考察
リリティアは柔らかく頬を撫でる優しい感触にふわりと意識を浮上させた。薄く開けた瞳に入り込む朝日の眩しさに再び目を閉じれば、その光から庇うように大きな影がそっとリリティアの視界を覆う。なんだろうと瞼を開ければ、大きな手がそっとリリティアの目元を覆ってくれていた。
「ごめん、カーテンがちゃんと閉まってなかったみたいだね」
優しい声に、ぱっと顔を上げる。そこには、声以上に優しい表情でリリティアを見つめるウルティオの姿があった。
「少し早い時間だから、まだ寝ていていいんだよ」
甘やかすような声に、昨夜のことを思い出したリリティアは色づく頬を隠すようにウルティオの胸に顔を寄せた。
「あの、ウィルが起きるのなら、私も一緒に起きます。……あ!ウィルは、身体は大丈夫ですか?痛みがぶり返してはいませんか?」
眠気が吹き飛んだように慌てて起き上がり腹部を確認しようとするリリティアに、ウルティオはくすぐったそうに笑みを浮かべる。
「ほら、心配しなくても、リリィのお陰でもう全く問題ないよ」
「良かった……」
ほっとしたように笑顔を浮かべるリリティアの髪を、ウルティオが優しく梳く。頬を染め、恥ずかしそうに上目遣いでウルティオを見上げたリリティアは、ふと何かを見つけたようにぱちぱちと目を瞬かせた。そしてそっと手を伸ばしてウルティオの髪に触れる。
「ふふ、寝癖がついてました」
嬉しそうにふわりと笑って髪を整えるリリティアに、ウルティオもまた幸せそうに微笑む。
ベッドで向き合って座り笑い合う二人を、朝の明るい日差しが照らしていた。
***
朝食を食べた後、二人は事務所の隠し部屋へとやってきた。そこには話が通っていたのだろう、ブレダも来ており眠そうな様子でコーヒーを飲んでいる所だった。
「おはようございます、ブレダ先生」
「おう、おはようさん、嬢ちゃん。それと怪盗坊主、俺が朝苦手って事を忘れてんのか?」
「もちろん知っているよ。でもリリィの師匠だったら、たまには朝からシャキッとした姿をしてもらいたいと思うね」
ウルティオの言葉に、ブレダはうへぇという顔をして目を逸らし、何も聞かなかったかのようにコーヒーに口をつけた。
「で、俺を呼んだって事は昨日の嬢ちゃんの光魔法の件か?」
「そうだ」
ブレダの問いかけに真剣な表情で頷いたウルティオは、リリティアをソファに座らせてからその隣に腰掛けた。
「リリィ。念のため、光魔法の治癒について把握しておいた方がいいと思ってブレダ先生に来てもらったんだ。昨日は魔力の枯渇でふらついただけだったけど、もしも無理な治癒でリリィに何かあったら怖いからね」
真剣な表情に、心から自分を心配してくれているのが分かりリリティアは胸が温かくなる。
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。自分の限界以上の治癒はそもそも発動しないのです。それは、ブランザ公爵に治癒魔法の検証をさせられた時に分かっています」
「そっか、それを聞いて安心した」
ほっと息をはくウルティオに続き、ブレダが気になっていたのであろう質問をする。
「その能力の検証の時は、嬢ちゃんは小さな切り傷しか治せなかったんだろう?それが昨日はあんな深手の傷を完治させ、解毒までしちまったよな。いきなり能力が上がったのか?」
「俺もそこが気になっていた。能力が上がったのか、もしくは、魔力が上がって治せる規模が大きくなった?」
「私も、分からないんです。ただ、どう治療すればいいのかの知識はあって、あの時はそれが出来るって、思って……」
考え込むリリティアに、ブレダが顎に手を当てながら口を開いた。
「……もしかしたら、医療知識や経験が影響してるかもしれんな」
「知識や、経験ですか?」
「ああ、治癒の時の光の粒子が、まるで傷跡を縫うように動いてただろ。明確に治療手順が分かっていれば、その分魔力の消費が抑えられ、大きな傷も毒も治すことができた……ってのは?」
「その可能性は、あるかもしれません……」
