妹(1)
本日『悪女に仕立て上げられた薄幸令嬢の幸せな婚約破棄』10話が先行配信されています!
母親の死に深く傷付いたリリティアを救う為、なんとか彼女を連れ出そうとするウルティオ。思い合う二人の姿をとても素敵に描いてくださっていますので是非読んでみて下さいませ!
「姐さん、お疲れ様っす」
「ガスさん!こんにちは」
朝市の立ち並ぶ時間帯、カミラと共に診療所へと向かっていたリリティアはガスパルに声をかけられて笑顔で挨拶を返した。ガスパルは事故かなにかで倒れてしまっていたらしい屋台の修理を行っていたようだ。「ガスさん、ありがとよ」と言う店主に笑顔で手を振り、ガスパルは小走りでリリティアの元へやってきた。
「今からブレダ先生のところっすか?」
「はい。ガスさんもお疲れ様でした。また町の方を助けてらしたんですね」
ガスパルはこの町の荒くれ者を束ねているが、困っている人がいれば何くれとなく助けてくれる。強面だが面倒見の良いガスパルは町の人々にとても頼りにされていた。
「はは、俺は力仕事しかできませんからね。それより姐さん、今度時間があればうちの店にも寄って下さい。うちの若い奴らが学ぶ機会をくれた姐さんに是非礼がしたいって言ってるんですよ」
「いえ、そんな。場所も資金も、全部ウィルが用意してくれたものですから」
リリティアはあれから週に一度、希望者に礼儀作法と読み書きの授業を行なっていた。初めはそれ程人は集まらないと思っていたのだが、リリティアが驚くほど希望者が集まり皆がとても熱心に授業を受けている。苦しい生活を経験したことのある者たちだからこそ、学ぶ機会があることがとても貴重である事をよく知っているのだ。ウィルには無理だけはしないでと約束をさせられたけれど、リリティアのやりたいことに全面的に協力してくれた。
「いいや、断言してもいいですよ。姐さんがいなきゃ、俺らではそんな考え出てこなかったっすから」
横を歩いていたガスパルは立ち止まると真っ直ぐにリリティアに体を向け、真摯な表情で頭を下げた。
「本当に、感謝してます。組織の若いのは、このクソみたいな社会の底辺で苦労してきた奴らばっかりなんです。アイツらがあんな風に未来に希望を持てるようになって、俺は嬉しいんですよ。姐さんがいなきゃ、ボスもこんな風に未来を見据えた取り組みなんて、きっと出来なかったと思います」
「ガスさん……」
頭を上げてニカリと笑ったガスパルに、リリティアはふいにこみ上げてくるものを噛みしめるように口元を引き締めた。自分でも誰かの役に立てている。それがとても、嬉しかった。
(ブランザ公爵家での仕事では、平民の人々の生活を脅かすことになるだろう法案をいくつも作成させられていた。こんなことでは償いにならないけれど、少しでも、私にできる事をしていきたい。出来る事がある事が、嬉しい)
「私こそ、こんな機会がいただけて、心から嬉しく思います」
リリティアはラベンダー色の瞳を上げると、ガスパルに心からの笑顔を返したのだった。
***
ガスパルと別れ、リリティアは診療所で仕事を始めていた。
朝はなかなか起きてこないブレダにプンプン怒りながら掃除を始めるカミラを横目に、リリティアは薬の在庫数などを確認していく。
(今日は患者さんも少なそうだから、備蓄用の薬の調合をしておこう)
暫くしてやっと起きてきたブレダと共に薬の調合を行っていたところで、突然診療所の扉が激しく開けられた。
素早くリリティアを庇う位置に立ったカミラの横から扉の方向を窺ったリリティアの目に飛び込んできたのは、息を切らしたコナーの姿だった。
「ブレダ先生!」
いつもの飄々とした態度をかなぐり捨て、切羽詰まった様子で駆け込んできたコナーにリリティアは驚く。しかしブレダは慣れた様子で頷くと何も聞くことなく往診用のカバンを手にとった。
「嬢ちゃんも来なさい」
「ブレダ先生!それは」
何が起こったのか分からず動けずにいたリリティアに、ブレダが往診の支度をするように促す。リリティアが来ることに反対なのか、ブレダを非難するコナーの声音に対し、ブレダは冷静な表情を向ける。
「コナー、今後俺がいない時に発作が起こったらどうする?そん時は嬢ちゃんが対応する事になるんだぞ。だったら、今のうちに現状を把握しとくべきだ。そうだろ?」
ブレダの言葉に、コナーは唇を噛み締め渋々と頷いた。
(一体、何があったんだろう……?コナーさんがこんなに取り乱しているところなんて、初めて見た……)
混乱しながらも連れてこられたのは、町の奥まった場所に位置するこじんまりした一軒の家だった。
「ここはコナーの家だ。患者は、こいつの妹」
「コナーさんの、妹……」
コナーに妹がいることを初めて知ったリリティアは驚いた。しかしよく考えてみれば、コナーは今まで全く自分の家族の話をしたことがなかったように思う。最も、組織の者は皆重い過去を背負うものが多いため、コナーに限らず過去の話をしようとする者は多くないのだが。
