母の想い(2)
リリティアに手紙を渡した後、ウルティオは街中から少し外れた位置にある鐘楼の上で、柱を背に座り空を仰いだ。
ここからは青い空と街がよく見渡せる。
思い出すのは、リリティアの母オリアの病室に潜入した日のことだった。
***
「お久しぶりですオリアさん」
カツリと足音を響かせて、ウルティオは一歩ベッドに近づいた。
「覚えておられますか?昔、リリィとあなたに助けられたウィルです。――今は、ウルティオと名乗っています」
ウルティオの言葉に、オリアは驚く事なく顔を上げた。痩せ細って衰弱している様子が見て取れるが、その面差しはリリティアによく似ている。
「……ええ、覚えているわ」
理性的なその様子に、ウルティオはいつもの陽気な態度をかなぐり捨てた表情で問いかける。
「オリアさん、いくら恩のあるあなたでも、リリィを泣かせる人を、俺は許せない。
リリィにとって、あなたは何よりも大切な人だ。あなたのためにリリィは、血の滲むような思いで努力してきた。
そんなあなたが、何故、リリィを傷つけるのですか⁈」
怒りを抑え込んだような問いかけに、しかしベッドの上のオリアは穏やかに目を細め、掠れた声でふふ、と笑う。
「っ、何が、おかしいんですか⁈」
「ふふ、嬉しいのよ。あなたが、リリィを昔と変わらずに大切に思ってくれているようだから」
オリアの言葉に、意表を突かれてウルティオは口をつぐんだ。
オリアはよろよろと起き上がると、遠くを見つめるように視線を窓の外の青空へと向けた後に口を開いた。
「私はね、もうすぐ死ぬわ。私が死んだら、リリィはどうなるのかずっと考えてきた」
オリアは、途中でゴホゴホと咳き込みながらも話を続ける。
「あの人たちは、リリィを絶対に逆らわない使い勝手の良い公爵夫人に仕立てるつもり。今は私を人質にしているけれど、私が死んだ時、リリィをどうするつもりなのかが恐ろしかった。だから、あの子には私の事など早く見捨てて、侯爵邸から早く逃げ出して欲しかったのよ」
オリアの言葉に、ウルティオは拳を握りしめる。
「リリィが、そんな事出来る訳ないでしょう⁈あんな態度をとられても、リリィはあなたを捨てられない!ただ傷つくだけだ!」
ウルティオの慟哭に、オリアは静かに目を細めてウルティオを見つめる。
「でも、あなたが現れた。あなたならきっと、リリィを助けてくれるでしょう?」
「っ、俺は裏の世界で生きている人間です。リリィをそんなところに引きずりこむことはできない」
「リリィはあなたがどんな人間でも、あなたを受け入れるわ」
ウルティオは口を閉ざし、俯いた。
「俺は、リリィには日の当たる場所で幸せになって欲しいんです」
「……リリィの幸せは、リリィが決めることよ」
「……それは、あなたにも言える事だ」
真夜中色の強い眼差しがオリアを貫く。
「リリィが、本当にあなたを見捨てて幸せになれるのかなんて、そんなの、リリィが決めることだ」
ウルティオは、オリアに深く頭を下げた。
「リリィに、あなたの気持ちを伝えてあげて下さい。そうでなければ、リリィの今までやってきた事が、報われない。
リリィは、あなたの事が大好きなんです……」
深く下げられたウルティオの頭を見つめながら、オリアもまたギュッとシーツを握りしめた。苦悩するように目を閉じると、やがてコクリと頷く。
「……分かったわ。
その代わり、約束して欲しいの。リリィを、あそこから救い出してあげてほしい」
「……分かりました。リリィが、望むのならば」
ウルティオの言葉に、オリアは安堵したようにホッと息をついた。
「あの子を、お願い」
そう言ったオリアの眼差しがリリティアのものと被り、ウルティオはギュッと拳を握りしめた。
(しかし、リリィに会う前に、オリアさんは亡くなってしまった……)
リリティアがカスティオン侯爵に連れ去られた後、ウルティオは潜入させていた協力者の手を借りて何とか治療院に忍び込んだ。
運び出されていた遺体が間違いなくオリアである事を確認し、ウルティオは奥歯を噛み締めた。
その後オリアのいた病室に侵入しリリティアへ残した物が無いのかを探すつもりだったのだが、既に病室は物が運び出されたかのようにがらんとしていた。
(まだそれほど時間は経っていないはずだ。遺品を運び出した者が治療院内にまだいるはず)
急いで周りを探し回っていたウルティオの目の端に、赤い光がチラリと映る。真夜中に火が焚かれている焼却炉の存在を認識すると、ウルティオは迷う事なく窓に手をかけ三階から飛び降りた。
人のいなくなった焼却炉を開ければ、燃える炎の中にいくつかの小物と紙の束のような物を見つけられた。
ウルティオは炎の中へ躊躇う事なく手を入れると、火傷になる事も構わずそれらを掴んで引っ張り出した。
(間に合ったか……⁈)
すぐに地面に落として火を消した後、ウルティオは無事なものを確認する。ほとんどは灰となって崩れ去り、中には何故か半分以上が溶けた飴細工のような物もある。
しかし紙の束の中から、奇跡的に燃焼を免れた白い封筒を見つけた。
煤けた表紙には、『リリィへ』の文字。
(良かった……)
ウルティオは脱力したように座り込み、手で顔を覆ったのだった。
「リリィ、オリアさんは、ちゃんと君を愛していたよ」
そっと呟き、鐘楼から広がる青空を仰ぐ。
同じ空の下にいる、今まさに手紙を読んでいるであろうリリティアの心の傷が少しでも癒える事を心から願った。
「……それに、オリアさんには俺の気持ちを見透かされていたな」
はは、と乾いた笑いを漏らしてウルティオは髪をくしゃりと掴んだ。
日の当たる場所にいて欲しい。そう言いながらも、卒業記念パーティーでリリティアの肩を抱こうとしたセドリックの手を邪魔した自分の行動の意味を、ウルティオは理解していた。
リリティアの事になると途端に冷静でいられなくなる自分。
彼女が自分の知らない場所で泣いているなんて、耐えられない。
彼女の涙を拭うのは、俺だけでありたい。
そして、綻ぶように笑う君の笑顔を、誰よりも近くで見ていたい。
リリティア身を心配する気持ちも、オリアとの約束も、ただの言い訳に過ぎない。
ーーーただ、俺が彼女の居場所になりたいだけなんだ。




