いビアンカを嫉妬からはしたなく罵る、まさに物語に出てくるような妾腹の悪女なのだ。彼らはその悪役が罵倒され、負け犬の様に無言で去っていく場面を見たいだけ。そしてただ演劇のように、見目の良い公爵家嫡男と可愛らしい男爵令嬢の健気な愛の結末が見たいのだ。


(皆、ここで悪役である私が糾弾される事を望んでいる。それに、ここで否定をしてジェイコブ様の機嫌を損なう訳にはいかないわ……)


非難するいくつもの視線の中で、リリティアは全てを諦めたように、握りしめていた拳からふっと力を抜いた。



しかしその時、入り口前で集まる人々の中にウォーレン講師――ウルティオがいる事に気づき、サァっと顔から血の気が引いた。



――見られて、しまった。

 


リリティアの頭を占めたのは、強い焦燥と絶望感だった。


彼はこの現場を見てどう思うだろう。

人の論文を盗用する人間だと、思われただろうか。

他の人みたいに、彼にも、蔑んだ目で見られてしまうだろうか。


ーーもう、あの裏庭のベンチには、来て、くれないだろうか……。


そう考えると、ぎゅうっと心臓が凍りついたような痛みを感じて胸を押さえて下を向いた。

どんな目で見られているのか確認するのが怖くて、とても視線を上げていることなど出来ない。

こんな時になって、リリティアは自分の気持ちに気が付いた。


(ああ、私は、怪盗さんとの時間が本当に、大切だったんだ……)


家でも学園でも、誰もが蔑みや嫌悪の視線を向けてくる中で、唯一笑顔を向けてくれる人。

無表情で面白味もない私なんかと、楽しそうに話をしてくれる人。


その光を失うことが、何百の蔑みの視線よりも、ずっとずっと怖かった。




スカートをギュッと握りしめて俯いていると、誰かがすっと近くを通る気配を感じる。


恐る恐るそちらを窺えば、目の前には大きな背中。


まるでジェイコブから庇うようにリリティアの前に立つ、ウルティオの姿があった。


「え……?」


信じられないように目を見開くリリティアが言葉を発せられずにいれば、ウルティオはジェイコブに向けて口を開いた。


「少し、その論文を見せていただいて宜しいでしょうか?」

「は?何故そんなことを…」

「いえ、盗用する程となれば、とても素晴らしい内容ではないかと思いましてね。是非ビアンカ嬢の論文に一度目を通させてほしいのです」

「ウォーレン先生、私とても驚いてしまって…。確かに先日リリティア様に論文を見せろと取り上げられたのですが、先日返されたので提出したのです。神聖な学び舎で、まさか侯爵令嬢のリリティア様が盗用などという行為をするなんて……」


分かりやすい講義をすると生徒達から評判の良い見目麗しいウルティオに対して、媚を売るように涙ながらに語るビアンカ。しかしそれを慰めることなく黙殺し、論文を受け取ったウルティオは素早く目を通すと静かな視線をビアンカに向けた。


「なるほど、良くまとめられていますね。……ところでビアンカ嬢、経済学者ナリア氏の提唱した代表的な論文を知っていますか?」

「……え?何でそんな事を今聞いてくるのですか?」

「それは、答えられないという事で良いですか?」

「……っ」


ウルティオの言葉に、ビアンカは悔しそうに唇を噛む。


「リリティア嬢は、答えられますか?」

「……ギルア政治論における経済変動、です」

「その通り。良く勉強されていますね」

「それが、今何の関係があると言うのだ!」


騒ぐジェイコブに対して、ウルティオは堂々と向き合って言葉を発した。


「この盗作疑惑のあるリリティア嬢の論文の内容を理解しておられますか?この論文はそのナリア氏の理論に基づいて比較検討しています。つまり、この論文を書いた者がナリア氏の理論を知らないなど、あり得ないのですよ」

「なっ!」


ジェイコブとビアンカは焦ったように顔を引き攣らせた。これでは、ビアンカの方が盗用したことがバレてしまう可能性がある。

誰もいない場なら平民であるウォーレン講師を脅して口外を禁じることなどいくらでも出来ただろうが、リリティアを大勢の前で貶めるために校舎の入り口で茶番を始めたことが裏目に出たのだ。今や非常に人気のある講師であるウォーレンをこの衆人環視の場で脅すことはさすがのジェイコブも躊躇われた。

悔し気にウォーレン講師を睨むジェイコブに、しかし彼は穏やかに笑いこの場を収拾するための妥協案を提示した。


「もしかしたら、何か勘違いをされてしまったのかも知れませんね。ビアンカ嬢の論文は、たまたま同じ命題でまた違った切り口から考えたものなのではないですか?」

「……そ、そうだな」


間違いを認めるなどプライドの高いジェイコブにとっては憤死ものの事だったが、この場ではそうおさめるしかないのはわかっているのだろう。殺しそうな視線でウォーレン講師を睨みながらもそう答えた。

周りを囲っていた生徒たちから、ザワザワと訝しげな騒めきが巻き起こる。


「チッ、平民の分際で調子にのりやがって。次は無いと思え」

 

去り際、周りに聞こえないように告げられた公爵家嫡男の脅しに対して、ウルティオはなんら恐れる事なく笑みを浮かべて見せた。


「ええ、肝に銘じておきましょう」


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