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青空へ


微かに春の気配を感じる広く青い空に、教会の鐘の音が響き渡る。

王族の結婚式も行われる大聖堂では、本日ブランザ公爵家嫡男ジェイコブとカスティオン侯爵令嬢リリティアの結婚式が執り行われる。


奴隷紋が見えないよう肩が隠れるデザインの豪華な白いウエディングドレスに袖を通したときは、これからの生活を思いまるで囚人服を身に纏ったような心地がした。

しかし入場したリリティアのウェディングドレス姿に、参列者たちは一様に感嘆の息を漏らす。緻密なレースが使われたヴェールからのぞくリリティアの楚々とした美しさは、まるで可憐な花のようだった。


式は粛々と進行し、司祭様が神話の一節を朗読する。その声を聞きながら、リリティアは静かに瞳を閉じた。



奴隷紋が刻まれた日のことは今でも鮮明に覚えている。熱い焼きごてが皮膚を焼く痛みと絶望感。そしてそれを何の感情も浮かべずに見下ろすブランザ公爵と父の冷たい目。

私はもう、人としては扱われないのだと痛感するのに十分だった。

公爵家の後ろ暗い仕事にも関わるようになり、心を殺しながら書類を捌いてきた。この書類が承認される事で何人の平民の生活が脅かされることになるのかなんて、決して考えないように。心に、何も感じないように――。


学園を卒業するまで。それが、本当に私の最後の自由時間だと分かっていた。卒業後はすぐに結婚という契約のもと、公爵家で本当の意味で奴隷となる事が決まっていた。きっと監視をつけられて、二度と自由に出てこられない。


だから、だから最後に、この一年だけ、あなたのそばに居る理由が欲しかった。


こんな私に笑顔を向けてくれた怪盗さん。その優しさに縋っては駄目だと分かっていたのに、あなたの青空みたいな笑顔が、眩しくて。

真っ暗闇に沈んでいる私にとって、あなたのそばにいる時だけは、まるで陽だまりの中にいるみたいに温かかった。


いつも、あなたに助けてもらうだけで何も返せない私。

それでも、あなたは何の見返りも求めず真っ直ぐに笑いかけてくれた。

いつだって全力で私を助けてくれた。

罪悪感で胸が潰れそうになって、何度も本当の話をしようと思った事はある。

婚約破棄なんて、無理なんです。だからもう、いいんです、と。

でも、それであなたとの関係が終わってしまう事が怖かった。


それに、たまに見せるあなたの真剣な瞳を見ると、ふと、恐ろしくなったのだ。もしも、私と公爵家での立ち位置も、奴隷紋の事も、全部知った上で、それでもあなたが私を助けようとしてしまったら――。あなたに、ブランザ公爵の手が伸びてしまう。

ブランザ公爵が、裏でどれだけ非道な事をしているのか、その一端を知る私は、あなたにブランザ公爵に関わってほしくなかった。だから結婚式の日取りも一年後と嘘をついて、あなたが気づいた時には全てが終わっているようにしようと考えた。


(ごめんなさい……)


最後の夜、必死に連れ出そうとしてくれたあなたを思うと、焼けるように胸が痛くなる。


あの資料は、ちゃんとあなたに届いただろうか?少しでも、あなたの役に立てば良い。

こんな事で償いになるとは思わないけれど、最後に少しでもあなたの為にできる事があって嬉しかった。


ウィル、怪盗さん、ウィリアム様ーーー。名前も姿も変わっても、ずっと私との約束を覚えていてくれた。ウィルの言葉とお守りのガラス玉は、ずっと私の支えだった。

約束通り私を助けに来てくれたことが、どれだけ嬉しかったか、言葉では言い表せないくらい。



――ねえ、怪盗さん。


私の我儘に付き合わせてしまって、ごめんなさい。


たくさんの優しさをくれて、ありがとう。


私にとって、本当に一生分の幸せをもらったの。


あの日迎えに来てくれて、本当は、すごくすごく、嬉しかった……。



司祭様の朗読が終わり、リリティアは目を開けた。見上げる先には、教会の美しいステンドグラスから光が溢れる光景。その先に広がっているであろう青空を想像しながら、目を細める。



