新しい生活(3)
ウルティオたちが去った後、家にはカミラだけが残っていたが、その後すぐ家にたくさんの荷物が届けられた。中身を見れば、いくつものドレスや普段着用のワンピース、そして靴や装飾品が詰めこまれていた。
「これ、私の……?」
困惑するリリティアに、カミラが表情を変えずにテキパキと荷物を片付けていく。
「はい。昨日ウルティオ様から準備するよう言いつかったリリティア様のご衣装や装飾品です」
昨日からリリティアのものとなった部屋のクローゼットいっぱいに、服が綺麗に詰め込まれていく。これだけでも、侯爵邸にあるリリティアの服の数を軽く凌駕しているだろう。普段着用のワンピースにいたるまで、とても良い生地が使われており上品でありながら着心地の良さそうなものばかりだった。喜ぶ前に、その値段を考えてしまいリリティアは顔を青くした。
「これらは既製品ですが、ウルティオ様から自由にオーダーの服をお作りになっても良いと承っております。ご希望がありましたら、今日中にでも対応できる者を呼ぶことも可能ですがいかがなさいますか?」
これ以上に衣装を作るというカミラの言葉に、驚いたように目を見開いたリリティアは急いで首を振った。
「だ、大丈夫です!カミラさん、今ある分だけでも、私には十分すぎるほどですから」
リリティアの言葉に、カミラは何を考えているのか分からない無表情のままに瞳を伏せた。
「かしこまりました。それから、私のことはカミラとお呼び捨てください。敬語も不要です」
真面目な性格なのだろう。片づけを終えたカミラは表情を変えることなく礼をして、食事の支度をしてまいりますと言いおいて階下に降りて行った。
何か手伝えることはないかと声をかけたが断られてしまい、リリティアは結局何もすることなく食事の席に着くことになった。
「あの、カミラは食事をとりましたか?もしよければ、一緒に……」
「私のことはお気遣いなく。侍女が主人と食事を共にすることはあり得ません」
「そ、そうですか……」
カミラの断固とした姿勢にリリティアは残念そうに肩を落としたけれど、無理強いはできないとひとりスプーンを手に取った。具だくさんのスープは温かく、とてもおいしい。リリティアの口元が自然と緩む。
「とても美味しいです。カミラ、ありがとう」
「いえ……」
壁際に控えるカミラにお礼を言えば、カミラは静かに礼をする。食事を終えた後、あまり話すのは好きではないのかと躊躇しながらも、リリティアはずっと気になっていたことを問いかけた。
「ウィルは、今日はどこに向かったのか知っていますか?危ないことは、あるのでしょうか……?」
「裏の仕事に関して、リリティア様にお伝えすることは禁止されております」
「……そう、ですか……」
カミラの言葉に、リリティアはちくりと痛む胸を気にしないようにしながら、誤魔化すようにカミラに微笑んだ。
「あの、カミラ。話せる範囲だけで構わないので、もしよければ、ウィルのお仕事のことを教えてくれませんか?私は、新聞に書かれた内容しか知らなくて……。この町のことや、カミラのことも良ければ教えてほしいです」
リリティアの言葉に、カミラはじっとリリティアを見つめた後コクリと頷き、静かな瞳で口を開いた。
「まずこの町についてですが……、この一帯は数年前まで本当に酷い無法地帯でした。強欲な貴族の領主が自分たちの豪遊のために民に重税を課し、人々はやせ細り……。しまいには疫病が流行った時点で領主はこの町を見捨てて役人や憲兵まで引き上げました。それからは取り締まりもないここには無法者たちが流入し、町民は怯え暮らす毎日。人攫いや殺人も横行していました。しかし逃げ出したくとも、他の町に暮らすためにはその地の領主の貴族に莫大な税金を払わなければならず、お金のない町人は逃げることもできなかったのです」
カミラの言葉にリリティアは驚きに息をのむ。ここに来るまでに通った町の様子は、とても活気があるように見えた。数年前まで、そこまで治安が悪かったなど信じられないほどに。
「そこに現れたのがウルティオ様です。ウルティオ様はこの町の無法者たちをまとめ上げ、この町に秩序を取り戻してくださいました。貴族から奪った財を私たち平民のためにつぎ込み、食料や薬を配給してくださいました」
「ウィルは、そんなに凄いことをしていたんですね。全然、知りませんでした……」
「貴族の息のかかった新聞では、ウルティオ様のご活躍のごく一部しか知ることはできないでしょう」
ウルティオの事を話しているカミラは、今までの無表情が嘘のように生き生きとした瞳をしていた。
「カミラは、ウィルを尊敬しているんですね」
