企み(1)
本日、『悪女に仕立て上げられた薄幸令嬢の幸せな婚約破棄』の第8話が先行配信されています!リリィとウィル、子供時代の二人がめちゃくちゃ可愛くて尊いです(*^^*)
「リリィ様、本当にありがとうございました」
「この薬を飲んで、安静にしてくださいね」
頭を下げる女性に、リリティアは笑顔を浮かべで医療道具の詰まったカバンを閉めた。
ここは貴族向けの高級娼館。マチルダが運営する、裏で貴族の情報収集を行っている場だ。夜であれば煌々と明かりがともる煌びやかな場ではあるが、昼の今は寝ている者も多いのだろう、ゆったりとした空気が流れている。
患者の部屋を出て、リリティアはマチルダの私室であろう落ち着いた内装の部屋でお茶をもらった。ここに着いてから、ずっとリリティアに付き添っていたマチルダが申し訳なさそうに憂いを帯びた表情で頭を下げる。
「申し訳ありませんでした、リリィ様。いきなり来ていただく事になって」
「いいえ、マチルダさんが謝られることなんてありません。ブレダ先生の助手として当然のことをしただけですから」
慌てたように首を振り、リリティアはマチルダに顔を上げさせた。
診療所で治療の準備をしていたブレダとリリティアのもとに、マチルダからの使いがやって来たのは今日のお昼前のことだった。娼婦の一人が階段で転倒して恐らく腕の骨が折れてしまったため診察をお願いしたいとのことだったのだが、運悪く街中でも急病人が出たとのことで治療に向かうところだったのだ。どちらも急を要するため、どうするかと頭を悩ませるブレダにリリティアは自分が娼館に向かうと告げた。
スポンジが水を吸うかのごとく次々と技術を習得するリリティアに、ブレダは自らの医学知識と経験を出来得るかぎり授けていた。一を教えれば十を理解するリリティアだ。面白いように技術を上げるリリティアの教育に、熱が入るのも当然だった。だから技術的にはなんの問題ないのだが……。
『いや、うん、任せて大丈夫なんだが、場所がな~。なんて言われるか……』
がしがし頭を掻いたブレダだが、最終的には致し方ないと同意したのだった。
娼館に着いてリリティアがやって来たことを知ったマチルダも、目を見開いた後で悩まし気な顔をしていた。
「……あの、確かにブレダ先生に師事してからまだ日が浅いので不安かもしれませんが、今回の処置は問題ありませんでしたので心配はないですよ」
ブレダやマチルダの様子に、まだ助手の自分の技術では不安だっただろうかと誤解したリリティアがそう言えば、マチルダは首を振って苦笑した。
「リリィ様の治療には全く不安はございませんわ。街でも丁寧な治療をして下さるととても評判ですもの。……困っておりましたのは、このような場にリリィ様をお連れしてしまった事をウルティオ様が知れば、お怒りになるのではと思いまして」
マチルダの言葉にリリティアは驚いたように目を見開く。
「そんなことないです!それに、このような場だなんて、言わないでください」
リリティアは真っすぐな眼差しでマチルダを見つめる。そして見てくださいと大切そうに手の中の包みを見せると、嬉しそうに微笑んだ。
「先程の患者さんの部屋を出た時、わざわざありがとうと言いに来てくれて、お礼にと可愛らしいお菓子をくれた女性がいたんです。人のために、心からありがとうと言えるとても綺麗な笑顔の方でした。――ここの方たちは、皆さんとても優しくて素敵な人たちですね」
「リリィ様……」
先程の女性はもちろん、部屋に着くまでにすれ違った女性たちも治療に来た自分にとても感謝し、優しい言葉をかけてくれた。辛い生活の中では他人を想う心をなくしてしまう人も多い中、ここの女性たちは協力し、支え合っているように感じられた。それもきっと、ここを取りまとめているマチルダのお陰なのだろう。
