授業
「お母さん、この前侯爵邸に怪盗ウルティオがやって来たと話したでしょう?なんとね、怪盗さんは今度は学園に変装して教師としてやって来たのよ。きっと次に侵入する家の情報を探っているのよ。学園には貴族の子がたくさんいるのだもの。昔お母さんと何度も見た絵本に出てくる怪盗ウルフの冒険みたいでしょう?悪い貴族から宝石を盗み出して民に還元してくれる正義の味方だもの。本物に会えるなんて、私とてもドキドキしたわ」
貴族や有力者のみが使用を許可されている国の治療院の一室で、リリティアはいつもの定位置であるベッド横の椅子に腰掛け、楽しげな様子でベッドに寝る母親に話しかける。
「明日はね、その怪盗さんの授業があるの。私、こんなに学校が楽しみな事ってはじめてだわ。絶対にお母さんにも教えようと思って来てしまったの。
……また、週末に来るからね。その時は、怪盗さんの授業がどんなだったかお話するね」
***
リリティアはソワソワとした気持ちのまま学園に赴いた。今日は外部講師による法学の初めての授業があるのだ。
法学の授業という事で女子生徒で履修している者は少なかったが、将来公爵家の当主代理を務める事になるリリティアは当然のように履修が義務付けられていた。
(その事をこんなに嬉しく思う日が来るなんて、思わなかった……)
怪盗さんはどんな授業を行うのだろうとドキドキしながら端の席で待っていると、先週見たのと同じ茶髪で眼鏡の変装をしたウルティオが穏やかな紳士の笑みを浮かべながら教室に入ってきた。
「はじめまして、皆さま。本日から法学の講義を担当させていただきます、弁護士のウォーレン・リドニーと申します。普段はいくつかの貴族家の顧問弁護士をさせていただいております。
私の授業では、皆さまが将来領地運営をしていく際に関わってくるより実践的な法律の読み解き方を講義していきます」
爽やかな笑みを浮かべて礼をするウルティオに、女子生徒たちが色めきたった。
それも当然と言えるほど、ウォーレン・リドニーは知的で穏やかな雰囲気があり、加えて非常に整った顔立ちをしていた。
「まず初めの授業では、現在この国の法律であるオルティス法の成り立ちを理解した上でどのように現状の制度へ推移されていったのかをご説明しましょう。なぜこの法が必要であるのか理解をしていれば、その応用も非常にわかりやすくなると思います」
講義を始めたウルティオの声は澱みなく、とても堂々としたものだった。
「もちろん皆さまご存じの通り、オルティス法の原案を定めたのは解放王と呼ばれるオルティス一世です。三百年前の当時は大陸中が戦火の只中にあり、戦争では多くの奴隷兵が消費され、大量の死者が出ていました。その現状を憂いたオルティス一世が近隣諸国の奴隷兵をまとめ上げ、戦乱を平定したのがこの国の始まりと言われております。よってオルティス法の第一条には、真っ先に奴隷の禁止が定められました」
解放王オルティス一世の話は全ての国民が知る物だ。――そしてその血を継ぐ王族の権力が今や地に落ち、貴族たちに押さえつけられているということも。
王族の権利は年々貴族に取り上げられ、現王であるカイルス陛下は今では議会にも出席していないと言われていた。貴族派の貴族たちが議会を独占しており、王族を支持していた王族派はある時期から急激に力を落としている。
「この国の政は『王』と、高貴な血をもつ貴族家で構成される『貴族院』で執り行われています。建国当初に作られた民の声を聴くための『評議会』は今は廃止され――」
「おい!」
説明の途中で、妨害するように生徒側から声がかかった。
「教師と言うなら手っ取り早く領地を富ませる方法でも教えてくれよ」
講義の途中でニヤニヤしながら口を挟んできたのは、ある伯爵家の嫡子である男子生徒だ。
