始動
「あの、そう言えばルーベンス様はどうやってこの部屋へ入ってこられたのですか?」
話がひと段落したとき、アンネリーゼが不思議そうにウルティオに尋ねる。
ウルティオはにこりと笑うとピィと指笛を吹く。するといつの間にか外に出ていたらしい藍色の小鳥が再び窓から飛びこんできて、ゆったりとした羽ばたきとともにウルティオの指先に舞い降りた。
「リリィにはあらかじめ侯爵のもとにたどり着いたら部屋の窓を開けておくように頼んでいたのです。それは光魔法の光を誤魔化すためでもありますが、この鳥にリリィの居場所を特定させるためでもありました。場所さえ特定できれば、私はそこまで飛んでこれますから」
「飛んで……?ここは3階ですよ?」
「ウィルは、強力な風魔法で空を飛ぶことができるんですよ」
不思議そうなアンネリーゼにリリティアが説明すると、侯爵もアンネリーゼも信じられないような顔で固まっていた。そっくりな様子にくすりと笑うと、リリティアは何かに気づいたように眼鏡に手をかけた。
「そういえば、姿を偽ったままでは失礼でしたね」
そう言ってするりと藍色のウィッグと眼鏡を取り去ったリリティアの姿に、アンネリーゼは再び驚きに目を見開くことになる。
元から先生は整った顔立ちをしていると思ってはいた。しかし隠されていた流れる絹糸のような美しいミルクティーブラウンの髪に、神秘的な宝石よりも美しく輝くラベンダー色の瞳、そして神様が完璧なバランスで配置したかのような美しい容姿はビスクドールのようだった。それでも、色づく頬と柔らかな笑みが温かな人間味を添えている。
……こんなに綺麗な人だったとは思わなかった。
こちらもまた美しい容姿のルーベンス様と並べば、まるで完成された一対の絵ようだ。
リリティアは眉を下げて、ぼうっとリリティアを見上げていたアンネリーゼに目線を合わせて膝を折る。
「貴族派を止めるためとは言え、アンネリーゼ様を騙してしまい申し訳ありませんでした」
アンネリーゼは勢いよくぶんぶんと首を振る。
「いいえ!先生は我が家を救ってくださいました。謝られることなどありません!」
「ありがとうございます、アンネリーゼ様」
ふわりと微笑んだリリティアに、アンネリーゼは頬を真っ赤に染める。
「……あの、先生。もしも、全てが終わったら……、また、私の先生になって下さいますか?」
「私の父であるカスティオン侯爵は誘拐された娘などもはや政略結婚の駒に使えないからと、早々に私を絶縁しているようなのです。ですので、今の私の身分は平民になります。アンネリーゼ様の社交界での後見人となる力はありません。……それでも、よろしいのですか?」
「はい!私は、他の誰でもなく、リリティア様に教わりたいのです!私は、先生のような淑女になりたいのです!」
真っすぐに告げられたアンネリーゼの言葉に、リリティアは嬉しそうに微笑み頷いた。
――後にアンネリーゼはとても大きな後ろ盾のもと社交界デビューを果たし皆に羨まれることになるのだが、今はそのことを知る者は誰もいないのだった。
リリティアとアンネリーゼのやり取りを微笑ましげに見守っていたウルティオと侯爵は、真面目な表情に戻すと今後の事を話し合う。
「貴族派の多くの罪状の証拠は集まっています。しかし、そのまま提出しても貴族派に握り潰され、成功したとしてもトカゲのしっぽを切る様にブランザ公爵は逃げきってしまうでしょう」
「王族派の他の当主たちを回復させることができれば、我ら王族派で圧力をかけることもできるのだが……」
侯爵の言葉に、ウルティオは難しそうな表情を浮かべる。
「しかし、それにはリリィが各家を回って治療する必要がある。狙われる危険性が確実に増してしまいます」
「そうだね。能力の不確かな闇魔法に唯一対抗できるリリティア嬢を危険にさらす訳には……」
考え込む二人に、アンネリーゼの隣で立ち上がったリリティアは呼びかける。
「ウィル」
真っすぐなラベンダー色の眼差しと真夜中色の瞳が交わる。それだけでリリティアの気持ちを読み取ったウルティオは、困ったような表情で乱暴に頭を掻いた。
「……リリィの考えは分かってるよ。でも、君には安全な場所にいてほしいと思う俺の思いも分かってほしいんだが……」
「ごめんなさい、ウィル」
申し訳なさそうな表情を浮かべながらも、その瞳の強い光は変わることなく輝いている。
ウルティオは諦めたように体中から吐き出したような大きなため息を吐いた後、リリティアの正面に移動する。両手をそっと掬うように繋ぐとぽすりとその頭をリリティアの肩に落とした。
「……俺こそ、ごめん。リリィにばかり負担がいく状況が不甲斐なくて仕方がない」
「私は、ウィルに頼ってもらえるのは嬉しいですよ」
リリティアはそう微笑んでするりとウルティオの頭に頬を寄せる。
自分の力がウィルの役に立てることは、リリティアにとって何より嬉しいことなのだ。心配をかけてしまうことは分かっているけれど、それでも自分にできる事は精一杯頑張りたい。
心からと分かる笑顔を浮かべるリリティアを、ウルティオが包み込む様にぎゅっと抱きしめた。
「……絶対に、俺が守るよ。だから力を貸してくれる?」
「はい!もちろんです」
何よりも安心できる腕の中で、リリティアは笑顔で頷く。
ウィルに救い出されてから、たくさんの経験をした。いつだって大切に守られてきた。どんなに大切に思ってくれているのかも、もう十分に分かっている。それでも私の意思を尊重してくれるウィルと、一緒に戦いたいのだ。それを認めてくれることが、こんなにも嬉しい。
得体の知れない闇魔法の存在やブランザ公爵の底知れない瞳はいまだに恐ろしいけれど、リリティアは前を向き、貴族派に対峙する覚悟を決める。
私はもう、未来を諦めていたあの頃の自分じゃない。ウィルが一緒なら、何があっても進んでいけると信じられるから。
これにて第2章は終了です。次回からは王都へ乗り込む最終章、王宮編となります(*^^*)最後までお付き合いいただければ幸いです。




