薬師3
本日『悪女に仕立て上げられた薄幸令嬢の幸せな婚約破棄』7話が先行配信です!
「こちらで助手として働いて良いというのは、本当ですか⁈」
リリティアは先ほどブレダから伝えられた言葉に、喜びで瞳を輝かせた。
ブレダに医学を教えて欲しいと願ってから一週間。初めは断りそうなそぶりを見せたブレダに申し訳ないと思いながらも、リリティアはどうしてもこの機会を無駄にしたくなかった。だからなるべくブレダの迷惑とならないよう、手伝いをさせてもらっている期間は掃除から薬草の仕分け、怪我の治療の補助まで、できるだけの事をしてきた。
(ただ心配しているんじゃなくて、もしもの時にウィルを助けることのできる力を持ちたかった。……でも、これ以上ブレダ先生を煩わせることはできないし……。もしこれで駄目だと言われたならば、きっぱりと諦めて独学で頑張ろう)
リリティアは約束の一週間の最後の日、緊張しながらブレダの判断を待っていた。そうして告げられた了承の言葉に、リリティアの心は歓喜に包まれた。
「ありがとうございます!」
「良かったですね!」
護衛として一緒に来ていたカミラと手を取り合って喜ぶリリティアの姿に、ブレダはぼりぼりと頭を掻く。
「怪盗坊主にも頼まれちまったからなぁ。組織のトップには逆らえん」
「!……ウィルが、ブレダ先生に頼みに来ていたのですか?」
「……俺が組織関係者であることは驚かないんだな」
「あ、……はい。ウィルがあの家に関係者以外を入れることはないと思っていたので……。
……あの、では、命令で仕方なく許可を下さったのでしょうか?」
ブレダのところで医学を学ばせてもらうために一週間お手伝いをしに行くのだと伝えた時、ウィルはリリィのやりたいことなら応援すると言ってくれた。しかしこれはあくまでも自分の我儘だ。そのためにウィルやブレダに迷惑をかけたくはなかった。ブレダには医学を教えてもらう代わりに、できるだけの手伝いをして返していくつもりであり、それが可能であるかをこの一週間で判断してもらいたかったのだ。
(でもやっぱり、無理に押しかけて先生のお仕事を邪魔する訳にはいかないわよね……)
申し訳なさそうにしゅんとして肩を落とすリリティアに、ブレダは慌てたように首を振った。
「違ぇよ、確かに嬢ちゃんを頼むと言われたが、俺も闇医者といえども医療者の端くれだ。患者の命を預けられる人間かをちゃんと判断しねえことには教えられないからな。そこは公平に判断させてもらったよ。嬢ちゃんは膿んだ傷の手当ても嫌悪することなく丁寧にしていたし、真摯に学ぶ姿勢は本物だった。だからここで働いてもらおうと思ったんだよ。人手も足りなかったしな」
ぽりぽり頬を掻きながら、ブレダはそれに……と思考を飛ばす。
(あんだけ優秀さを見せられたら断りたくとも断れないさ)
ブレダが思い出しているのは、手伝い三日目にこの家の薬棚の薬を教えた時だ。よく使う薬を教えておこうと思ったら、たった半日でここにある百種類以上ある全ての薬を覚えてしまった。しかも本で読んだことがあると言ってそれぞれの薬効まで完璧に把握している。さらにはガイル国の最新の医学書も読み込んでおり、知識だけなら医学院の学生を軽く凌駕しているだろう。
(こりゃ、本当に実践経験だけだな。鍛えがいがありすぎる)
そうして、週の半分を法律事務所、もう半分を薬師の助手として学ぶ生活が始まったのだった。
元来勉強が好きなリリティアにとって、学ぶことの多い助手の仕事はとてもやり甲斐のあるものだった。ブレダの治療に同行し、その技術を間近で見ながら吸収していく。一月後には、簡単な治療であればリリティアに任されるようになった。
いつも笑顔で生き生きと働くリリティアに、ブレダが苦笑を浮かべる。
「嬢ちゃんはいつも楽しそうに働いてんな。別に嬢ちゃんならわざわざこんな苦労しなくたって、怪盗坊主がなんでも手配してくれんだろうに」
「苦労だなんて思っていません。新しい事を学ぶのは、とても楽しい事ですから。……そういえば、ブレダ先生は昔医学院で学ばれていたんですよね?その後治療院で働かれていたのだとウィルから聞きました」
医学院は医学を学ぶオルティス王国唯一の学校だ。国は医師を特権階級としているため、ここに通えるのは貴族だけだった。
「は、昔の話だよ。しがない下級貴族の三男がでしゃばって、平民の患者も受け入れるべきだと進言したせいで治療院の所長からクビにされちまったんだよ。ついでに家からもたたき出されちまって、こそこそ裏で治療をしながら隠れ暮らしているところを怪盗坊主に拾われたんだ」
「そうだったのですね……」
リリティアは痛ましげに胸の前で手を握る。
この国ではどこに行っても身分の差が大きすぎる。平民では、まともな治療を受ける事もできない。
リリティアは侯爵家に引き取られる前に母の治療を断られた時の絶望感を思い出し、胸を痛めた。それでも、ブレダのように平民の患者の為に立ち上がろうとしてくれた医師もいたのだと思うととても嬉しかった。
「まあ、今は怪盗坊主からの資金援助のおかげで充実した治療を自由にする事が出来ているからな。何が幸運に転ぶか分かんないもんだぜ。ま、さすがに設備まで治療院並みにするのは難しいがな」
あっけからんと笑うブレダに、リリティアも小さく笑みを返した。
ブレダは治療費が払えない者にも、治療が必要な者には分け隔てなく治療を行っている。彼が町の人たちからとても信頼されているのは、この一週間見ているだけでもよく分かった。
「そう言えば、怪盗坊主が一度相談に来たことがあったな。治療院で治療中の重篤な肺疾患の患者をここで診てもらうことはできないかって。出来ない事はない……が、治療院とここでは設備に大きな差がある。もしもの時に対応できる保証はないってそん時は答えたんだ。いくらつぎ込んでもいいからここにその設備を整えられないかって食いついてきたが、流石にそりゃ難しいからな」
「ウィルが……?」
ブレダの言葉に、リリティアは目を見開く。
(重篤な肺疾患?……もしかして、お母さんの、ため……?)