指輪の交換が行われ、遂に誓いのキスの順序になった。

ジェイコブはさぞ忌々しそうな顔をしているのだろうと今日初めて彼の顔を見上げたリリティアは、――固まった。



(なんで、そんな風に笑っているの……?そんなの、まるで……)



唇がわななく。瞳を見開くリリティアに、ジェイコブはにこりと悪戯が成功したかのような笑みを浮かべた。



「こんにちは、お嬢さん」



その言葉に、確信を得たリリティアの瞳からポロポロと堰が決壊したかのように涙が溢れてくる。


「怪盗さん、どうして……」


掠れた声が漏れる。どうして、こんなに危険な事を……。

今、会場の外には多くの兵が配備されているのだ。囲まれれば、逃げることなど出来ない。なのに……。


「俺の宝を、奪いに来たんだ」


彼はリリティアの涙を優しく拭うと軽々とリリティアを抱き上げ、騒めく参列者に向かって優雅に一礼してみせる。

そしておもむろに首元に手をかけると、ビリビリとマスクを剥ぐように素顔を晒した。

マスクの下から現れたのは、漆黒の髪を靡かせた眉目秀麗な美しい青年だった。その真夜中色の瞳は自信に溢れ、強い光を秘めている。


「こんにちは、紳士淑女の皆さま。私の名は怪盗ウルティオ。本日は、この国一番美しい花嫁をいただきに参りました」


堂々としたウルティオの言葉に、会場は蜂の巣を突いたような大騒ぎになった。


「ウルティオが現れた!」

「誰か、あいつを捕まえろ‼︎衛兵を呼べ‼︎」


雪崩れ込んできた衛兵に囲まれる前に、ウルティオは宝物のようにリリティアを抱え直すと、懐から小さなボールのような物を取り出した。それを床に投げつけると、その途端に煙幕が広間を覆う。参列者と衛兵が混乱に陥っている間に、ウルティオは教会の側廊上部の通路の柵へと錘をつけたロープを飛ばす。そしてそのロープを引いて、側廊上部へと飛び上がった。

ふわりと浮かび上がった驚きでリリティアが咄嗟にしがみつけば、安心させるようにより強く抱きしめられる。


ウルティオは教会の地図を完璧に理解しているようで、広間の騒めきを背に側廊の上を端まで走り、突き当たりのドアを迷いなく開ける。そして屋根へと続く外付けの階段を、リリティアを抱いたまま軽々と登り切った。


屋根の上から見た外には雲ひとつない青空が広がっており、ミルクティーブラウンの髪が白いヴェールとともに風に靡く。


リリティアは、涙を湛えた瞳で腕の中からウルティオを見上げた。


このままではブランザ公爵の標的となる。それどころか、多くの兵たちからも追われる事になってしまう。だから彼を止めなければいけないのに、その腕の温かさに涙が止まらなくなってしまう。


「怪盗さん、こんな危険な事したら、公爵家から……」

「もとから追われているんだから、公爵家が加わったところで何も変わりはないさ」

「私は、貴族の悪事に手を染めていて……」

「それは脅されてやっていた事だ。君のせいでは絶対にない」

「っ、私なんかがいては、怪盗さんに迷惑を……」

「俺は、迷惑だなんて思わない」


リリティアの言葉をきっぱりと否定して、ウルティオは真剣な瞳でリリティアに問いかける。


「なあリリィ、俺のもとに来れない理由はそれだけか?」


ウルティオの言葉に、潤むラベンダー色の瞳が揺れた。それを見て、ウルティオはニカリと笑う。


「じゃあ、何も問題ないな」


自信に溢れた声で告げられる。

リリティアを見つめる真夜中の瞳が、優しく緩む。


「俺は、君の一生分の幸せを奪いに来た」


一言一言を刻み込むように、リリティアに言葉を伝えてくれる。


「俺との思い出を抱えて公爵家で生きることが幸せだと言うなら、そんなのは俺が奪ってやる。俺に一生分の幸せを奪われた君は、また幸せにならないといけない。そうだろう?

