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ウィルが帰ってこないことに事にほっとしながら探し物を続けたリリティアは、翌朝カミラの声に重い瞼を上げた。


「リリティア様、大丈夫ですか⁈」


焦った様子のカミラに不思議に思い体を起こそうとすると、クラリと視界が揺れて再び頭を枕に戻すことになった。ズキズキと頭が痛む。


「朝買い出しのお伺いに来たのに返事がなく上がらせてもらいました。いつから体調が悪かったのですか?すぐに薬師を連れてまいりますので」


初めて見るカミラの焦った表情に、リリティアは申し訳なくなる。


(そっか、私、明け方までお守りを探して、風邪、ひいたんだ……。なんて馬鹿なこと、しちゃったんだろう……)


それでも、ウィルにもしばらく会えていない中、心の拠り所でもあったお守りを失くしてしまったことはリリティアにとってまるで道しるべを失くしてしまったように、とても冷静でいられる出来事ではなかったのだ。何より、大切な物だったから。


「迷惑かけてごめんなさい、カミラ……。私は、大丈夫です。寝ていれば治りますから……」

「大丈夫じゃないです!お熱がこんなに高いじゃないですか!」


カミラは怒ったように叫ぶと、とにかく安静に寝ていてくださいと言いおいて止める間もなく階段を下りていく。リリティアはその音を聞きながら、限界のように再び眠りについた。




「リリィ様、薬師を連れてまいりましたよ」


リリティアの意識が再び浮かび上がった時、優しげな声がそっとかけられる。目を開ければ、そこには美しい(かんばせ)を心配そうに歪ませたマチルダがリリティアを覗き込んでいた。おそらくカミラが呼んできたのであろう、壮年の白衣を着た薬師の男性も一緒にいた。

白衣の男性は白髪の混じったグレーの髪を後ろで緩く結んでおり、テキパキとリリティアの診察をすると薬を処方し帰っていった。ずっと付き添ってくれていたマチルダに、リリティアは謝った。


「マチルダさん、ご迷惑かけて、申し訳ありません……」

「迷惑だなんて思いませんわ。今はご自分のお体の事だけ心配してくださいませ」


マチルダの優しい声に、さらに申し訳なさが募る。自分が情けなくて、目頭が熱くなる。よほど酷い顔をしていたのだろう、マチルダが安心させるように笑いかけた。


「ウルティオ様にも、すぐにご連絡いたしますね。ご安心くださいませ」


マチルダの言葉に、リリティアは必死に首を振る。


「お願いします!ウィルには伝えないでください!」

「ですが……」

「こんなことで、心配かけたくないんです。お願いします、マチルダさん……」


リリティアの必死な様子に、マチルダは困ったように眉を下げてリリティアの手をとった。


「リリィ様のお気持ちも分かりますが、ウルティオ様のお気持ちも考えてあげてくださいませ。きっと、リリィ様がお辛いときは真っ先にお知りになりたいはずですわ。それに、ウルティオ様の留守を任されている私といたしましても、報告しない訳にはまいりません」


なだめるようなマチルダの言葉に、リリティアは口をつぐむ。

右腕としてウルティオを支えるマチルダの姿に、リリティアは熱でぼんやりとしながら羨望の眼差しを向けた。


「……マチルダさんは、すごいです……。綺麗で、ウィルのお仕事を、支えているから……。私も、マチルダさんのようになれれば良かった……」

「私の仕事ですか?……うぅん、私の仕事をリリィ様がされるのは、恐らく、いえ、絶対にウルティオ様はお許しにならないと思いますわ」


困ったようなマチルダの言葉に、リリティアの胸はずきりと痛んだ。


(お店の経営とか、諜報とか……私では何の役にも立たない事は分かってる。マチルダさんの言うことは、当然の事なのに……)


(ウィルに信用されているマチルダさんが、羨ましい……)


熱で弱っているせいなのだろう。ぼんやりと目を瞑っていると、たくさんの不安が雪のように降り積もり、やがて足元の道さえ覆われて帰り道も分からなくなっていくようだった。


脳裏に、最後に見たお母さんの後ろ姿がポツリと浮かんだ。


……お母さん、最後は辛い顔、していなかった?……最後に会えなくて、ごめんなさい……。お墓の手配もしてあげられなかった……ごめんなさい……。


次に浮かんできたのは心配顔のマリアンヌ様の顔。


……マリアンヌ様は、王城で危ない目にはあっていないだろうか。私の事でも、心配かけちゃってごめんなさい……。


そして、数日前最後に見たウィルの仕事に行く後ろ姿。


……ウィルは今、どうしているのだろう。怪我はしていないだろうか。たくさん迷惑かけて、ごめんなさい……。


――ねえ、ウィルはまだ、こんな私を好きでいてくれますか……?


