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花の丘(2)


「落ち着いた?」

「はい」


なかなか涙を止めることの出来なかったリリティアに、無理に涙を止めなくていいんだよと言ってウルティオはずっと寄り添っていた。

空は茜色に輝き、東の空には星の輝きも見え始めた。

白い花が敷き詰められた丘の上に座る二人の眼下の町にも、明かりがぽつぽつと灯り始める。


「ウィル、お母さんのこと、本当にありがとうございました。私には、何もできなかったから……」

「リリィが笑ってくれるなら、それでいいんだよ」

「ウィルは……本当に、……私に、甘すぎます……」


リリティアの言葉に、はははっと笑ったウルティオは、おどけたような笑みを浮かべて口を開いた。


「まあ、君が気にするなら、俺の働き分の報酬をもらおうかな」


パチクリと目を瞬かせたリリティアは、いつかと同じウルティオの台詞にふわりと笑顔をほころばせた。


「私に出来ることでしたら、何でも言ってください」


あの日と同じ台詞をなぞったリリティアに、ウルティオはグッと顔を近づける。今にも鼻が触れそうな位置で、真夜中色の瞳が熱を帯びる。


「じゃあ、キスをしても良い?」


ウルティオの言葉にぱっと顔を赤く染めたリリティアは、恥ずかしそうに目を伏せると小さく頷いて、きゅっとウルティオの服の端を小さく握る。しかしすぐにその手は大きくて温かな手に包み込まれて引き寄せられる。そして、唇に柔らかな感触。


大切にされているのが痛いほどに分かる、まるで優しさを注ぎ込まれるような口づけが落とされる。


幸せで、幸せ過ぎて胸がいっぱいで、また泣いてしまいそうだった。


そっと離れた唇を追うように瞳を開ければ、熱い真夜中色の瞳が慈しむようにリリティアを見つめる。

優しく抱き寄せられて、リリティアは腰を下ろすウルティオの腕の中にすっぽりと包まれた。


「……本当はさ、ここでリリィにもう一度、告白しようと思ってたんだよ」

「え?」

「一度、リリィには振られてしまっただろう?」

「あれはっ!」


ジェイコブとの結婚式の直前、リリティアを連れ出そうとしたウィルに、一緒には行けないと告げた時のことだろうか。あの時はただ、ブランザ公爵の手がウィルにのばされないようにと必死だっただけで……。

驚いたように否定しようとしたリリティアに、分かっていると優しい声が落ちてくる。


「うん、分かってる。でも、俺はリリィに関することにはどうしても臆病になってしまうみたいなんだ」


まるで顔を見られたくないかのように、リリティアを胸に抱き込んだままウルティオは話を続ける。


「あの時はリリィに選択肢のない中で、無理やり連れ去ってしまったみたいなものだから。俺に恩を感じているリリィが無理に俺の想いを受け入れるようなことはして欲しくなかった。……まあ、君が俺のもとで後悔するのが怖かっただけなんだけど。

だから君の悩み事、全部解決して、その上で俺を選んでもらいたいと思っていたんだよ」


温かな腕に囚われたまま、リリティアは目を見開いてウルティオの言葉を聞く。


「ブランザ公爵の追手にけりをつけて、リリィのお母さんの事も安心できたら。……そうしたら、もう一度リリィに気持ちを伝えようと思っていたんだ。

……でも、結局リリィに先に言わせてしまうなんて、格好悪かったな」


決まり悪そうに頭をかくウルティオに、リリティアはふるふると首を振る。

どうして、格好悪いだなんて思えるだろう。こんなにも、自分の事を大切に思ってくれている人を。


リリティアは顔を上げて、真っすぐにウルティオを見つめて口を開いた。


「そんな事ありません!ウィルは、誰よりも格好いい、私のヒーローです」


リリティアの言葉に、ウルティオは照れくさそうな笑みを浮かべた。


「誰に言われるよりも、リリィにそう言ってもらえると嬉しいな」


ウルティオは瞳を閉じると息を吐き、リリティアの手をそっと握る。

そして居住まいを正すと、真剣な瞳で口を開いた。


「リリィには、話しておかなきゃならない事がある。

気づいていると思うけど、俺たちは怪盗として貴族家に侵入する裏で貴族派筆頭の奴らを引きずり下ろすために活動している。もし貴族派にバレれば、命を狙われるだろう。それに、その手段として様々な裏の仕事もこなしている。俺は……この手で、人を殺したことだってある」


