薬師(2)
短めブレダ視点です。
子供の治療を行ったその日の夜、ブレダはどさりとソファに座ってため息を吐く。
「どうしたもんかね……」
思い出すのは医学を教えてほしいと訴えてきた真剣なリリティアの表情だ。あの後やんわりと断ろうとしたのだが、一週間だけ手伝いをさせてほしい、それから判断してほしいと懇願されてそれを了承してしまった。人手が足りていないのは本当の事で、しかし半端な者を雇うことができない理由があったからだ。
ぼりぼりと白髪混じりの頭を掻きながら酒瓶を手にしてテーブルの上のコップに酒を注ぐ。それに口をつけようとしたところで、誰もいないはずの室内に微かな気配を感じて振り返った。
「やあ、ブレダ先生」
振り返った先にいたのは、漆黒の髪を靡かせた端正な顔つきの青年。いつの間に入って来たのであろう、扉に寄りかかってにこりと笑みを浮かべる青年に、ブレダもまた唇の端を吊り上げた。
「ここに来るのは久しぶりだな、怪盗坊主」
「はは、俺を坊主呼びするのは先生くらいだよ」
ウルティオの言葉に肩をすくめたブレダは、コップを傾けながら目を細めた。
「お前のお姫さんが来たぞ。俺に医学を教えて欲しいってよ」
「聞いたよ。俺も驚いた。どうもずっと独学で勉強していたみたいなんだ。ガイル国の医学書も読み込んでるんだよ。すごいだろう?」
自分の事のように自慢げに話すウルティオに、ブレダは眉を寄せる。
「おいおい坊主、まさか本気で嬢ちゃんにここで医学を学ばせる気か?」
「能力的には何の問題もないはずだけど?」
ウルティオの言葉に、ブレダはグッと言葉を飲み込む。
確かにリリティアの子供への対処は的確だった。経験がないだけで、知識量は相当なものであることは、あの後少し話しただけでも察せられた。
「医学ってのは、つまり調剤だけでなく違法な治療行為も含むってことか?」
「リリィが望むなら」
ウルティオの表情に冗談でないことが察せられ、ブレダは眉をしかめる。
「だが、ここはごっこ遊びの場じゃねぇぞ。血を見て倒れられたら困る」
ブレダは薬師と名乗ってはいるが、貴族の目のないこの町では患者の外科的な治療も行っていた。違法なのは皆分かっているが、高額な治療費とコネを必要とする治療院での治療を受けることができない平民たちは皆口を噤んでいる。
さらにブレダは組織の闇医者としても活動している。凄惨な現場を見ることもしょっちゅうだ。たがらこそ、組織に関わりのない者を雇うこともできていなかったのだ。その点リリティアは組織の存在も知っており情報を漏らす心配もない。医学の知識もあり助手としては理想的ではあるのだが、ブレダは初めて熱を出したリリティアを診たときの今にも儚く消えてしまいそうな印象が強く残ってしまっていたため躊躇していたのだ。しかも何より問題なのは、彼女が組織のトップであるこの男が何より大切にしているお姫さんであることだ。
「リリィをそこらの貴族のお嬢様と一緒にしないでくれる?そんなことで誰かを助けることをためらうような子じゃない」
言い切ったウルティオに、ブレダは目を見開く。
てっきりこの男はリリティアを血なまぐさい現場からは遠ざけたいと言い出すと思っていた。
「……そんだけ大切にしてるお姫さんを、よくこんなとこに預ける気になったもんだ」
「リリィが望んだことだからね。リリィの望みは、全部できる限り叶えてあげたいんだよ」
それに……とウルティオは真剣な表情で続ける。
「……リリィは、光魔法が使える」
ウルティオの言葉に、ブレダは息を呑んだ。
医療者にとって、光魔法による治癒はおとぎ話の世界だ。
「おいおい、本当か⁈怪我もたちどころに治せるのか?」
「いや、光魔法では軽度の外傷しか治せないようだ。光魔法が使えるのは現段階でこの世でリリィ一人だけ。光魔法を使っているところがバレればブランザ公爵に気づかれることが分かっているからリリィは外で光魔法を使うことはない。……けど、リリィは優しいからね。光魔法を使えば助けられるかもしれない人が目の前にいたら、きっと使わない自分を酷く責めてしまうだろう。だからそれ以外の手段を学ぶことは彼女の心を守ることにも繋がる」
リリティアを守るためなら何でもするであろう男からの言葉。その瞳には、決定事項を告げる強者からの威圧も含んでいた。
ブレダはガリガリと頭を掻いた後でため息をはく。
「はあ、まあこの診療所も坊主の金で成り立ってるからな。お前さんの頼みじゃ断れん。人手も欲しかったからな」
「ありがとう、先生。リリィのこと、頼むよ」
威圧感を綺麗さっぱり消し去りにこりと人好きのする笑顔を浮かべたウルティオは、手土産にと年代物の酒を置いて去っていった。
いつか手に入れたいと思っていた貴重な酒の瓶を手に、ブレダは責任重大だなと苦笑を浮かべたのだった。




