教師役
遅ればせながら、『悪女に仕立て上げられた薄幸令嬢の幸せな婚約破棄』第9話が先行配信中です!ウルティオの格好いい決闘シーン、是非見てくださいませ(*^^*)
「リリィ嬢、しばらく表の仕事はお任せしてしまってもいいですか?」
ここ数日、元王族派の家門の調査にも手を広げ始めたことで多忙によりげっそりした様子のコナーに、リリティアは気づかわし気に頷いた。
「もちろんです。事務所の方の書類は全て処理は終わっていますのでご安心ください。それから、組織の方からの報告書も資料を添付してまとめておきましたので確認お願いします」
リリティアの言葉に、コナーはリリティアを拝みだした。
「ほんっとにリリィ嬢がいてくれて助かりましたよー。仕事を投げるだけ投げつけてくる誰かとは大違い……」
「ほお、それは誰の事だ?」
突然かぶさった声にコナーはビクリと肩を揺らし顔を青くするが、反対にリリティアはドアを振り向き笑顔を浮かべた。
「ウィル、お帰りなさい」
「うん、ただいまリリィ」
リリティアに笑顔を向けるウルティオに、コナーが引きつった笑みを向ける。
「お疲れ様です、ボス~。段取りはどうでした?」
わざとらしいコナーにため息をはき、ウルティオはいくつかの書類を広げる。
「レイト侯爵家はまだ調査中だが、レイト家に近い元王族派二家になら侍女を潜入させられそうだ。だが……」
「侍女ですか……」
難しそうな顔をする二人に、リリティアは首を傾げた。
「何か問題があるんですか?」
「下働きの使用人と違って侍女は貴族のすぐ側で働くから情報を入手しやすい反面、相応の礼儀作法が求められる。もちろん組織でもそのために礼儀作法を習得させている者はいるんだが、今は各方面に潜入中で人がいないんだ。これから学ばせるにしても時間も金もかかる上、侍女の教師役が務まるのはマチルダくらいで現在手が離せないしな……」
「教師役……」
顎に手を当て考え込むウルティオに、リリティアはあのっと声を上げた。
「私では、ダメでしょうか?」
「リリィ?」
目を見開くウルティオとコナーに、リリティアは顔を上げて告げた。
「教師役、私ではお役に立てないでしょうか?」
***
その後、やはり組織の仕事に深く関わらせるのは抵抗があるのかウルティオはリリィも忙しいのだからと渋ったが、その手があったかという顔をしたコナーの熱烈な推薦に渋々頷いた。王族に次ぐ公爵家嫡子の婚約者として教育され、誰よりも完璧な礼儀作法を身につけているリリティア以上に教師役に適任の人物はいなかったからだ。
「リリィ、こんな短期間で礼儀作法を完璧に覚えさせるなんてそもそも無茶な話なんだ。その時は別の手を考えればいいんだから無理しなくてもいいんだよ」
「はい。でも、すこしでもウィルの役に立てることがあるなら頑張りたいんです。……それとも、ご迷惑ですか?」
「そんな訳ない!そりゃ、とても助かるけれど……」
「良かった!」
「ぐ……」
リリティアの笑顔に屈することになったウルティオを見て、コナーは「リリィ嬢がここでは最強ですね」とボソリとつぶやいたのだった。
「初めまして、教師役を務めるリリィと申します。今日からよろしくお願いします」
「ミアです。こちらこそどうぞよろしくお願いします」
「アリアです!お願いします」
リリティアが礼儀作法を教えることになったのは、いままでも下働きとして貴族家へ潜入をしたことがあるという二人の女性だった。緊張している様子の二人にリリティアは不思議そうに首を傾げる。
「ええと、そんなに緊張しないでくださいね。私はもう貴族ではありませんし……」
「は、はい。ですが、ボスの大切なお方と伺っておりますので、粗相の無いようにと思うと……」
「それに、潜入予定まで1か月もないと聞きました。侍女は通常下働きと違って下級貴族の令嬢が携わることがほとんどです。私達も没落した下級貴族の者として潜入予定ですが、正直幼い時から礼儀作法を習っている方のような動きが出来るか不安で……」