ウルティオの言葉に、リリティアはぎゅっと手を握りしめる。

全てを奪われ裏の世界で生きてきたウィルの絶望と覚悟を思えば、胸が焼けるように苦しくなる。


「リリィのためを思えば、復讐なんて止めるべきなのは分かっているけれど、それをできない俺を許してくれる?」

「そんな!許すも何も……。ウィルが決めた覚悟を、私のために捻じ曲げることなどしないでください!それに、貴族派の悪事を暴く事でジョルジュ殿下を、そしてこの国を守ろうとしているのでしょう?」

「そんな綺麗な理由だけじゃないよ」

「でもそれは、マリアンヌ様を助ける事にも繋がります。私にも、ウィルのお手伝いをさせてください」

「うん……」

「……やっぱり、ウィルは私がウィルのお仕事にかかわるのは嫌ですか?」


ずっとウィルが私を裏の仕事に関わらせたがっていなかったことは知っている。来週から弁護士事務所の方で仕事を手伝えることになっていたけれど、やはり無理を言ってしまっているのだろうかとリリティアは不安になった。


「嫌なんかじゃない。ただ、……君には、光のもとにいて欲しいと、どうしても思ってしまうんだ」


瞳を陰らし自らの血に汚れた手を見つめるウルティオの手を、リリティアは躊躇うことなく掬い上げた。

ラベンダー色の瞳が、穏やかな西日に照らされ煌めく。


「私にとっての光は、ウィルの所ですよ」


大好きなウルティオの大きな手を、リリティアは宝物のよう両手でギュッと抱きしめる。見開いた真夜中色の瞳を見つめ、リリティアは精一杯、自分の気持ちを伝えようと口を開いた。


「たとえウィルの手が血に染まっていようとも、……ウィルの手は、私にとって何より温かい、優しい手です」


そう言ってリリティアは、綻ぶような笑みを浮かべる。

心から大切そうに自分の手を握るリリティアの笑みを見つめ、ウルティオはありがとうと笑おうとして……笑うのに失敗したかのような表情で俯いた。


「はは……、……本当に、リリィには敵わないな……」


ウルティオは痛いくらいの力でぎゅっとリリティアを抱きしめると、そのまま白い花のカーペットに倒れこんだ。


フワリと白い花弁が二人の上に舞い上がる。


「ウィ、ウィル?」


胸に抱きしめられたままのリリティアはウルティオの胸の上に乗り上げる形になってしまう。重いだろうと慌てて起き上がろうとしたリリティアを、ウルティオは逃がさないように抱き留めた。


「……リリィには、俺の関連する全ての事業、そして組織の情報を教えておくね」


ウルティオの肩口に顔を押し付けるような姿勢で抱きしめられたままで慌てていると、耳元で囁く様な静かな声が聞こえてリリティアは動きを止めた。


「例えば輸入品を扱う店で会釈してきた店員がいたね?あそこはヴィートという偽名で俺が貿易業をしている会社の店舗で、かつあの店員は組織の関連者でもあり俺の素顔も知ってるルイという奴だ。他にも、組織と全く関連のない店舗、組織関連者でもウォーレン・リドニーとヴィートとの関係を知らない者達。片方の顔だけを知る者達。それぞれが貴族家に様々な形で関わりを持っていて情報収集を行ってる。もちろん諜報専門の奴もいて――」


おそらく組織でも本当に一部の人間しか知らないであろう機密をしゃべりだすウルティオを、リリティアは顔を上げて慌てて止める。


「そんな大切な情報、簡単に私に話しては……」


ウィルの仕事を理解したいとは言ったけれど、機密情報まで話してもらおうとなんて思ってはいなかった。ウィルたちが危険にさらされるような情報、知る人間は出来るだけ制限されなければならないのに。


