綻び(1)
それからの日々、リリティアはほとんどの時間を読書をしたりカミラの話を聞いたりして過ごした。家事の合間などにカミラからはたくさんのウルティオの話を聞くことができた。貴族の命令で無実の者が殺害されそうだったところを裏から手をまわしてその殺害の依頼を受けたふりをして貴族を騙し、助け出した話。別人の名で貿易業を営み、貧民街の仕事のない住民にも仕事を与えてくれていること。この町以外でも、様々な面で貴族に虐げられている平民に手を差し伸べていること。そしてマチルダやガスパルとの活躍――。もちろん怪盗ウルティオとしての活躍も含めて、リリティアはワクワクとした気持ちと、ほんの少しの寂しさを抱えて話を聞いていた。
ウィルの事をたくさん聞けることがとても嬉しくて――。そしてそのたびに、ウィルが遠い人のように感じてしまうのだ。
「すまない、今日も遅くなると思う。リリィは俺を待ってたりせずにちゃんと先に休んでいてくれ」
「はい……」
ウィルはいつも朝早くに出かけていき、夜遅くに帰ってくる。何時に帰れるか分からないのだから絶対に先に休んでいるようにとウィルに約束させられてからは先に休むようにしているが、リリティアはウィルの帰ってくる物音を聞くまであまり眠ることができなかった。ベッドの中でウィルの帰ってくる微かな音を耳にして、やっとほっとして眠りにつくことができるのだ。それでも、ウィルはちゃんと休めているのだろうかといつも心配だった。
ウィルは弁護士としての顔だけでなく、いくつもの顔を持っているのだ。忙しいのは当然だろう。それでも一緒にいられる朝食の時間には、疲れた様子など見せずに笑って、不便はないかとリリティアを気遣ってくれる。それが申し訳なくて……何もせずに彼の厚意に甘えるだけの自分が嫌だった。
(無理、しないでなんて……、何もできない私では口出しする資格もない……)
せめてもとカミラに頼みこんで、今は一緒に家事をさせてもらっていた。一番汚れてもよさそうな(それでも良い生地のものなのだが)シンプルなワンピースにエプロンをつけて腕まくりをするリリティアに、はじめカミラはおかしな表情を浮かべていたが、ご命令ならと言って家事を教えてくれた。
幼いころからお母さんのために家事をしていたリリティアだが、それも九歳までの話。まだ簡単な料理しかしたことがなかったため、いろいろな料理を習うのは楽しかった。
(上手に作れるようになったら、ウィルにも食べてもらいたいな……)
そう思いながら、リリティアは今日も自分で作った料理を一人で食べるのだった。
そんなある日、リリティアはカーテンを閉め忘れた窓から射しこむ朝日に眩しさを覚えて目を覚ました。まだ朝の早い時間で、ぼんやりと明るく色付いてくる窓の外の空を眺めていると、階下から物音が聞こえてきてパッと眠気が吹き飛ぶ。急いで上にストールを羽織り階段を下りていけば、二日ぶりに見るウルティオの姿があった。ウルティオは棚に箱をしまいながら、リリティアに振り返る。
「ウィル、おかえりなさい!」
嬉しさがにじみ出る笑顔に、ウルティオもまた嬉しそうな笑みを返す。
「ただいま、リリィ。物音で起こしちゃったかな?まだ早い時間だし、もう少し寝ていてよかったのに」
ウルティオの言葉に、リリティアは首を振る。
「ウィルは、今帰って来たところですか?お腹は空いていませんか?すぐに朝食の用意を……」
いそいそとキッチンに行こうとするリリティアを、ウルティオがやんわりと押しとどめる。
「いや、またすぐに出ないといけないんだ。少しだけ、リリィの顔を見れたらと思って寄っただけだから」
ウルティオの言葉に、リリティアはしゅんと顔を俯ける。しかし下げた視線の中にウルティオの手首の袖口から微かにのぞく包帯を見つけて目を見開いた。
「腕、怪我されたんですか⁈」
顔を青くするリリティアを落ち着かせるように、ばつの悪い顔をしながらウルティオは笑う。
「ちょっと転んだだけだから、心配いらないよ」
「でも……!せめて治療させてください」
人ひとりを抱えて平気で二階から飛び降りることのできるウルティオが不注意で転んで怪我をするなんてこときっとない。恐らく戦闘による怪我なのだろう。原因を聞きたかったけれど私に話す気はないかもしれないと思えば、何も言えなくなる。
ズキリと痛む胸を抱えながら、リリティアは断られるのを恐れるように、ウルティオの返事を聞かないまま包帯のまかれた腕を握って祈りを捧げる。
淡い光がその腕を包んで、静かに消えてゆく。
「ありがとう、リリィ。やっぱりすごいな、傷跡もなくなってる」
「いえ、私はこれくらいしか、できませんから……」
自分の方が痛そうにその手を握るリリティアに、ウルティオはそっとその手を握り返す。
「ごめん、心配させちゃったね。でも本当にただのかすり傷だっただろう?」
だから心配はいらないよ、といつものように笑うウルティオに、リリティアは俯いて手をギュッと握り合わせる。こくりと頷けば、ほっとしたような笑顔を浮かべてウルティオがそっと頭に手を置いた。
「そろそろ行かないと。リリィの顔が見れて良かった」
「はい……」
本当に時間がない中来てくれていたのだろう、慌ただしく出ていったウルティオの背中を窓から見つめながら、リリティアはぎゅっと胸元のお守りを握りしめた。
そっと家の中を振り返り、リリティアが下りて来た時にウルティオがしまった箱を手に取る。中は包帯や消毒液などの詰められた救急箱だ。恐らく自分で手当てをしていたのだろう。
(私が包帯に気づかなければ、きっと怪我の事も知ることはなかった……)
「……小さな傷しか治せない私では、頼りになりませんか……?」
リリティアは救急箱を抱えながら、小さな声でつぶやいた。