リリティアが心からそう言っているのが分かったのか、マチルダはふわりと頬を染め、とても嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「……本当は、嬉しかったのですわ。娼婦の治療など、普通は薬師も倦厭するもの。それなのにリリィ様は躊躇いなくここに治療に来てくださって、娼婦の患者にもとても真摯に向き合ってくださいましたもの。今日診てもらった子も、借金の形に売られてきましたけども腐ることなく真面目に働くとても良い子なのです。ここの者は皆、支え合う家族のようなものなのです」
「マチルダさんの大切な方を助けることが出来て、私も嬉しいです」
「……。ふふ、本当にリリィ様は素敵な方ですね。ウルティオ様が溺愛していらっしゃるのも分かりますわ」
「そんなこと、……いえ、あの……」
頬を染めるリリティアを、マチルダは嬉しそうに見つめる。
「今度、お礼にまたリリィ様の服をコーディネートさせてくださいませ。私、かつてはリリィ様のような可愛らしいお嬢様の侍女になるのが夢でしたのよ。貧乏貴族の出身でしたから」
「そうなのですか?」
驚いたリリティアだが、普段の所作や言葉遣いに加え、とても楽しそうに服を選んでいた様子を思い出せば侍女として働く姿に違和感はなかった。
「貴族出身といっても、本当に名ばかりの子爵家の妾の子なのですけれど。本妻やその娘に、ずっと見下されながら生きてきましたわ。だからなんとか伝手を辿って、上級貴族のお嬢様の侍女となって家を抜け出す計画でしたの。でも、その前に貴族派に家が没落させられて娼館に売り払われてしまったのです」
「そうだったのですね……」
悲し気に瞳を揺らすリリティアに、マチルダはあっけからんと微笑みかける。
「悲しい顔をなさらないでくださいませ。残念ですけれど、この国ではそんな話ありふれたものですわ。それに、私は今の生き方を誇っておりますの。初めは絶望していた時もありましたけれど、今の私は私のような身の上の子たちを守る力がある。ウルティオ様の元で、この腐った国を変えてやるのですわ」
堂々と胸をはるマチルダの姿は、とても美しく綺麗だとリリティアは思った。
「はい。マチルダさんはとても格好良くて、憧れます。それに、綺麗なだけでなくとても可愛らしいですし」
「まあ、私が……可愛らしい?」
マチルダは目を瞬かせる。その妖艶な美貌から、美しいと言われることはあっても可愛いと言われたことなどなかったマチルダにとって、リリティアの発言はとても意外なものだった。
「はい、ガスさんと話している時のマチルダさんは、とても可愛らしい表情をされています」
ほわりとした笑顔で告げられた言葉に、今度はマチルダが顔を赤くさせた。リリティアがとても誠実で正直な人柄であるという事を知っているからこそ、告げられた素直な言葉を否定することもできずに二の句が継げないのだった。
その時、ノックの音が聞こえて二人は顔を上げる。
「失礼しますね、姐さん、マチルダ」
「ガ、ガ、ガス⁈」
丁度話題に上がっていた人物が現れ、マチルダはがたりと立ち上がって顔を真っ赤に染め上げた。ガスパルも、いつもと様子の違うマチルダに「ガガガス??」と疑問符を浮かべている。
(いつも優雅で落ち着いている方だけれど……)
すでに美しく整っている髪を手櫛でさらに整えだすマチルダに、やはり可愛くて素敵な人だとリリティアは笑みを浮かべた。
「と、ところで、何の用ですの?」
仕切り直すように咳払いをして問いかけたマチルダに、ガスパルはハッと真剣な表情に切り替えて口を開く。
「ちょっと問題が起きたらしい。今から事務所の方に集まるようにとの指示だ。良ければ、姐さんも俺が護衛させていただきます」
***
事務所に入ると、そこにはウルティオとコナーが揃っていた。こちらに気づいたウルティオが立ち上がり、リリティアの手をとって椅子に座らせてくれる。
「お疲れ様、リリィ。娼館での治療を、一人で任されたんだって?」
「はい!診断から治療までを全て一人で任されたのは初めてでしたが、しっかりとお役目を果たすことができました」
「さすがリリィだ」