(私もマチルダさんのようにウィルの役に立てたなら、……自分の想いを、伝えられたかな……)






再びリリティアが目を覚ましたのは、慌ただしく部屋の扉が開かれた時だった。


「リリィ、大丈夫か⁈」


急いでやって来たのだろう、息を切らせて心配そうに駆け寄ってきたウルティオの姿に、申し訳なさで目頭が熱くなる。


「迷惑かけて、ごめんなさい。お仕事、忙しいのに……」

「そんなこと、いいんだよ。リリィの方がずっと大切なんだから。俺の方こそ、一緒に居られなくてごめんな」


そっと額に大きな手が乗せられる。熱で火照った体にその手の冷たさが気持ちよくて、ホッと息をつく。久しぶりに触れたウィルの温もりが、涙が出るほど嬉しかった。


「今晩はずっとそばに居るから。食べたい物とか欲しい物、何でも言ってごらん」


額の手が離れて、どこまでも優しい言葉がかけられる。


(触れて欲しい……)


熱にうかされた頭で、そんな言葉がこぼれ落ちそうになる。リリティアは目をつぶって自分の甘えを振り払い、口を開けた。


「私は、大丈夫です。せっかくお休みできるなら、ウィルもベッドで休んで下さい。ずっとお仕事が忙しかったんですから」

「俺は鍛えているから多少の徹夜なんて何でもないよ。それより、リリィの側にいた方がずっと心が休まる。だから今日はずっと君の側にいさせて」


包み込むような優しい言葉に、泣きそうになる。涙をこらえるリリティアの頬をそっと撫でたウルティオが、静かな声で問いかけた。


「……リリィ、何か、不安な事があるんじゃないか?俺に話してはくれない?」

「……っ」


お守りを失くしたことを知られたくなくて、とっさに俯きふるふると首を振るリリティアに、ウルティオはそうか……と小さくつぶやくと口を閉じた。しばらくして真夜中色の瞳を上げたウルティオは、静かに口を開く。


「リリィ、最近家事を手伝ってくれていると聞いているよ。だけど、無理してるんじゃないか?」

「無理なんてっ」

「生活環境が一気に変わったんだ。疲れが出るのは当然だよ。だからこれから家事は全てカミラに任せて、リリィはゆっくり体を休める事。いいかい?」

「…………はい」


ウィルは私のために言ってくれている。それは分かっているのに、心に穴が開いたように悲しみが襲う。


(今、私がウィルにできることは家事くらいしかなかったのに……)


「まだ熱が高い。しっかり眠るのが一番の薬だよ。さあ、目を閉じて」

「……はい」


悲しげなラベンダー色の瞳を閉じて、リリティアはウルティオの側で眠りについた。




夢の中で、リリティアは引き取られた直後の子供の姿でカスティオン侯爵邸の廊下に立ち尽くしていた。頭上から、八年間侯爵邸で言われ続けてきた言葉が何度も何度も降り注ぐ。


『役に立たなければ、お前に価値はない!』


成果を出さなければ、母の治療は中断される。リリティアはその恐怖にかられながら、いつも死ぬ気で成果を出し続けてきた。奴隷紋を刻まれてからは、本当の意味で私自身には何の価値もなくなった。成果を出さなければ、私の居場所などどこにもなくなってしまう……。


(役立たずじゃ、ここに居られなくなってしまう……)


『ここ』とは、侯爵邸のことなのか、ウィルの家のことなのか……。それさえも分からなくなりながら、リリティアは真っ暗闇の中に沈み込んでいった。




翌朝、リリティアはいまだ重い瞼をゆっくりと持ち上げた。まだ怠いけれど、昨日よりはだいぶ体が動けるまで回復していた。

部屋にウィルの姿はなく、もう仕事に行ってしまったのかと思ったけれど、階下からかすかに物音が聞こえてほっとする。家事は止められてしまったけれど、簡単な朝食の準備くらいならいいだろう。せめてウィルに食べていってもらいたいと上着を羽織って部屋を出た。


おそらくここにいるだろうとウィルの書斎の前でノックをしようとしたところ、中から人の話し声が聞こえてリリティアは手を止めた。少しだけ開いた扉から、ウィルとガスパルの声が聞こえてくる。仕事のお話中なら邪魔してはいけないと踵を返そうとしたところで、聞こえてきた言葉に足が凍り付いたように動かなくなった。


「――リリィのための家の選定はできたのか?」

「はい、遠方の治安の良い街の家をいくつか見繕ってます。資料はこちらに」


(私の、家……?)


ドクドクと、心臓が嫌な音を立てる。ウィルとガスパルの静かな声が続く。


「……これと、これがいいな。治めている領主も中立派で問題のない人物だ。隣人や近所に問題のある人間がいないかもしっかり調べておいてくれ」

「了解です。でも、いいんですか?姐さんを手元から手放して」

「……ここにいては、危険なこともあるだろう……」


(ウィルは、私を遠方に送ろうとしているの……?)


顔から血の気が引いていく。地面が崩れるような心地の中で、リリティアは踵を返した。どうやって部屋まで帰ったのか、分からなかった。


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