「当然です。私はこの町の孤児だったのです。食事もとれず衰弱していたところをウルティオ様に救われました。以降はマチルダ姉さんに面倒をみていただいています。この町の者は、皆ウルティオ様に感謝しております」
(ウィルは、すごいな……)
ずっと前から貴族の横暴から平民たちを守ってきたウィルと、言われるままに貴族の悪事に手を染めていた自分。その差はどうしようもなく大きくて、胸の中に重りを沈めたような心地になる。それでもウィルの話が聞けたこと、そしてカミラと話ができたことが嬉しくて、リリティアはカミラへ笑顔を向けた。
「もしよければ、またお話を聞いても良いですか?」
「……ご命令であれば」
その夜カミラが帰宅した後も、リリティアは居間のソファでウルティオの帰りを待っていた。細く陰った月が夜空の頂点を過ぎた頃、家のドアを開ける音が聞こえる。パッと立ち上がったリリティアは、パタパタと玄関に続く廊下に駆けていった。
「ウィル、お帰りなさい」
ほっとしたような笑顔で自分のもとに駆けてきたリリティアに、ウルティオは驚いたように目を見開いた後で嬉しそうに微笑んだ。
「ただいま、リリィ。こんな時間まで起きていたのか?」
「えと、たまたま、眠れなくて……」
本当はウィルが怪我をしていないか、危険な事はないだろうかと不安で待っていたのだが、そんなことを言えば困った顔をさせてしまいそうでリリティアはとっさにそんな嘘をついた。
「じゃあ、温かなミルクでもいれてあげる。おいで」
手を引かれて居間のソファに座らせられる。ウルティオは上着を脱いだ後、キッチンで手際よくミルクを温めると二つのカップに注いで持ってきた。一方をリリティアに渡し、自身もソファに腰かける。
「ありがとうございます。……ウィルは、家事も得意なんですか?」
手際の良さにそう聞いてみると、ウルティオは得意そうに笑ってリリティアにウインクしてみせた。
「料理人に庭師、執事まで、どんな役でもこなしてみせるよ」
「すごいです。……わあ、美味しい……」
蜂蜜も入れてあるのだろう、口に含んだミルクは甘味もあって温かく、リリティアはほっと息をついた。そんなリリティアに、ウルティオは優しい笑みをこぼす。
「よかった。今日は何をしていたの?不便はなかった?」
「はい、カミラが良くしてくれました。あの、服もありがとうございます。でも、服やアクセサリーはあんなに買ってはもったいないです」
「はは、いくらあっても困らないよ。クローゼットがいっぱいになったら空き部屋を衣装室にすればいいんだから。リリィが好きなものだけ使ってくれたらいいんだよ。気に入ったものがなかったらオーダーで作らせるし」
「そんなことないです!どれもとても素敵でした。今ある分だけで十分です!」
なんてことないように更に買い与えようとするウルティオに、リリティアは焦って首を振った。
「遠慮しないでいいのに。他に欲しいものはない?そうだ、本も欲しいものがあればいくらだって取り寄せるよ。リリィは読書が好きだろう?この家にある本は、もちろん好きに読んでいいからね」
ウルティオの言葉に、リリティアはパッと顔を輝かせた。
「本当ですか?そこの本棚にある建国初期時代の今は絶版になっている政治論評集も読んでいいのですか?それに、ガイル国の技術書も?」
「あはは、リリィなら気に入ってくれると思ってた。ここにある本はもちろん、書庫の本もみんな自由にしていいよ」
「ありがとうございます!」
キラキラと瞳を輝かせたリリティアを、ウルティオは愛おしげに見つめる。
「うん、その代わり、夜はちゃんと寝ること。場合によっては俺は帰れないこともあるんだから、俺を待ってないでちゃんと休むんだよ」
ウルティオの言葉に、リリティアは自分が起きていた理由を見透かされていたように感じ、手元のカップに視線を落とした。
「は、はい……。あ、あの、今日は、どちらに向かわれていたんですか……?」
「うーん、残念ながら今はリリィに話せる心躍るような活躍はしてないんだ。次の狙いの情報収集といったところかな」
戯けたようなウルティオの返答に、リリティアはギュッと両手を握り重い口を動かす。
「あの、ブランザ公爵家からの追手は、どうなっていますか?もしかしたら私も、何かお手伝いできる事が……」
「追手ももう対処した。だから、リリィは何も心配しなくていいんだよ」
前日と同じようなやり取りに、リリティアは小さく頷くことしかできなかった。カミラの言葉からも、ウルティオが自分に裏の仕事の話をしたくないのは明白だった。
(私に話しても、ほとんど役に立てないものね……。情報を知る人間を制限するのは、危機管理の面で当然のことだもの)
透明な線を引かれたような小さな寂しさを感じながらも、ウルティオに心配をかけないように笑みを浮かべリリティアはミルクのお礼を言うのだった。