拠点に出入りしウルティオとリリティアを実際に目にしている上司から、ウルティオがリリティアを非常に大切にしている事を聞かされており、絶対に無礼な真似はするなと厳命されている二人。さらにはそのリリティアに指導を受けておきながら間に合いませんでしたなんて事になってしまったらと思うと緊張で固まってしまうのも無理はなかった。
「もしも間に合わなかったとしても、それは教師役を務める私の責任です。だからミアさんとアリアさんが気に病むことはないんですよ。私も人に教えるのは初めてなので至らぬ点はあると思いますが、一緒に頑張っていけたらと思っています。
まずは、そんなに緊張していては授業もできないですから座りましょうか」
リリティアは二人を座らせると、緊張をほぐすようなゆったりとした仕草で用意していたポットを手に取る。そして美しい所作で紅茶を淹れて二人に差し出した。
「どうぞ」
カップから離れる際の指先さえ見惚れるような優雅な動きにほうっと呆けていた二人に、紅茶を飲むように勧める。おずおずと口をつけた二人は、目を丸くした。
「お、美味しいです!こんなに美味しい紅茶、はじめて……」
「ふふ、良かったです。すこし落ち着きましたか?」
「は、はい」
「美味しい紅茶の淹れ方も覚えていきましょうね」
カップを持つ二人に、リリティアは穏やかな笑顔で告げる。
「ですが、礼儀作法とは相手の心に寄り添い居心地の良い環境を作り出すこと。不快な思いをさせないように細かい動きや技術を覚えることも大事ではありますが、何よりも大切なのは相手の視線、表情を読み何を望んでいるのかを把握することです。自分の動きばかりに意識が行ってしまっては、相手の意図を汲み取ることなどできません。私は教師から、そう教わりました」
リリティアは侯爵邸に移ってからはじめに教わった礼儀作法の教師を思い出した。彼女は厳格な教師であり、公爵家の奥方として嫁ぐならば使用人の所作さえも監督できなければならないと、侍女の作法までも教えこまされた。完璧を求める厳しい教育だったのは変わらなかったが、他の教師が鞭を持ち出し虐待のように詰め込まれていた中で、唯一体罰を与えることなく指導してくれていた。今思えば、私がこれから潰れないようにと教育の必要性を説いてくれた、あの頃唯一私の事を考えてくれた人だった。
「例え小さな失敗をしてしまったとしても、むしろ、それが当然の動作であるかのように自然に振る舞う事も大事ですよ。貴族は侍女の一挙手一投足まで事細かに監督してはいないのですから」
場を和ませるようなリリティアの言葉に、ミアとアリアはやっと肩の力を抜いたように笑みを浮かべた。
「リリィ様、今のお言葉は、まるでベテランの諜報員のようでした」
キラキラした瞳のアリアの言葉に、リリティアはパッと輝く笑顔を浮かべる。
「本当ですか?嬉しいです。私も、皆さんのように潜入調査が出来ればもっとウィルの役に立てるのですが」
美しい笑顔に見惚れていた二人は、ハッと意識を戻して今度は顔を青くさせて首を振った。
「リリィ様にそんな危険な事させられる訳ありません!」
「そうですよ!そのような事お聞きになったら、ボスが何と仰るか……!」
「そうですね、今のままでは駄目ですよね。やはり、まずは自分の身は守れるくらいには強くならなければ……」
「お願いですからそんな事はボスにはお伝えしないで下さい!」と青い顔で真剣に約束させられたリリティアは、気を取り直し授業を始める為に顔を上げた。
「期間は限られていますから、動きに違和感が出なくなるまでとにかく実践を中心にしていきたいと思っています。私とミアさんとアリアさんの三人で、一人が貴族、あとの二人は侍女役で交代しながら実践を行います」
「リリィ様ではなく、私達も貴族役を?」
「そうです。仕えられる貴族側がその時々でどのような事を望むかを考えながら演じて下さい。それは、自分が仕える側になった時に参考になるはずです」
「「はい!」」
そうして、礼儀作法の授業が始まったのだった。
***
三週間後。
深く腰をおり、摘んだスカートのドレープまで美しいカーテシーを披露するミアとアリアに、ウルティオとコナーは感嘆の声を上げた。
「すごいな、こんな短期間でこれだけの礼儀作法を身につけさせるなんて……。これなら問題なく送り出せる」
