企み(2)
夕刻、リリティアは支度を整え騎乗したウルティオを見送るため街の外に出ていた。
きっと今回の計画はウィル達にとってそれほど危機感を持つようなものではないのだろう。皆の慣れた様子からそれは感じとることができた。それでも、リリティアはもしもウィルが危険な状況に陥ってしまったらと不安な気持ちを拭えないでいた。何故だか、今回の企みを聞いた時から嫌な予感が拭えない。しかし、ウィルはこれからマリアンヌやジョルジュ殿下を助けに行ってくれるのだ。引き留めることもできず、リリティアは祈る様に組んだ両手に力を込める事しかできなかった。
(どうして、こんなに不安なんだろう。ウィルがとても強いことは、分かっているのに)
リリティアの様子に気づいたのだろう、ウルティオは冷静に指示を出していた視線を緩めて馬を下りると、リリティアの強張った手をそっと握った。
「リリィ、いきなり決まって驚かせちゃってごめんね。でも、ちゃんとマリアンヌ嬢もジョルジュ殿下も救ってくるから安心して。終わったら真っ先にリリィの元に帰ってくるから、ここで待っていてほしい」
ウィルの気遣う心が伝わってくる。リリティアは唇をつぐんで、コクコクと頷いた。
(いつまでも私が不安な顔をしていたら、ウィルを困らせちゃう)
「……はい、待っています。どうか、気をつけて……」
「うん」
優しく微笑んだウルティオは、リリティアをそっと引き寄せ口づけを落としてからひらりと馬に跨った。
リリティアは王都に向けて出発したウルティオの騎乗する背中を見えなくなるまで見送っていた。空は茜色に輝き、大地と共にウルティオの姿も真っ赤に染める。その色に不安を掻き立てられ、リリティアはその背中が見えなくなっても目を逸らすことができなかった。
「リリィ様、大丈夫ですか?」
立ち尽くすリリティアを、カミラが気遣うように声をかける。
「ええ、ごめんなさい。少し、不安になってしまって……」
「大丈夫ですよ!実行するのは組織力もない傭兵崩れのような連中との情報です。そのような相手なら、ウルティオ様が出遅れる事はございません!」
「そう、ですよね……」
「それに、関わっているのは貴族派でも末端の奴らですもの、心配ございませんよ!」
カミラの言葉に、リリティアは霧のように体を取り巻いていた不安がふいに形をとったような恐ろしさを感じて胸を抑えた。
その手口には、覚えがあった。
(いつだって、そうだった……。実行は全て他の者にやらせて自らの関与は全く残さない――それが、ブランザ公爵のやり方……)
「――私、マチルダさんの所へ行きます!」
「え?は、はい!」
慌てて追いかけるカミラと共に、リリティアはマチルダのいる拠点へと駆けて行った。
息を切らしたリリティアが拠点へと駆け込むと、マチルダとコナーとブレダ、そして顔見知りの数人の組織の人間が驚いたようにリリティアに目を向ける。
「リリィ様、どうされました?」
「マチルダさん、もしかしてこれから、ブレダ先生も現地に派遣されるのですか?」
「はい、念のために避難用の拠点に行っていただく予定ですが……」
「……とても、我儘なお願いだと分かっています。でも、……私も、助手として先生について行かせていただけませんか?」
リリティアの言葉に目を見開いたマチルダは、気づかわし気にリリティアの手をとった。
「……心配するお気持ちも分かりますが、もしもの時の逃走経路もしっかり確保しておりますから心配ございませんよ。ウルティオ様にもここでリリィ様をお守りするように指示を受けておりますから、ここで一緒にお待ちしましょう。――なにより、ウルティオ様はリリィ様を王都に近づけることを心配していらっしゃるのです」
「……分かっているのです。ブレダ先生もいらっしゃるなら、私が行っても何の意味もない事くらい。……ですが、今回の計画には、ブランザ公爵の関与の疑いがあるんです」
ブランザ公爵の名に、部屋の中が一気に緊迫感を増した。険しい表情でコナーが立ち上がる。
「リリィ嬢、それはどういう事ですか?」
「ブランザ公爵は、後ろ暗い工作を行う時は必ず末端の人間を使って絶対に自身の関与した形跡を残さないのです。今回の計画も、不思議なほどにブランザ公爵の関与は見られず、末端貴族の功を焦った暴挙のようにしか見えません。でもそれこそが……今までのブランザ公爵のやりようと非常に似通っているんです」
「ですが、それでは公爵の関与があるかも証明できませんよね」
「分かっています。ただの私の思い過ごしなら良いのです。でも、もしもブランザ公爵の関与があった場合、この企みにはリーデルハイト家を貶める以外にも、二重三重の意味があるかもしれないんです。……例えば、ウィルをおびき出すため、とか……」
震えるリリティアの言葉に息を呑んだマチルダは、真剣な表情で顎に手をあて考え出した。
「わかりましたわ。念のため、人員の増員を行い、間に合うか分かりませんがウルティオ様にもお伝えしましょう」
「ありがとうございます!」
「しかし、ブランザ公爵の関与があるのならば余計にリリィ様を王都へは近づけられませんわ」
「絶対に、現地では皆さんの指示に従います。私の素性がバレる心配があるのだというのなら、この髪を切って男に変装してもいい。だからどうか、私をウィルの側に行かせてくださいませんか」
必死の表情で自身の髪を握りしめるリリティアに、皆が揃って顔を青くさせた。
「頼む嬢ちゃん、それだけはやめてくれ!嬢ちゃんの髪を切るなんてことになれば、ここにいる奴らは全員首を切られかねん!」
