二度目の邂逅(2)
「そうですよ。あなたに命を救われたしがない怪盗、ウルティオでございます。
――今日は約束した通り、お礼に来たんだ」
ウルティオは上品な紳士から人好きのする笑顔を浮かべる青年へとその雰囲気をガラッと変えて、リリティアの目の前に持ってきた手のひらをおもむろに軽く握る。そしてパッと手を開けば、ポンっと魔法のように一輪のブルースターの花が現れた。
「わ…!」
すごい、と目を瞬かせたリリティアを嬉しそうに見やり、彼はその青い花をリリティアに差し出した。
「私に……?」
「もちろん」
「あ、ありがとうございます……」
5枚の小さな花びらが青い星のように見える可愛らしい花を、とても貴重なもののようにそっと手で握りしめたリリティアは、ハッとしたように再び顔を上げた。
「あの、もう足の怪我は大丈夫なのですか?」
第一声で問われたのが自分を心配する内容だった事に驚いたように目を見開いた後、ウルティオはふっと表情を緩めた。
「もちろん!君のお陰で今ではもうピンピンしているさ。仕事も完全復活だよ」
「怪盗さんのお仕事……。もしかして、学園に忍び込んでこられたのですか?それは変装なのですよね?」
あの日の容姿とは異なる今のウルティオの姿にリリティアは問いかける。髪の色や眼鏡だけでなく、眉の角度、顔つき、姿勢などが変わることでガラッと雰囲気が別人となっていた。彼は得意そうに眼鏡を押し上げる。
「そうさ。髪はさっきみたいにウィッグで色を変えて、さらに声を変えれば、『今の私は、弁護士のウォーレン・リドニーと申します。法学の授業の特別講師として、週に一度ここで教鞭をとる予定です』」
後半は全く別人のような声音になったウルティオに、リリティアは何度目か分からない驚きで目を丸くする。
「声が変えられるのですね……。まさか、本当に授業も行うのですか?」
「ウルティオの特技は変装だからね。ちなみに本当に授業もするよ。弁護士ウォーレンは俺の公式の偽名の一つだから」
「公式の偽名……」
おかしな単語に目を白黒させている内に、ウルティオは懐から小ぶりの上品な箱を取り出した。
「さて、貴族から莫大な財宝を巻き上げてきた怪盗ウルティオが、命の恩人へのお礼が花だけだとは思わないでくれよ?今日は俺が厳選した品を持ってきたんだ」
取り出した箱が目の前で開けられると、中にはリリティアが見た事もないほど美しいカットの輝きをみせるブルーダイヤが嵌められた可愛らしいユリの花の意匠のネックレスが顔を覗かせた。
その価値に息をのんだリリティアは、慌てて首を振るとそっとその箱ごと押し返した。
「こんなに高価なもの、いただけないです」
「そんな事言わずに。これは盗んだのでなく、ちゃんと購入したものだよ?」
「貰えないです……」
もちろん自分のした事にこんなに高価な物は釣り合わないという事もあったけれど、なにより、きっと侯爵家の人や婚約者たちに見つかれば取り上げられてしまう……。そんな事になれば、とても悲しいと思った。
俯いたリリティアの様子に、ウルティオは「そうか…」と箱を引っ込める。
わざわざ持ってきてくれたのに申し訳ないと彼を見遣れば、彼は気にした様子もなくもう一つの箱を取り出した。
「じゃあ、これは受け取ってくれるかな?」
手渡されたのは、可愛らしい包装をしたクッキーの詰め合わせだった。それは、たしかクラスのご令嬢たちが城下で人気と言っていたお菓子屋さんのものだ。
自由に使えるお金など1リルも持っていないリリティアにとっては、縁のない物だと思っていたのに……。
反射のように受け取ってしまったリリティアは、箱を持ったまま固まってしまう。
「いいの、ですか……?」
「……せっかくだから、今一緒に食べないか?俺も少し小腹が空いたところだったんだ」
宝物のようにクッキーの箱を抱えて開封するそぶりをみせないリリティアに苦笑を零して、彼はそんな提案をした。
「は、はい」
感情の起伏は小さいけれど、リリティアの事をじっと見つめていたウルティオには、微かな表情の変化から彼女の嬉しそうな様子が見てとれた。ともすれば周りに花でも飛んでいそうな様子におかしくなって、彼は優しく笑みを深める。
「これはこの店で一番人気のクッキー六種類のセットなんだ。これがプレーン、これがチョコ、そして苺、オレンジ、ナッツ、チーズ。どの味が好きかな?」
無表情ながらも心なしキラキラした瞳でお菓子の解説を聞くリリティアにウルティオが尋ねれば、迷うように瞳をクッキーの上で彷徨わせた。リリティアにとって、好きな物を尋ねられる事も、まして好きなものを選んでも良いという状況も、侯爵令嬢となってから初めてのことだった。
「あの、全部、食べたことがないので、分からなくて……。どれにしましょう……」
宝物のようにじっとクッキーを見つめたまま動かないリリティアに、ウルティオは「では、俺のおすすめのナッツをどうぞ」と手に取ったクッキーをリリティアの小さな口に流れるような手際でそっと押し込んだ。
「!……おいしい……」
驚きながらも口に入っている状態で抗議もできず、クッキーを咀嚼したリリティアは久しぶりに口にしたクッキーの美味しさに微かに頬が緩んだ。両手で頬を押さえてクッキーを味わって飲み込んだリリティアに対して、抜け目のない怪盗はその手をゆるめなかった。
「では、次は女性に人気の苺をどうぞ」
リリティアが自分で食べると言い出す暇も与えずに、全種類のクッキーを次々とリリティアの口に入れる事に成功したウルティオの手腕は、さすが国を騒がせる大怪盗といったところだろう。
「じ、自分で、食べられますから…」
「ははは、可愛くてつい」
クッキーが入った状態で口を開けることも出来ず、やっと食べ切ったことで羞恥から薄く頬を染めて抗議したリリティアに対して、ウルティオは悪びれる様子もなく笑っていた。
暖かな春を運んで来る風が、サワサワと二人に木漏れ日を降らせる木々を揺らす。
目の前のウルティオの前髪もフワリと風に遊ばれ瞳が良く見えるようになる。
太陽の光の下で見たウルティオの瞳がその時青く見えたような気がしたリリティアは、とても懐かしい既視感に襲われてつい問いかけていた。
「あの、侯爵邸でお会いする以前に、どこかでお会いしたことがあったでしょうか……?」
「おや、それはナンパの常套句だけど、もしかしてナンパしてくれているのかな?」
「ナンパ…?」
「口説いてくれているのかってこと」
ウルティオの戯けた言葉に目を見開いたリリティアは、慌てて首を振って否定する。
「そ、そんなつもりはなかったのです。ただ、なんだかあなたの瞳に見覚えがあるような気がして……」
そうこぼしたリリティアを見つめる眼鏡を通した真夜中色の瞳が、熱い想いを押し込めるように瞬いた。
「さて、どうだろうね……。
おっと、もうこんな時間だ。そろそろ行かないと午後の授業に間に合わないね」
「あ!そうですね」
授業への遅刻など、父の耳に入れる訳にはいかないと焦って立ち上がったリリティアは、ウルティオが話を逸らした事に気づくことなく、改めてお礼を言って教室へと戻っていった。
「会ったことはあるさ。……ずっと昔にね」
リリティアの背中を見つめる青年の小さな呟きは、リリティアの耳に届くことはなかった。




