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レイト侯爵(1)


翌日、リリティアはアンネリーゼについて本邸の奥まった廊下を歩いていた。ここは侯爵家一家の暮らす区域の更に奥にあり、最上階の3階からしか入れない造りになっている。ここに入ってから、使用人にもパッタリと会わなくなった。恐らく情報の漏洩を防ぐため、入れる使用人も制限しているのだろう。


「先生に診ていただきたいのは、お祖父様……レイト侯爵です」


アンネリーゼの声に、周りを観察していたリリティアは前を向いた。


「この前お話しいただいた、体調を崩されているという……」

「はい。私も生まれたばかりで当時の様子は詳しくは分からないのですが、12年前に前ルーベンス公爵が処刑された後、急に倒れたそうなのです。酷い顔色で頭を押さえ、うめき声が日夜絶えなかったとか……。何人もの医師を呼びましたが、健康状態は問題ないとしか仰いません。……もしかしたら、貴族派からの圧力でしっかりした診察がされていなかった可能性もあるのですが……」


そう言って暗い表情を浮かべたアンネリーゼは、縋るような表情でリリティアを見上げる。


「リナリア先生、どうか、お祖父様を診ていただきたいのです。長年の衰弱状態で、これ以上この状態が続けば、もう……」


涙をのみ込むようにグッと唇を噛んだアンネリーゼは、目の前の扉をゆっくりと押し開いた。


開かれた扉の奥には、重厚な家具に囲まれた寝室があった。一番存在感を示すのは部屋の中央に置かれた寝台だ。その上には、一人の壮年の男性が横たわっていた。


「おはようございます、お祖父様……。こちらは、私の家庭教師を引き受けてくださったリナリア先生です。とても素晴らしい先生なのですよ」


アンネリーゼは反応のないその手をそっと握って話しかける。その様子から、アンネリーゼが祖父を大切にしていることが察せられた。


(騙していることの償いにはならないけれど……。でも、アンネリーゼ様の為にも絶対にレイト侯爵を治してあげたい)


すっと頭を下げてから近くに寄ったリリティアは、その男性――ワーグナー・レイト侯爵を診た。

レイト侯爵の顔色は青白く、苦悶の表情が窺えた。長年の闘病のせいか髪はすべて白髪となっており、アンネリーゼと繋がれている腕もずいぶんと細くなっている。


「お初にお目にかかります。ガイル国バリュセル侯爵家が娘、リナリアと申します。少し、お体を見せていただきますね」


そう言ったリリティアは、そっと手首の脈をとり、次いで心音、呼吸に異常がないかを確認した。頸部などの甲状腺に腫れがないか、浮腫がないかを確認した後、爪の様子と口内の様子などもをじっくりと診察した。


(……ここまでの診察では、栄養失調以外の異常は見られなかった。そして……毒の影響も確認できない)


リリティアは難しい顔で眉を寄せた後、すっと立ち上がる。


「……アンネリーゼ様、明るい中で状態をしっかり確認できるよう、窓を開けても構いませんか?」


アンネリーゼの了解をもらうと、リリティアは寝室の窓を大きく開ける。窓の下には裏の庭園が見渡せ、眩しいほどの陽光が入ってくる。

リリティアはアンネリーゼから逆光になる位置に再び腰かけると、レイト侯爵の手をとった。


(これで、光魔法行使時の光は誤魔化せるはず。本当はもっと細かな薬剤試験も行いたいけれど……今は時間がない。それに……)


リリティアは、なんとなくレイト侯爵の症状がただの病や毒によるものだとは思えなかったのだ。


目の前で昏々と眠るレイト侯爵。彼が表舞台に出れなくなったのをきっかけに、王族派の瓦解が始まった。これは果たして外的要因によるものなのか……。


リリティアは光魔法の治癒が効くのかを確認するためそっと目を閉じると、心の中で小さくつぶやいた。


(光よ……)


眩しい朝日の中、リリティアの光魔法がレイト侯爵を包む。





――その感覚は、デイジーを治療していた時と似ていた。相手の心の奥深くまで潜り、その闇を照らしてゆくのだ。

リリティア自身の精神が、相手に入り込んでゆく。


(えっ……?)


精神を奥へ奥へと沈めていったリリティアは、レイト侯爵の心の奥から聞こえてくる声に困惑から瞳を揺らした。


『王族派の情報を流せ』

『貴族派へ服従を』

『貴族派へ権利を移譲する書類へサインを』

『王族派を裏切れ』


心を不安に揺さぶるような暗い声が、何度も何度も繰り返される。その声の聞こえてくる暗闇が、レイト侯爵の精神を蝕んでいるのが分かった。


(この声は、何……?)


悍ましい気配にぶるりと腕をさすったその時、暗闇の中の何かがグワリとリリティアを振り返ったような気がした。その瞬間、リリティアの体をゾワリと恐ろしい感覚が駆け巡る。


(っ……⁈)


恐ろしさに竦むリリティアを飲み込もうと、おどろおどろしい塊がガパリと口を開けた。その絶望に飲み込まれる瞬間、リリティアの胸元から温かな光が溢れる。


(これは、ウィルからもらったお守り……!)


リリティアはお守りを握りしめ、光に怯んだ闇の塊を睨みつけた。


(大丈夫。私はこんなものに負けたりしない!私は、ウィルと一緒に戦うのだから!)


リリティアは渾身の力を込めて闇に向かって光の魔力を放った。

闇の塊は苦しそうに呻いて黒い触手をリリティアへ伸ばそうとするが、それがリリティアへ届く直前に光に貫かれた体がボロボロと消滅していった。


(終わっ、た……?)


リリティアは最後の闇の欠片が光に消えていくのを見届けると、やっと安堵から息をつき意識を手放したのだった。



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