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レイト侯爵(2)


「……リア先生!リナリア先生!」


焦ったような声に、リリティアは現実に戻って来たかのように瞳を開く。

目の前では、酷く心配そうにリリティアを覗き込むアンネリーゼの姿があった。


「アンネリーゼお嬢様……?」

「!良かった!いきなり目を開けられないまま苦しそうにされたので、意識を失われたのではと心配いたしました」


目を開けたリリティアに心底安堵した様子のアンネリーゼを安心させてあげたかったけれど、リリティアは先ほど目にした闇の塊を思い出してドッと早鐘を打つ心臓に短く息を吐きだした。


(あの闇は、まさか……)


「先生、お顔が真っ青です。お加減が……?」


心配そうなアンネリーゼを目にして、リリティアは思いついた考えを一旦頭の隅に追いやった。


「いえ、大丈夫です。それよりお嬢様、侯爵様を」

「えっ?」


リリティアの言葉に不思議そうに振り返ったアンネリーゼは、レイト侯爵の様子を目にして大きく目を見開いた。


「え?……えっ?」


視線の先では、朝日に照らされ眠る侯爵の顔色が劇的に良くなっており、苦悶に歪んでいた表情は穏やかになっていた。


「なんで……。ずっと、苦しそうな表情しか見たことがなかったのに……。先生は、何を……?」


呆然とつぶやくアンネリーゼに、リリティアは魔力切れの疲労感の中でも優しく微笑む。


「きっともうすぐ、目を覚まされます」


説明はできないけれど、リリティアにはレイト侯爵がもう問題ないことがはっきりと分かった。

アンネリーゼは信じられないように瞳を揺らす。


「うそ、そんな。お祖父様が……起きる?……それに、さっきお祖父様と先生が、ぴかって光って……。え?私の、見間違い……?」


混乱した様子のアンネリーゼに、リリティアは困ったように苦笑する。


(光魔法の効果があるか確かめるだけなら誤魔化せたけれど、あれほど強い魔力を使ったら誤魔化せるはずがない……)


どう説明しようか悩みながらも、リリティアはそっとアンネリーゼの肩に手を置くとその瞳を真っすぐに覗き込んだ。そしてずっと悩みながらも強くあろうと努力してきた少女へ向けて、優しく言葉を紡ぐ。


「もう、大丈夫ですよ」

「!」


大きく見開かれた瞳から、ぼろりと大粒の涙が零れ落ちる。


「……っ!先生に、そんな風に言われたら、私、信じてしまいますよ?本当に……?本当に、お祖父様は目を覚まされるのですか……?」

「そうですよ。もう、一人で頑張らなくてもいいのですよ」


アンネリーゼは、その言葉がすとんと胸におちた。無条件に、その言葉を信じられる自分がいる。

なぜならアンネリーゼは見たのだ。光あふれる光景を。

先ほどの光に包まれたリナリア先生は、とてもとても綺麗だった。それはまるで、女神さまが奇跡を起こしたような光景だったから。


――ずっと、誰かに言って欲しかった。もう、大丈夫だよって。


でも、諦めてもいた。母が亡くなってから、もう誰も、助けてくれる人なんていなかった。希望を持ち続けるには、長い時間が経ち過ぎていた。

それでも……。

それでもずっと、本当は心の底では、神さまに願っていたの。そう言ってくれる人を――。


「う、うわぁぁぁん」


アンネリーゼは、子供のようにボロボロと涙を流した。リリティアはそんな彼女を優しく抱きしめると、落ち着くまでずっと背中をさすっていたのだった。



***



「落ち着かれましたか?」


リリティアがハンカチで優しく目元をふいてあげると、アンネリーゼが恥ずかしそうに顔をあげた。


「はい、リナリア先生」


目をグッと拭ったアンネリーゼは、立ち上がるとすっと背筋を伸ばして深々とリリティアに頭を下げた。その佇まいは、侯爵家を背負って立つ立派な後継者の姿だった。


「リナリア先生。レイド侯爵家を代表し、心よりお礼を申し上げます。お祖父様を治療していただき、本当にありがとうございました」


母が死んでから、縋るように祖父の手を握って話しかけていた日々を思い出す。もう、母から託されたこのレイト侯爵家は叔父に乗っ取られてしまうのではないかと恐怖する日々。叔父の後ろには、おそらく貴族派の者がいる。祖父が死んでしまったら、恐らく自分に侯爵家を守り通すことはできなかった。

けれど、リナリア先生が来てから、全てが目まぐるしく変わっていった――。


貴族派を思い浮かべたアンネリーゼは、ふと貴族派筆頭ブランザ公爵家の嫡男の結婚式での騒動を思い出した。花嫁が世を賑わせていた怪盗に盗まれたのだという噂は、情報に疎い自分でも聞いた事がある。恐らく多くの貴族が参列している式中の出来事だったために緘口令が機能しなかったのだろう。たしかその花嫁の令嬢は、100年ぶりに現れた光魔法の使い手だと……。