ブレダが死にそうな顔で首を振る。
リリティアは、真剣な瞳でマチルダを見つめた。その真っすぐな眼差しを受け、マチルダもまた真剣な表情でリリティアを見返した。
「……わかりました。私も共に王都の拠点へまいります」
「よいの、ですか?」
「お叱りは受けるかもしれませんが、元よりウルティオ様にはできる限りリリィ様の望みを叶えるようにと言われていたのですもの。リリィ様は私とカミラが命に代えてもお守りします」
「はい、お任せくださいませ、リリィ様」
マチルダとカミラの言葉に、リリティアは胸が熱くなってばっと頭を下げた。
「ありがとうございます、マチルダさん、カミラ」
夜になって、目立たない馬車で王都に潜入したリリティア達がやって来たのは、なんの変哲もない小さな別荘のような建物だった。
「ここが一旦の逃走時の拠点です。追手を拡散するため、他の工作員たちは別の拠点へ逃げる手はずになっています」
マチルダは大きなバルコニーのついた二階の部屋へとリリティアを案内する。今回ともにやって来たのは、マチルダとブレダ、そしてカミラの三人だった。
リリティアは不安な状態で時が過ぎるのを膝を抱えて待った。窓から空を眺めれば、今日の月は厚い雲に覆われ見ることはできない。逃走時の事を考えれば姿を暴く明るい月が出ていない方が良いはずなのに、不安が募っていく。
(そろそろ、パーティーも終わる時間。どうか、何事もなく終わりますように……。ウィル、どうか無事で……)
リリティアは祈る様に両手を握りしめる。
その時、ベランダからどさりと何かが落ちるような音がしてリリティアは立ち上がった。マチルダの静止の声も聞こえずに真っ先にベランダの扉を開けると、そこには床に膝をつくウルティオの姿があった。
「ウィル!」
帰ってきてくれた事にほっとして駆け寄ると、リリティアの声に顔を上げたウルティオが目を見開いた。
「リリィ、何故ここに……っつ」
痛みを耐えるように腹部を抑えたウルティオに、嫌な予感がつのる。
ウルティオの押さえている腹部を見ると、服が赤く染まっていた。そこから、ぽたりぽたりとたれる赤い雫に、リリティアは血の気が引いて喘ぐようにウルティオに駆け寄った。
「ウィル、怪我を⁈」
ウルティオは泣きそうなリリティアの頬に手を触れ、あやすように優しく微笑んだ。
「はは、格好悪いところ見せちゃったね。どうも俺たちが今回の企みを阻止しに動くことを感づかれていたみたいだ。でも、貴族派の企みはちゃんと潰してみせたよ」
おどけたように笑って見せるウルティオに、リリティアはフルフルと首を振る。
「格好悪くなんてないです。ウィルは、誰よりも格好いいヒーローです」
「リリィにそう言ってもらえるのは嬉しいなぁ」
へらりと笑った拍子に再び傷が痛んだのか、グッと耐えるような表情を浮かべたウルティオに泣きそうになる。
「ウィル、無理しないでください。今、治療しますから」
(泣いている場合じゃない。なんのためにブレダ先生に師事してきたの?こんな時に、ウィルを助けるためなのに)
リリティアは震える手で服を捲り腹部の傷を確認する。ウルティオが止血のために当てていたであろう布はぐっしょりと血で重くなっている。相当の出血量だ。
「坊主、お前何でやられた?腹部に何かがめり込んでる。こんな傷見たことないぞ。恐らく止血を妨げる毒も仕込まれてる」
「小さな筒状の……おそらく遠距離用の武器だった。逃げる時に小さな爆発音のようなものが聞こえて、振り向いた瞬間に腹部に痛みが走った」
二人の会話に、リリティアが顔色を青くさせる。
「……おそらく、ピストルという武器だと思います。他国で開発された武器で、ブランザ公爵が密かに輸入しようとしていたものです。まさか、もう手にしていたなんて……」
「嬢ちゃん、その武器の特徴は?」
「私も詳しくはありませんが、火薬を用いて高速で鉛の弾を打ち込むことが出来るはずです」
「チ、深部まで鉛の塊がめり込んでんのか。手術で摘出する必要があるな。ここじゃ薬も厳しい。できれば診療所まで持っていきたいが、この出血でそこまでは保つかどうか……」
険しい顔のブレダに、ウルティオの手を握るリリティアの手が震える。目の前が真っ暗になりそうなリリティアの頬を流れる雫を、優しい温もりがそっと拭った。
「大丈夫だよ、リリィ。俺は鍛えているからね、診療所までなんて楽勝さ。マチルダ、馬車は用意できているな?」
「は、はい」
酷い痛みにさいなまれているはずなのに、ウルティオは何でもないようにリリティアに微笑みかける。いつもと同じ、大好きな笑顔を見て目頭が熱くなる。
(私は、ウィルを助けたい。いつだって私の事を一番に大切にしてくれるこの人を、……こんな時まで私の心を守ろうとしてくれるウィルを、私も、守りたい――!)
それは、リリティアにとって必然の行動だった。
ウルティオの傷口にそっと手を当て瞳を閉じる。
――ここに器具さえあれば、どうすればよいのか分かっている。腹部からの弾の摘出。毒は……この独特の匂いから使われているのはジジク草。解毒に必要なのはキアラ草による止血作用。傷ついた血管を修復させ、傷口を塞ぎ……――。
治療法が次々に頭に浮かぶ。そしてそれと共に、『出来る』という思いが浮上して確信に変わった。
リリティアのラベンダー色の瞳が開かれる。
今までは小さな切り傷しか治せなかったけれど……。きっと、出来る――!
「光よ――」
リリティアの呟きと共に、光が溢れた。