「リリィ。俺はね、もしもの場合はこの情報を売ってくれて構わないと思ってる」


ウルティオの言葉に、リリティアは息をのむ。


「リリィ、もしもこの情報を売ることで君が助かるのなら、躊躇いなく話して構わない」


そんなこと、考えるだけで恐ろしくてリリティアは弱弱しく首を振る。自分のせいでウィルやマチルダたちをこれ以上危険な目に合わせるなんて、考えたくもなかった。

しかしそんなリリティアを見つめる真夜中色の瞳は怖いほどに真剣で、逸らすことができない。


「リリィは、ずっと側にいると言ってくれただろう?俺は、リリィが笑顔で俺の側にいてくれるのならば、何だってリリィの願いを叶えてあげる。……だから一つだけ、約束してほしいんだ」


ウルティオの手が、リリティアの頬をそっと包む。


「リリィ、もしもの時は、何を犠牲にしてでも、必ず自分の身を守る事を約束してほしい」


いつの間にか態勢は入れ替わっていて、リリティアは上から覆いかぶさるウルティオに囚われていた。


「優しいリリィに、残酷な事を言っているって分かってる。もちろんそんな決断をさせなくて済むように俺のできる限りで守るよ。でもリリィは、俺の命より大切な存在なんだってことを、ちゃんと自覚していて欲しいんだ。……俺を、安心させて?」


真剣な瞳がリリティアを見下ろす。その瞳の奥に潜む微かな恐怖の欠片を見てとって、リリティアは胸が締め付けられるようだった。


(どんな思いで、ウィルは私に裏の仕事へ関わる事を許してくれたんだろう……)


知っているつもりだった。ウィルが、どれだけ私を大切に思ってくれているのか。でも、もしかしたら私はその半分も理解出来ていなかったのかもしれない。


『裏の世界にいる俺の側で、もしもリリィが不幸になってしまったらと思うと、どうしても怖かったんだ。俺はリリィを傷つけて失ってしまうことが、何よりも怖いんだよ』


そう言って抱きしめてきたウィルがどれだけ私を失うことを恐れているのか、やっと、分かった気がした。


(どうして分からなかったんだろう。私だって、自分のせいでウィルに危険が及ぶことがあんなに怖かったのに。……私はウィルに、どれだけの覚悟を強いていたんだろう……)


ウィルが安心できるなら、何も知ることなくずっと家で守られていてもいいんじゃないかと考えてしまう。でもきっと、そうじゃないんだ。ウィルは、私の心も守ろうとしてくれている。私が私らしくいられるように、私が笑っていられるように、心から願ってくれている。


(ウィルのために、私ができる事ーー)


ずっと自分の事なんて、何の価値もないと思っていたけれど……。そんな事、もう思わない。ーー思えない。


(ウィルが安心できるように、私も、ちゃんと覚悟しよう。ウィルがこんなに守ろうとしてくれている自分の事、私もちゃんと、大切にしなくちゃいけないんだ)


リリティアは真っ直ぐにウルティオを見上げると、そっとその頬に手を添えて決意を込めて口を開いた。


「ウィル、約束します。私、ちゃんと自分の身を守る事を一番に考えます。絶対に、何があっても無事にウィルの隣に戻ってきます」


リリティアの言葉に、ウルティオは瞳を揺らす。頬に添えられたリリティアの手を握りしめると目を細め、コツリと額と額を合わせた。まるでこの白い花の花束を抱きしめるように、優しく、ギュッと抱き寄せられ、リリティアは微かにかすれた声を聴く。


「ありがとう、リリィ」


万感の思いをのせたその言葉に、リリティアはぎゅっと抱き着くことで想いを返した。


いつも読んでいただきありがとうございます!

ここからは不定期更新となってしまいますが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです(>人<;)なるべく間を空けないよう頑張ります!

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