彼は貴族である自分が平民から教わる事自体が気に食わず、ましてウォーレン講師の整った顔立ちに令嬢が目を奪われている状況が面白くなかった。彼は昨年も気に入らなかった講師に嫌がらせを繰り返し辞めさせた過去がある。
「ぷっ、おいおい、そんなの答えられる訳ないだろ」と、吹き出すような嫌な笑い声がその生徒の周囲で巻き起こる。
しかし、ウォーレン講師――ウルティオは、男子生徒が期待するような動揺は一切見せずに振り返り、穏やかな笑顔のままパタリと本を閉じると口を開いた。
「なるほど、流石は次期スノウ伯爵様ですね。このような基礎的な内容などもうご存知でしたでしょうか。
――では、確実に税収を上げる方法をお教えしましょう」
言い切ったウルティオに、教室は一瞬静まり返った。
「……は?」
騒いだ男子生徒のみならず、他の生徒達もみな何を言っているのかと教壇を凝視した。
すべての領地でも通用する税収の上げ方など、そんな魔法のような方法ある訳ないと全ての生徒が思っていた。そんな方法があるのならば、今までにとっくに施行されているはずだ。
「なに、簡単なことです。――平民たちの住む区画に下水道を整備すれば良いのです」
「…………はあ⁈ふざけるな‼︎何故それが税収の増加に繋がるっていうんだ!!だいたい、なんで平民の街の整備などを私たちの金でせねばならないんだ!」
男子生徒の言葉は貴族の間では常識だ。自分たちのために尽くさねばならない平民に金をかけるなどあり得ない事だった。
「高貴な血を引く皆さまがわざわざ下々の者の生活を気にかける必要などないのは承知しております」
ウルティオは、全く動揺することなく笑みさえ浮かべ、男子生徒に向き直る。
「別に平民を慈しめと言っているのではありません。皆さまの領地の平民は、あなた方の財産なのです。
しかし近年、衛生環境の悪化から平民の死亡率が上がっております。それに伴い、その平民が皆さまに支払うはずだった税金もなくなり、領地の税収が下がってきているのはご存じですね?」
現在オルティス王国は各地で疫病の発生が報告されていた。しかし発生するのは衛生環境の悪い下層の住民街ばかりであり、それに対して対策を取ろうとする貴族は少なかった。疫病の流行った村を焼き討ちにした領主も存在する。
平民の命は、貴族たちにとって道端の石ころのように軽かった。
かつてあった民を守るための法律は、貴族院の議会において強引にその法の解釈を変えさせられ、貴族に有利なものへと変貌を遂げていた。
「西のガイル国では下水の整備によって衛生環境が改善され、平民の死亡率が飛躍的に改善されています。
平民が増えれば、その分税収も増える。単純な計算です。
なに、莫大な費用をかける必要などないのです。昨年そのガイル国で提唱された建築技法をご存知ですか?その方法でしたらかなりの費用を抑えて建築が出来ます。初期費用は二、三年で回収できるでしょう」
他国ですでに導入されているとの話に、生徒たちはざわつき始める。講師の話に信憑性が増した中で、「何より……」と、不思議なほどによく通る声が生徒たちを黙らせた。
注目を集める中、ウルティオはすべての人を魅了するような笑みを浮かべる。
「何より、――その施設には、建造を指示してくださった皆さまの名前が大きく彫られ、民衆の永遠の尊敬を集める事でしょう」
ウルティオの独壇場のような演説には、不思議なほどの説得力があった。何人かの生徒が、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえるようだ。
名誉を何より尊ぶ貴族たちにとって、自分の名が後世に残るとの言葉には、魔法のような魅力が込められていた。
授業終わり、そんな生徒たちが熱に浮かされたように何事か考えながら教室を出ていくのを驚きの目で見ていたリリティアに、不意に視線があったウルティオは悪戯が成功したかのようにパチリとウインクをしてみせた。