「……もしかして、先生はカスティオン侯爵家の……?」


アンネリーゼが口にしたその時、バタンっと乱暴な音が響いて寝室のドアが開かれた。驚いた二人が振り返った先には、下卑た笑みを浮かべるラルフが立っていた。


「親父が生きてるってのは本当だったらしいな」


寝台の上のレイト侯爵を目にしたラルフは忌々しそうに吐き捨てた。アンネリーゼが、弾かれたように立ち上がる。


「叔父様!ここへは許可を得た者しか立ち入れないようにしていたはずです!どうやって……」

「俺はこの家の嫡男だぞ?俺に味方する忠義者の使用人がいたんだよ」

「やはり、叔父様の手の者が使用人に紛れ込んでいたんですね……」


アンネリーゼは悔しそうに眉を寄せる。しかし寝台に歩み寄ってこようとするラルフの行く手を、足を震わせながらも遮った。


「お祖父様は、やっと回復の兆しが見えたのです。お祖父様が目覚めれば、もう叔父様の好き勝手にはできません」

「なんだと⁈」


ラルフは眉を寄せ、行く手を阻むアンネリーゼを突き飛ばしてレイト侯爵に近づこうとする。

しかしそこに再び道を阻む者が現れた。アンネリーゼを庇うように前に出たのは、藍色の髪をたなびかせたリリティアだった。


「お初にお目にかかります。アンネリーゼお嬢様の家庭教師を務めさせていただいております、リナリアと申します」


この場にそぐわない完璧なカーテシーを披露したリリティアは、静かな笑みでラルフを見据えた。


「お前が例の家庭教師か……。……お前とアンネリーゼさえ黙らせれば、この部屋での出来事は闇に葬られるな……」

「叔父様⁈何を」

「……レイト侯爵様を殺し、自分が侯爵家を手に入れようという事でしょうか?」

「そうさ!元からこの家は俺のものなんだ!返して貰うのは当然だろうが!こいつもさっさとくたばってればよかったのによぉ!」


大きな声を上げるラルフに、リリティアは冷たい笑みを浮かべる。


「今になってこれ程早急に行動を起こすのは……ついに借金で首が回らなくなりましたか?最近は、カジノにのめり込んで土地まで担保に取られたらしいですからね。それとも、借金元の貴族派の家からの指示でしょうか?」


リリティアの言葉に、ラルフは顔色を変えた。そのことは、外に漏れないように厳重に口止めをしていた。借金で土地も家も失ったなどという事が明るみになれば、貴族籍さえも失うほどの醜聞だからだ。


「お前、何故それを⁈」

「さあ。風の噂を聞いただけですわ」


リリティアはそっと自分の頬に手を当ておっとりと首を傾げてみせた。しかし眼鏡の奥のラベンダー色の瞳は冷静にラルフの一挙手一投足を見つめている。


「ここまで知られているなら、お前も始末するしかなさそうだな」


顔を赤黒く染めたラルフは、リリティアに手を伸ばす。華奢なリリティアを見れば、その細い首なら片手でも簡単に殺せると思ったのだろう。


「私も殺すおつもりですか。……では、最後に教えてくださいませ。これは、貴方の後ろにいる貴族派からの指示ですか?」

「そんな事知ってどうする」

「自分が何故殺されるのかも分からず死ぬのは悲しいですわ」


自分が殺されようとしているにも関わらず笑みを浮かべ続けるリリティアに調子を崩されたかのように、ラルフは眉を寄せる。


「チッ、別に指示された訳じゃねえ。ただ、あいつら初めは気前よく金を貸してたくせに今になって急に返せと言ってくるから……」

「なるほど、貴方は貴族派に踊らされていただけだという事ですね」


ラルフがこれ以上の情報を持っていない事を悟ったリリティアは、さっと身を翻して先ほど開けた窓へと駆け寄る。


「ハッ!残念だったな。ここは3階。窓から逃げることはできないぜ」


そう言ってラルフがリリティアの腕を力任せに掴もうとしたその時、リリティアがピーっと指笛を吹いた。すると羽ばたきの音が聞こえ、裏庭から入って来たであろう一羽の藍色の小鳥がリリティアの肩にとまった。


「何かと思えば、ただの小鳥か」


馬鹿にしたような笑みを浮かべてリリティアに向き直ったラルフは、再びリリティアに手を伸ばそうとする。

しかしその手は、誰もいなかったはずの窓辺から現れた手に掴まれ強くひねり上げられた。痛みにラルフの顔が醜く歪む。


「な⁈だ、誰だ⁈どこから現れた⁈」


喚くラルフを一顧だにせず、魔法のように突如部屋に現れた青年は真っ直ぐにリリティアを見つめて笑みを浮かべた。


「リリィ、怪我はないね?」


眩しいほどの青空を背景に部屋の中へ降り立った青年に、リリティアもまた笑みを浮かべて「はい!ウィル」と答えたのだった。



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