侯爵家の孫娘(3)
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侯爵家であてがわれている客室の窓辺に佇み、リリティアはかさりと紙片を広げる。一見するとただの近況報告のような内容だが、組織で使われている暗号を理解しているリリティアには隠れている内容をしっかりと読み取ることができた。
リリティアは自らが得た情報を綴った紙片を藍色の小鳥の足に結び付けると、小鳥は小さく鳴き声をあげて青空の中へと飛び立っていった。
***
「アンネリーゼお嬢様、お顔の色が優れませんが、どうされましたか?」
午前中の授業で顔を合わせたアンネリーゼに、リリティアは気づかわしげに尋ねる。最近は以前にも増して意欲的に授業に臨んでいるアンネリーゼだが、今日は暗い表情で気もそぞろな様子だった。
「あ、リナリア先生。……その、前にお話ししたことのある叔父が今日訪問予定なのです」
アンネリーゼの言葉に、リリティアは対象人物の情報を頭の中からひっぱりだす。
――ラルフ・レイド。アンネリーゼの母の弟であり嫡男として生まれたが、学生時代から金遣いが荒く博打にも手を出し借金を作っていたことが発覚し、レイト侯爵によって後継者の指名が取り消された人物だ。自分の代わりに後継者となった姉を恨んでいることは容易に想像がついた。
「叔父様はきっと、またお金の無心にいらしゃっるのだと思います。母が亡くなった後、侯爵家は自分のものだと言って憚らず……。……お祖父様にもしもの事があれば、どうなってしまうのか……」
怯えた表情を見せるアンネリーゼの背を、リリティアは宥めるようにそっとさすった。
(当主が意識不明状態でいることで、レイド侯爵家は現状を守られているのね……)
通常当主の交代は、当主死亡か当主の移譲宣誓によってのみ認められている。
例えばもしも他の王族派の臥せっている当主たちが原因不明の病ではなく毒などで死亡していた場合は、すぐに次代の当主を擁して貴族院でも貴族派の横暴をある程度は抑えることができたであろう。しかし現状は死亡もしておらず、移譲の宣誓もできていない。そのため、貴族家の当主しか発言権のない貴族院から有力な王族派の家門が締め出されてしまっているのだ。
しかし皮肉なことに、レイド侯爵家ではそのおかげでラルフの乗っ取りが抑えられている。レイド侯爵が存命である限りは、ラルフが侯爵家を継ぐことはできないからだ。
「あの、ですので先生、申し訳ありませんが午後の授業はお休みでお願いいたします」
「分かりましたわ。ご親族同士のお話を部外者の私が聞く訳にはいきませんし、この機会に午後は裏庭を散策させていただきますね。とても美しいお庭だと思っていたのです」
リリティアの言葉に、アンネリーゼはほっとした表情を浮かべた。アンネリーゼは、好色家の叔父と先生が会う事を危惧していたからだ。裏庭なら叔父が立ち入る事もない。
「はい。是非ゆっくりとご覧ください。最近臨時で雇った庭師がとても腕が良いのだと爺が言っていましたの。お好きなお花があれば使用人に言ってお部屋に飾ってくださいね」
「ありがとうございます」
***
「叔父様、何度も言っておりますが、お祖父様ご存命の現在、レイド侯爵家の家督をどうこうすることは不可能なのです」
その日の午後、アンネリーゼは震える足を隠しながら目の前でいつものように横暴な態度をとるラルフに対峙していた。
ラルフは服だけは上等なものを着ているが、いつも酒の匂いを漂うわせている。大きな声で喚く様は、幼い頃からアンネリーゼにとっては恐怖でしかなかった。
「本来この家の全ては俺の物となるはずだったんだよ!それをお前の母親がかすめ取っていったんだ!それが死んだんだから、俺の物になるのは当然だろうが!いつまでお前らがこの家に居座ってるんだ!」
「お祖父様が後継者と指名したのは、お母様です」
「チッ!忌々しい……!そもそも、親父は本当にまだ生きてんのか?」
「何という事を言われるのですか!」
「は、本当はとっくにくたばってるんじゃないのかよ?俺にこの家を渡したくないから、死んだことを隠してるんじゃないのか?」
「そんな訳ありません!」
「じゃあ、親父のところに案内しろよ。息子の俺が見舞いに行ってやる」
ラルフの言葉に、アンネリーゼは膝上の拳を握る。
「それは、できません」
「おいおい、生きてるかこの目で見なきゃ納得できないっつってんだよ!」
大きな声に怯みそうになるが、アンネリーゼはリナリア先生から教わった美しい姿勢を崩さずに真っすぐにラルフを睨みつけた。
祖父の病態は、外に漏れないように厳重に管理している。貴族派との関りもあるこの叔父に知られる訳にはいかないのだ。
「お祖父様の死を望むあなたを、会わせる訳にはいきません」
「なんだと⁈」
「違いますか?……これ以上お祖父様のお部屋へ無理やり入ろうとすれば、騎士を呼びますよ」
いつもは大声で脅せば怯えた表情をみせるアンネリーゼの強い瞳に、ラルフは憎々しげに舌打ちをした。
「ふん、いつまで強気でいられるかな?親父が死ねばこの家は俺のものだ。こっちには、大きな後ろ盾もあるんだからな!」
そう捨て台詞を吐いたラルフはドスドスと足音を荒げて部屋を出て行った。
アンネリーゼは力が抜けそうな足を叱咤して、玄関までの道を追いかける。現在の荒ぶっているラルフでは、少しのことでも使用人に理不尽な怒りをぶつけかねないからだ。
後ろをついてくるアンネリーゼに忌々しい視線を向けたラルフは、外に出てからふとニタリといやらしい笑みを口元に浮かべてアンネリーゼを振り返った。
「……そういえば、何でも最近他国の令嬢を家庭教師として雇ったらしいな」
ラルフの言葉に、アンネリーゼの顔からゾッと血の気が引く。
ラルフはその顔に嗜虐的な笑みをのせる。
「そいつにも叔父として挨拶しとかないとなあ?見れる顔か?まあ、顔がある程度でも、体つきが良ければ……」
その時、突如ビュンッと強い風が吹いた。
そして、その風に乗ってどこからか飛んできた太い木の枝がラルフの顔に直撃した。
「ギャアッ!」
鼻血の吹き出た鼻を押さえてぎょろりと枝の飛んできた方を向いたラルフは、ちょうど枝の剪定をしていた庭師を睨みつけて唾を飛ばしながら喚いた。
「おい!お前、平民の分際で次期侯爵である俺様に怪我をさせたのか⁈命はないと思え!」
「おやめください叔父様!たまたま強い風が吹いてしまっただけで、故意ではありません!」
「うるさい!」
必死に止めようとするも振り払われて、アンネリーゼは尻もちをついてしまう。
その間にもラルフは庭師のもとに歩み寄ると、剣を引き抜く。そして躊躇いなく庭師に切りつけた。
「なんてことを!」
「ふん、平民が貴族を傷つけたんだ!殺されて当然だろうが!」
倒れ伏す庭師の周りに血だまりが出来るのを見て、青い顔で非難したアンネリーゼに対してラルフは何の罪悪感もない様子で吐き捨てると、鼻の痛みに眉を寄せて早々に馬車に乗り込んで去っていった。
「ど、どうしましょう、誰か、早くお医者様を呼んできて!」
青い顔で狼狽えるアンネリーゼに、その時凛とした声がかかる。
それは、裏庭にいるはずのリナリア先生の声だった。