ジワリと目頭が熱くなってきて、とっさに強く目をつぶる。
リリティアはぎゅっと胸を抑えた。胸の奥から熱いものがこみ上げてきて、溢れてしまいそうだったから。
たくさんの感謝の気持ちと大好きの気持ちが溢れてくる。
お礼を伝えても、ウィルはきっと何でもないことのように笑って、逆にお母さんを助けられなかったことを謝ってくるのだろう。幼い頃の私を助けられなかったことを、いまだに気に病んでいるようなとても優しい人だから。だから代わりに……。
(……大好きだって、伝えたい……)
今日は久しぶりにウィルが仕事で遅い日だ。そのことが残念でならなかった。ウィルの笑顔を思い浮かべれば、すぐにでも会いたくなる。
リリティアはあふれる気持ちを胸に抱えながら、澄み渡った青い空を見上げた。
***
裏道でパサリとウィッグを取り去り、本来の艶やかな黒髪を無造作に掻き上げたウルティオは、背後に現れたガスパルに視線を向ける。
「お疲れ様です、ボス」
「報告を」
「ランス家に潜入中のラースからの報告です。王都近くに別名義の別邸を所持している事を確認しました。後ろ暗いもんは全てそこに隠している可能性がありますね」
ガスパルの報告に、ウルティオは口の端を皮肉げに歪める。
「本当に、小心者の貴族ほど小賢しい事を思いつく。ラースにそこに出入りしている使用人を特定させろ」
「了解です」
スタスタと歩きながら、いくつかの報告を終えたガスパルが、「そういえば、姐さんなんですが……」と口にした途端、ウルティオは足を止めてガバリと振り返る。
「リリィに何かあったのか⁈」
真剣な表情に、ガスパルは笑い声を上げた。
「いえ、問題が起きたとかじゃないっすよ。今日も精力的にブレダ先生んとこで治療に当たられてました。ただ今日は船の事故で若い奴ら数人が怪我してブレダ先生んとこに運ばれたんですが、そこで姐さんに手当てしてもらった奴らが姐さんに見惚れてたらしくって。明日には花束でも持って来るんじゃないのかってブレダ先生からの伝言です」
ガスパルの報告に、ウルティオは剣呑な表情を浮かべる。
「何が問題ないだ。大問題じゃないか」
「あんだけ綺麗な人に優しく手当てされたら、そりゃあコロッと落ちまいますよね」
「……一度ヴィートとしてブレダ先生のところに行ってこよう」
「牽制は初手が肝心ですからね」
いい笑顔を浮かべるガスパルを帰し、ウルティオはリリティアの待つ家へと帰った。今日は仕事の都合で夕食を一緒にとることができなかったから出来ればリリィの笑顔が見たいと思うも、先に休んでいるようにと言ったのは自分だ。この時間ではもうとっくに寝てしまっているだろう。
家に入って二階にあがれば、リリィの部屋の扉の下から微かに明かりが漏れているのに気がつく。
「リリィ?」
小さく声をかけても反応がなく、ウルティオがそっと扉を開くと机の上に突っ伏して寝ているリリティアの姿があった。机の上には、いくつもの医学書が開かれている。たくさんの書き込みがされていて、遅くまで熱心に勉強していたのだろう事が察せられた。
「頑張り屋なのは良いところだけど、頑張りすぎてないか心配だな」
くすりと笑うと、ウルティオはリリティアを大切に抱き上げて部屋のベッドにそっと寝かせた。
ベッドに頬杖をつきながら月明かりに照らされたリリティアの寝顔を愛おしそうに見つめると、優しくその頬に触れる。
「無理はしないでほしいんだけどなぁ」
リリィの望みなら、なんだって叶えてあげたいと思っている。何の苦労もさせずに、欲しいものだって何でも買ってあげる。できることなら、この腕に閉じ込めてどこにも出したくないと思ってしまう自分もいる。しかし、リリィはただ守られる事を望んではくれないのだ。リリィは俺の役に立ちたいと望み、いつも一生懸命だ。そんな彼女の願いを否定する事なんてできなかった。
今、リリィはとても生き生きと仕事をしている。その笑顔を見れば、この選択は間違っていなかったのだと思える。リリィが笑顔でいてくれるなら、それでいい。
……ただ、他の男への牽制は許してほしいと思う。今さらリリィを他の男に渡すことなんて、絶対にできないのだから。
「愛してるよ、リリィ」
そっとリリィの頬に手を当て額に口付ければ、リリィがうっすらと瞼を上げた。まだ夢の中だと思っているのか、ぼんやりとしたままウルティオを瞳に映したリリィはふにゃりと嬉しそうに微笑み、頬に触れたままのウルティオの手に頬擦りした。
「ウィル……だいすき、です……」
宝石のようなラベンダー色の瞳を幸せそうにゆるめてそう呟いたリリィは、手を握ったまま再び夢の中に旅立っていった。
「…………」
暫くの硬直の後、ウルティオは赤くなった顔をぼすっと力なくベッドに沈める。
頬を染めたリリティアから真っ直ぐな瞳で大好きですと告げられ再び撃沈させられることになるのは、翌朝の事だった。