コナーを見れば、口を引き結んでこちらを見ようとはしなかった。リリティアに診られることを拒絶している様子に、どうすれば良いかと声をかけようとしたところに、パリンっと何かが割れた音が響いた。
「デイジー!」
ハッと顔を上げたコナーが、部屋に駆けこむ。
花柄の明るい壁紙に、白いキャビネットなどの可愛らしい家具でまとめられた部屋の中央には天蓋付きのベッドが置かれている。その上で金髪を乱して頭を抱えている少女を、年嵩の使用人の女性が必死になだめ抑え込んでいた。足元には、割れた花瓶が散らばっている。
「デイジー、先生が来てくれたよ」
コナーが呼びかけるも、少女は声が聞こえないかのようにどこを見ているのか分からない目で自傷するように自らの喉に爪を立てようとしている。
「鎮静剤を」
「は、はい!」
立ち尽くすリリティアに、ブレダの冷静な声がかけられる。リリティアは急いで準備を行い、使用人とブレダに抑えられた少女に鎮静剤を投与した。
やがておとなしくなり、力を失ったかのように眠りについた少女に、部屋の中には安堵の息が漏れる。
「……」
誰も何も喋らないまま、説明を受けるために部屋にはリリティアとブレダ、コナーだけが残った。カミラは使用人の女性と共に割れた花瓶の片づけなどを行ってくれている。
眠る少女を見下ろすコナーは、疲れ切ったように顔を伏せていた。
「……コナー。俺から説明するか?」
「……俺から説明しますよ。驚いたでしょう、リリィ嬢?」
ブレダの声にのろのろと顔を上げたコナーは、口元を釣り上げて不自然な笑みの形を作った。その瞳には暗い光が宿っているようで息を呑んだリリティアだが、これだけはと声を上げる。
「あの、その前に、手当てをさせてください」
そう言ってリリティアは、少女の喉や頬の小さなひっかき傷に手をかざす。温かな光が溢れ、少女の傷を癒していった。そして、乱れた髪を優しく手櫛で整えてやる。そうしてみると、ただ少女が穏やかに眠っているだけのように見える。
「…………ありがとう、ございます……」
コナーが、詰めていた息を吐きだすように小さく感謝を告げた。緊迫した空気がわずかにゆるむ。それから、ぐったりと力を失ったかのように口を開いた。
「……この子はデイジー。俺の妹です」
デイジーと、彼女を見つめるコナーの横顔は確かに良く似ていた。二人とも整った顔立ちで、きっとデイジーも瞳を開けて微笑めばとても可愛らしい少女だろうと思われる。歳は、恐らくリリティアと同じくらいだろう。
「……俺とデイジーは、貴族とも取引のある大きな商家の出でした。しかし3年前、貴族派のある家門の嫡男にデイジーが見初められて、妾として引き取りたいと持ち掛けられたんです。両親も俺ももちろん反対しましたよ。相手はデイジーの十五も年上の上、女性への暴力を行うと有名な奴でしたから。……でも、相手は貴族派の中でも力のある侯爵家の嫡男で、自分に逆らった俺たちを許さなかった」
その後の展開が予想出来てしまい、リリティアは胸に鉛を落としこまれたような心地でぎゅっと両手を握りしめた。
「このご時世、よくある話です。家族は貴族に刃向かった罪で処され、いつの間にかかけられていた借金のかたにデイジーは連れ去られました。何とか行方を掴んだ頃には、妹は侯爵家で奴隷のような扱いを受けて心を壊してしまっていた」
はは、と暗い憎悪が渦巻く瞳で笑うコナーの様子に、リリティアはなんと声をかければ良いか分からなかった。
「すべてを失い、何とか取り返した妹を抱えて途方に暮れていたところを、ボスに拾われ今に至ります。野垂れ死にそうだったところを、仕事を与えられ、妹の治療ができる環境も整えてもらった。……ボスには感謝してます」
静かに話すその姿は、普段のチャラチャラした様子とはかけ離れて見えた。
「……心の問題だからな、薬での治療は難しい。時々起こる発作の時に、鎮静剤を投与することくらいしかできていないけどな」
「いいえ。先生も、様々な文献を漁って手を尽くしてくれました」
凍りついた冬の海のような瞳で告げるコナーに、リリティアは胸を痛める。とても他人事とは思えなくて、リリティアはコナーに尋ねていた。
「あの、コナーさん。明日、また様子を見に来ても構いませんか?」
「それは同情ですか?お優しいリリィ嬢」
皮肉げで、そして憎悪がこもるようなコナーの様子に、リリティアは怖気づきそうな心を奮い立たせて顔を上げる。
「いいえ、ブレダ先生の助手として、言わせていただいています。発作が起きた直後なのです、体調変化を確認する必要はあると思います。同じ女性の方が、デイジーさんにとっても良いのではありませんか?」
「……それは……」
「その通りだ、コナー。嬢ちゃんに頼むんだな」
「……はい」
ブレダの言葉に、コナーは顔を伏せ頷いたのだった。