ーーーだから今度は、俺と一緒に幸せになろう」

「っ……!」


リリティアの瞳から、枯れることのない涙がポロポロと溢れてくる。


どうしていつも、怪盗さんは私の心を簡単にすくい上げてしまうんだろう。


ずっと心の奥底で望んでいた、叶うわけないと思っていた小さな望みが顔を覗かせる。


本当に、いいのだろうか?

ううん、迷惑をかけるに決まってる。私がいては、逆に怪盗さんを危険な目に合わせてしまうかもしれないのに。


ーーなのに、怪盗さんはいつも私の手を引いて、光のもとへと連れ出すのだ。



「……怪盗さん、私を、盗んでくれますか……?」



泣きながら口にした、今にも消えいりそうな小さな声が少女の望みを音にのせる。


ウルティオの腕が、苦しいほどにリリティアを強く抱きしめた。

リリティアの瞳に、ウルティオの青空みたいな笑顔がいっぱいに映る。


「もちろんだよ、俺のリリィ」


まるでこの世で一番の宝物を手にしたような、愛おしそうなその笑顔。その笑顔に、リリティアは涙を流しながらも、小さな蕾が綻ぶような、心から幸せな笑みを返した。





「いたぞ、あそこだ!」


遠くから、衛兵の声が聞こえてくる。

遅れて衛兵たちも屋根に登って来るのが遠くに見えた。屋根の上で、もう逃げ場はないと思われているのだろう。


「おっと、無粋な奴らが来たみたいだね」


しかしウルティオは余裕の表情を崩す事なく、優しくリリティアを抱いたまま屋根の端へと走り出した。


「心配いらないよ。俺の秘密を教えてあげる」


そう言ってリリティアにパチリと片目を瞑ってみせると、ウルティオは屋根を蹴った。


「風よ!」


ウルティオが声を上げた途端、二人の体は風を纏い、ふわりと空に浮かび上がった。そして通常は届くはずのない距離の街の建物の屋根へと二人を運ぶ。

教会の屋根の上では、愕然とした兵たちが遠くからこちらを見つめていた。その距離はどんどんと離れていく。


「これは、風魔法ですか?でも、人が飛べるなんて……!」

「俺は風の魔力が規格外に強いみたいなんだ。だからどこまでも自由にリリィを連れて行ってあげるよ。リリィはどこに行きたい?」


ウルティオの問いに、リリティアはふわりと頬を染めて微笑む。


「……私は、怪盗さんのそばに居られるのなら、どこでも嬉しいです」

「…………本当に、リリィは俺の理性を破壊する天才だな」


ウルティオはそう言って笑うと、行くよ、と告げてその笑顔そのものみたいな青空の中に大きく足を踏み出した。






これにて「悪役にされた薄幸少女は青空〈ひかり〉のもとに盗まれる」の第一章が完結となります。ここまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました!


第二章はある程度ストックができてから再開となりますので、ここで一旦完結表示とさせていただきます。

第二章はリリティアの能力が発揮され、仲間たちと活躍する下町編です。そして怪盗さんことウィルとの絆がさらに深まる溺愛編となる予定です!


面白かった、第二章も読みたいと思ってくださった方は、評価やご感想いただけるととても嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 早く続きを読みたいです。 大好きな作家さん! イチオシです。 楽しみにしています。
[良い点] リリティアが母を想い、けなげに働く姿に心打たれながらもすこし疑問にも思う部分がありましたが、最終章でそれがあきらかになり、ラストの感動が強い物になりました。 オルティオス王国の社会背景が非…
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