思えば、ウルティオの火傷を治すことが出来た時も独学で医療の勉強を始めた頃だったのだ。
(それなら……もっとたくさんの知識をつけて治療経験を積めば、もしもの時でもすぐにウィルを助ける事ができるようになる……)
ギュッと両手を握りしめるリリティアの様子に、ウルティオは苦笑してその手をとる。
「リリィ、今だって十分ブレダ先生の助手として頑張ってくれているんだから、無理はしないでね」
「は、はい」
見透かされていたような言動に、リリティアは恥ずかし気に頬を染める。その時、部屋にノックの音が響いた。ウルティオが許可を出せば、部屋にコナーとマチルダ、そしてガスパルが入って来た。
「失礼します。昨日のパーティー会場のその後の様子とかの報告、纏めてきましたよ」
「分かった。リリィ、これから昨日の報告があるけど、一緒に聞くかい?」
「はい、お願いします」
リリティアが姿勢を正せば、正面に座ったマチルダがリリティアの手を両手できゅっと握った。
「リリィ様、昨日は素晴らしいお働きでしたわ。リリィ様がいなければどうなっていたことか……。本当に、ありがとうございました」
「本当に、姐さんに感謝だな」
「そんな、私はただ、ウィルを救たくてがむしゃらに……。マチルダさんこそ、私の我儘を聞いてくれて、私を連れて行ってくれてありがとうございました」
手を握り合ってほわりとした空気が流れる二人に、ぱんぱんと手を叩く音が聞こえてくる。
「はいはい、お礼合戦はそこまでにして、報告を始めますよ」
ほんわかとした空気を遮るように、コナーがいくつかの資料を取り出す。
「まず、昨日のパーティー終わり、ジョルジュ殿下とジェニファー王女を狙っていたと思われる奴らをボスが捕らえ、秘密裏にリーデルハイト家の護衛に引き渡したことで貴族派の企みが表沙汰になることは防げました。しかし……」
ちらりと向けられたコナーの視線に頷き、ウルティオが口を開く。
「どうやら、その場を監視していた奴らがいたらしい。狙いは、今回の企みを阻止するために動く俺たちを捕らえるため。つまり、今回の企みは罠だったってわけだ」
「リリィ嬢の言った通りでしたね」
「ごめんなさい、もっと早く気が付いていれば……」
「リリィが謝ることなんてないさ。どっちにしろ、殿下たちへ危害を加える計画は阻止しなければならなかったんだから。計画を立てた者にとっては、どちらに転んでも良かったわけだ」
防がれなければリーデルハイト家に打撃を与え、王族の地位を揺るがすことが出来る。防がれたなら、自分たちを嗅ぎまわる不穏分子を捕らえることができる。
「やはり、ブランザ公爵の息がかかっていたのですね……」
「ブランザ公爵は自分が関わる証拠を巧妙に隠す。それは、分かっていたんだけどね……」
どういうことかと心配そうにウルティオを見上げるリリティアに、ウルティオは鍵付きの引き出しから取り出した書類を手渡した。
「リリィには、まだ見せていなかったね。これは数年前に俺が裏ギルドを壊滅させた際に手に入れた契約書だよ。ルーベンス家やその他政敵の排除にブランザ公爵家が裏ギルドを使い犯罪に手を染めていた証拠だ」
驚いたように契約書に目を通したリリティアは、困惑気にウルティオを見上げる。
「ですが、ブランザ公爵がこんな証拠を残すでしょうか」
「うん、当然のように、当時の契約書は担当した裏の人間ごと消されていた。でも、裏の人間だって馬鹿じゃない。むしろ裏切りなんて日常茶飯事の世界で生きてるんだ。そんな時に備え、契約書の写しを作っておくのさ。ブランザ公爵が消したのは、その写し。これは原本さ」
「では、これがあればブランザ公爵を糾弾できるのですか⁈」
リリティアが勢い込んで尋ねれば、ウルティオは難しそうな顔をする。
「初めはそう思っていた。でも、他の貴族派の不正の証拠を集めているうちに、こんなものを発見したんだ」
渡されたのは、とある貴族派の家門とブランザ公爵間の土地の売買に関する契約書だ。それ自体には何の変哲もない契約書だったが……。