ウルティオの言葉に、リリティアを含めた三人は顔を合わせて嬉しそうな笑みを浮かべた。
ミアとアリアの習得速度には目を見張るものがあった。二人のやる気はもちろんだが、国内でも随一の高位貴族の完璧な所作を目の前で見て学ぶことが出来たのだ。それは何十冊もの教本を読み込むことの何倍も価値のあるものだった。
さらに実践形式の授業で貴族側に立った視点をも学び、リリティアと自分たちの動きの違いを仕えられる側から見つめ改善点にすぐに気づくことが出来る。習得にまさにこれ以上ない環境だったのだ。
「リリィ様のお陰です」
「はい、リリィ様の美しい所作を間近で見せていただけた事が、何より勉強になりました」
二人の言葉に、リリティアは二人に真っすぐに向き合った。この三週間毎日顔を合わせてたくさん話もしてきたのだ。危険を伴う可能性のある場へ送り出すための授業だと思うと胸が痛くなった時もあるけれど、ミアもアリアもとても意欲的だった。貧民街の孤児で野垂れ死ぬところだったのを組織に助けられたという二人は、組織の役目に就けることを誇りに思っていた。だからこそリリティアは、二人にできうる限りの知識を授けた。それが潜入先での二人の危険を減らすことにつながると分かっていたからだ。
「ミアさん、アリアさん。この三週間、とても頑張って下さいました。侍女として、何の心配もなくお仕えできるはずです。ですから……どうか、気をつけて」
これから潜入を行う二人を心から心配しているのが分かるリリティアの様子に、二人は瞳を潤ませた。
「リリィ様……!」
「はい!リリィ様の教えを胸に、立派にお役目を果たしてまいります!」
リリティアとの別れを惜しみながら出て行った二人に、ウルティオは苦笑を浮かべる。
「診療所以外でも、またリリィの信奉者が増えてしまったな」
「え?」
小さな呟きに首を傾げるリリティアの髪を掬い取り、ウルティオはそっと口づけを落とした。
「リリィの魅力は、俺だけが知っていればいいのにと思ってしまった狭量な恋人の独り言だよ。俺はいつだって、リリィを独り占めしたいと思っているからね」
ウルティオの言葉に目を丸くして顔を赤く染めたリリティアに、ウルティオは愛おし気に笑ってその頬をなぞる。
「……ゴホン!ボス、そういうのは家でお願いします。俺がいるの忘れてません?」
コナーの咳払いに、ウルティオは眉をひそめて舌打ちする。
「それにしても、リリィ嬢の礼儀作法の授業は素晴らしい成果でしたよ!いっそのこと、定期的に開催してもらったらどうですか?諜報員のレベルが上がりますよ」
「は?ただでさえリリィは忙しいんだぞ。それをこれ以上……」
「ーー私、やりたいです!」
リリティアは瞳を輝かせながらウルティオを見上げた。
「潜入に使う使わないに関わらず、知識はきっとどこかで役に立ちます。
――それに全てが終わった時、彼女たちは普通の生活に戻るんですよね?その時に、将来の選択肢を増やす手助けになると思うんです。あ、それなら、文字の授業も取り入れられたら……」
ラベンダー色の瞳を煌めかせ嬉しそうに語るリリティアの言葉に、ウルティオとコナーは酷く驚いたような顔をした。
ーー全てが終わった時ーー。
裏組織の汚泥につかりながら這い上がってきたウルティオ達にとって貴族派の断罪が最終目標であり、それが終わった後の話など、ほとんど話題に上がったことなどなかった。もちろんその際の国内の混乱を収める手立てなどは考えていたが、それだけだ。
それがーーまるで、成功するのが当たり前のように……。穏やかな未来があることを当然のように信じる笑顔で、俺たち裏の人間の幸福まで、願ってくれている。
ーーーーその笑顔は、まるで未来への光そのもののように映った。
「……リリィは、すごいな」
「え?きゃっ」
ポツリと呟いたウルティオは、軽々とリリティアを抱き上げるとその場でくるくると回った。
「ははは、リリィはいつも、俺に光をくれる」
そう言って青空のように笑ったウルティオに、はじめは驚いたリリティアもまた嬉しそうに微笑んだのだった。