嬉しそうに報告するリリティアを愛おし気に見つめ笑みを浮かべたウルティオは、次いでマチルダにすっと鋭利な視線を向ける。その視線を受けてマチルダは即座に頭を下げて報告を上げる。
「娼館にてリリィ様が治療中は、私が常に側で護衛をさせていただいておりました。万が一にも外部の者の目には触れさせておりませんのでご安心くださいませ」
「ならいい」
視線を戻したウルティオは、机に戻るといくつかの資料を取り出した。マチルダとガスパルも、それぞれソファに座りウルティオの言葉を待つ。
「実は貴族派がリーデルハイト公爵家で王族に危害を加え、その責任を公爵になすりつけようとする計画がある事を掴んだ」
「っ!」
ウルティオの言葉に、リリティアは息を呑んだ。リーデルハイト公爵は、王太子の婚約者であるマリアンヌの父親だ。
「そんな、どうして……!」
「今まではリーデルハイト家は中立派であり、条件に合う令嬢がマリアンヌ嬢しかいなかったため渋々王太子の婚約者としたというスタンスでいた。しかし、マリアンヌ嬢の説得なのか最近は王族派としての立場を表明しはじめたんだ。その動きは、当然貴族派としては目障りなはずだ」
「そんな……」
以前ジョルジュから聞いた王族の現状を思い出す。王城は、すでに貴族派の手の中でありジョルジュも身動きが取れない状況だ。そんな中で力のある公爵家がジョルジュにつけば、どう思われるか――。
「今夜、マリアンヌ嬢の誕生パーティーがリーデルハイト家でとり行われる。その際にジョルジュ殿下と妹のジェニファー王女が出席される予定だ。そこで二人のどちらかに何か事故でもあれば、リーデルハイト公爵は責任問題で最悪投獄される恐れもあるし、そこまでいかなくとも王族派との確執ができるだろう」
もしも王族のお二人に怪我でもあれば、例えそれが貴族派の仕業だと疑っても明確な証拠がなければ主催者であるリーデルハイト家の責任問題は免れない。貴族派の手中にある司法院では、おそらく大した捜査も行われる事なくリーデルハイト公爵が罪に問われるだろう。そして味方であるはずの公爵家を庇うことなく処罰が行われたとなれば、王族の求心力は地に落ちる。
(あんなに、想いあっているお二人なのに、王族と公爵家に大きな確執が生じてしまう可能性もある……。そうなれば、マリアンヌ様はどれだけ苦しまれるだろう)
マリアンヌを思い顔を青くするリリティアの肩を、ウルティオがしっかりと支えた。そしてはっとしたように顔を上げるリリティアの両肩に手を置き正面からラベンダー色の瞳を見つめると、自信に溢れた青空のような笑顔を浮かべた。
「リリィ、心配いらないよ。リリィの目の前にいるのが誰だと思っているの?この怪盗ウルティオが、そんな企み木っ端微塵にしてあげる」
「ウィル……」
「リーデルハイト家と王族で確執ができてしまえば、さらに貴族派の力が強まってしまう。それを防ぐのは当然さ。パーティーに忍び込む伝手も手に入れた。マリアンヌ嬢の事は、俺に任せて」
「リーデルハイト家に、忍び込めるのですか?」
貴族の家は家格によって警備も厳重だ。公爵家ともなれば相当なものなのだが……。
「なに、パーティー出席者のとある貴族家の御者がたまたま今日腹を壊してしまった所に、前から下男として潜入させていた奴が後釜になっただけだよ」
ニコリと笑うウルティオの後ろで、「下剤入りのコーヒー飲ませておいて何言って……」と笑うコナーの足をウルティオが容赦なく踏みつけ悶絶させていた。
「さて、急だがガスは王城から公爵家までの街道の監視の為に工作員の配置を。恐らく危害が加えられるのは公爵家の中での事になるとは思うが、念の為行き帰りの馬車も気取られないように護衛しろ。コナーはパーティー出席者の情報をギリギリまで集めておけ。マチルダはその間の拠点の取りまとめを」
「了解です」
「かしこまりました」
そうして、素早く対処のための計画が立てられ慌ただしく準備が行われていった。
リリティアは不安な気持ちを押し殺し、自分にできる事をしようとコナーを手伝いパーティー参加貴族の情報をまとめていったのだった。