リリティアは真剣な瞳で契約書を見比べる。そして、ある一点で目を見開いた。
「!まさか、印章が違う……?」
リリティアの言葉に、コナーが目を見開く。
「へえ、よく気づかれましたね。鑑定士でもなければ、なかなか気づけるものではないのに」
各貴族家の当主のみが使用を許されている契約時の印章は、王家から下賜される特別なものだ。特殊な技術が使われており複製は困難とされている。リリティアはジェイコブの代理として仕事をしていた関係上、ブランザ公爵の印章は何度も目にしていた。
(双竜が月を飲み込むブランザ公爵家の家紋が彫られた印章……。でも、裏ギルドとやり取りされた契約書の印章の竜の尾にはごく僅かな歪みがある。でも、本物の印章と見比べなければ、絶対に気づくことはできない……)
「こんなに精巧な偽造、いったいどうやって……。いえ、作らせたのは、公爵自身……?」
リリティアのつぶやきに、ウルティオが頷く。
「そう、どういう手を使ったのか分からないが、ブランザ公爵は非常に精巧な偽造印章を手にしている。そして裏取引には必ずその印章を使用しているんだ。もしその契約書を証拠として糾弾しても、鑑定士が呼ばれれば印章が違う事が分かり、ブランザ公爵は悪意ある他者がこの契約書を偽造したと言って逆にこちらが罪に問われてしまうだろう」
「そんな……」
「でも、逆にブランザ公爵の家からその偽の印章を発見できれば、間違いなく奴を捕らえることができる。国から下賜される印章の偽造は、反逆罪だ」
皆が真剣な表情で頷いた。貴族派の罪を暴き断罪することがここに居る者の悲願なのだ。そのためには、貴族派筆頭のブランザ公爵を引き摺り落とす証拠を掴む事は絶対に必要だった。
「本当は公爵家に忍び込めればいいんだけど、あそこはネズミ1匹逃さない厳重な警備体制が敷かれていて使用人も完全に縁故採用で潜入も難しい。だから今は、ブランザ公爵家へ強制的な家宅捜索まで持っていくための罪状とその証拠を集めているんだ。上位貴族への調査には確固たる証拠が必要だからね」
ウルティオの言葉に、コナーが肩をすくめる。
「まったく、やってられませんよ。貴族派の家々の横領やら不正の証拠は腐るほど揃えてきましたが、どれもこれもブランザ公爵の関与は巧妙に隠されている。幾重にもトカゲのしっぽ切ができる体制が整っているんですから。ほんと、あの公爵はどんだけ人を信用してないんだか」
嘆くコナーに、ウルティオがぴっと一枚の書類を渡した。
「そういう事で、仕事だコナー。その書類の人物の現状を調べろ」
「これは……、レイト侯爵家の当主ですか?」
「ああ、ワーグナー・レイト侯爵。12年前、司法院の副主席をしていた人物だ」
ウルティオの言葉に、リリティアはハッと顔を上げる。12年前、司法長に就いていたのはウルティオの父親である前ルーベンス公爵だ。つまり、レイト侯爵は彼の父親の部下だったということになる。
「順当にいけば、前ルーベンス公爵が処刑された後は彼が司法長に就任するはずだった。しかし、彼はブランザ公爵の息のかかった貴族派の人物にその地位を譲って司法院から退いている。貴族派の圧力に屈しただけだと思っていたんだが、昨日のパーティーで彼がずっと臥せっているとの情報を得た」
「病っすか……?それが何か問題なんですか?」
ガスパルの問いに、ウルティオが瞳をすがめる。
「彼だけじゃないんだ。ほぼ同時期に、王族派の主要人物だった者たちも原因は分からないが表舞台から姿を消していた。そのせいで、王族派の力が急速に低下したんだが……。彼らも臥せっていて一度も他の貴族との接触がないらしい」
「それがブランザ公爵の仕業だとしたら……毒の可能性が?」
「ですが、高位貴族ほど毒への警戒はかなりしているはずです。全員が同じように毒にやられるとは考えにくいですわ。それに、毒にやられたからといって簡単に貴族派におもねるとも思えませんし……」
「ああ、だからその調査にも手をまわしたい。そこでブランザ公爵の関与している証拠をつかめれば儲けものだ」
「了解しました」




