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母の想い(1)

ウルティオ視点です。


「怪盗さん、私、卒業式が終わったらお母さんに会いに行こうと思います」

「もう、大丈夫かい……?」


心配そうなウルティオに、リリティアは笑ってみせる。


「はい。私が卒業できたのも、怪盗さんに出会えたのも、友達が出来たのも……今が幸せなのは全部、お母さんが私を育ててくれたからだから。

また、お母さんには嫌がられちゃうかもしれないけれど……でも、卒業できた事、そしてお母さんにありがとうって気持ちを、伝えたいと思います」


傷つけられたとしても心から母親を想うリリティアの姿が、裏の社会で生きてきたウルティオにとってはとても眩しかった。


「そうか。じゃあ、その日はまたここで待ってるよ」


ーー例えまた傷ついて泣いたとしても、君がまた笑顔になれるまで俺が支えるから。



そんな話をしたのは、ほんの数日前の事だった。



***



「……お嬢さん、落ち着いて聞いてほしい。君のお母さんが、亡くなったそうだ……」



ウルティオがそう告げた時、リリティアは目を見開いたまま固まった。まるで何を言われたのか分からないとでも言うように、透明な瞳で見返してくるリリティアにウルティオは痛みを覚えた。


ウルティオは、どれだけリリティアが母親を大切にしていたか知っている。ウィルとして下町で世話になっていた時も、二人は誰よりお互いを思い合って生活していたから。

だから彼女が何より大切にする母親から拒絶の言葉を聞いた時、心が壊れてしまうのではないかと気が気ではなかった。

やっと少しずつ心の傷が癒えてきて、会いに行く所だったのに……。


(何故、リリィがこれほど傷つかなければいけないんだ⁈)


どうしようもないクズな人間など掃いて捨てるほどいるこの世の中で、何故ただ母親のためだけに一生懸命に生きてきた彼女のような人がこれほど傷つかなければいけないのかーーーウルティオはきつく拳を握りしめた。


「うそ……です……」


力なくふるふると首を振ったリリティアは、呆然と呟く。


「わたし、治療院へ……いかないと……」


ふらりと歩き出したリリティアは今にも倒れそうで、ウルティオは見ていられなかった。ウルティオはリリティアの冷たく震える手を握る。


「おいで、連れて行ってあげる」


リリティアを自身の馬車に乗せ、ウルティオは御者に治療院へ急ぐように告げる。

青白い顔で俯くリリティアの手が少しでも温かくなるよう、小さな両手をギュッと握りしめる。そうするといつもはふわりと綻ぶラベンダー色の瞳は、今は何も映していないように静かに馬車の床を見つめていた。



ーーしかし辿り着いた治療院で、リリティアは母親に会うことは叶わなかった。

職員から面会の許可が降りなかったのだ。


「どうしてですか⁈何故、母に会えないのですか⁈」


悲痛な声が響く治療院の入り口では、リリティアが職員に縋り付いて訴える。


「リリティア様、カスティオン侯爵との契約で、決まった訪問日以外の来訪は許可されておりません」

「では、せめて母の状態を教えて下さい!母は……っ、……死んでなんか、いません、よね……?」


震える声のリリティアに対して、職員の返答はどこまでも事務的だった。


「やや体調を崩されたとは聞いていますが、私は把握しておりません。とにかく、予定外の面会でしたらまずカスティオン侯爵に許可を取って下さい」

「そんな……」


今にも儚くなりそうな小さな背中を支えながら、ウルティオは職員に鋭い目を向ける。


「もし彼女の母親が亡くなった場合、彼女には知られないようにしろとでも指示があったのか?」

「っ、私は関知しておりませんので」


ウルティオの眼光に恐れをなして、慌てたような職員はそれだけ言い捨てると門を閉じて逃げ去っていった。



リリティアを従わせるための人質であった母親の死をカスティオン侯爵が素直にリリティアに伝える可能性は低かった。遠方に療養のために移送したとでも言ってその死を偽装するため、リリティアには伝わらないよう仕組んでいたのだろう。

ウルティオは床に座り込むリリティアを支えながら舌打ちした。


「……強行突破でいくしかないか……」


最後くらい何とか会わせてやりたいと強行手段に出ようとしたウルティオの背後から、その時別の馬車が到着して複数の男たちがやってくる気配を感じた。

その中から一人だけ豪奢な衣装を着た男ーーカスティオン侯爵がリリティアとウルティオの前に立つ。


「おい、その男はなんだ」


恐らく母親の死とリリティアの来訪の知らせを聞いてやって来たのだろう。しかし床に座り込む娘の様子に構う事なく、カスティオン侯爵はリリティアを支えるウルティオに不機嫌そうな声を上げた。


「私は、たまたまパーティー会場で治療院へ行きたいと困っていらっしゃったお嬢様のお手伝いをした者です」

「チッ、余計な事を。大体、何故母親の事が伝わったんだ」


苛立たしげに呟かれた侯爵の言葉に、リリティアが縋るように顔を上げる。


「お父様、母は……母の、容態は……」

「死んではいない。だが、お前が今回のような勝手をすればすぐにでも治療を中止させるぞ。そうなれば、すぐさまあの世へいくだろうな。死なせたくなければ、お前は黙って俺の言う事に従え」


高圧的に告げた侯爵は、乱暴にリリティアの腕を引きずり上げて背後の護衛であろう男たちに馬車に入れるように指示を出した。


「女性にそのような乱暴な扱いをするとは何事ですか」


ウルティオにとって何より大切なリリティアを目の前で乱暴に扱われ、怒りで目の前が赤くなる。思わず殴りつけそうになったのを必死に抑えて抗議したウルティオを、侯爵は小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「私の娘をどう扱おうと私の勝手だ。他家の事に首を突っ込まないでもらおう」


そうして乱暴に護衛たちに馬車に詰め込まれるリリティアを、ウルティオは血が滲むほどに拳を握りしめて見送った。



***



まだ多くの人が眠りについている肌寒い時間帯。

長い夜が明け、燃えるような朝焼けの空が広がる。


カスティオン侯爵邸にある小さな別邸の二階のバルコニーに、漆黒の髪の青年が降り立った。


トントンと窓を叩けば、しばらく後にカーテンが開かれる。

自室から出る事を禁じられ軟禁されていたリリティアは、赤い目でウルティオを見上げた。


「怪盗さん……」

「……こんにちは、お嬢さん」


窓を開けたリリティアの泣き腫らしたようなラベンダー色の瞳に胸が痛む。服装も昨日のパーティーのドレスのままで、一睡もできていない事が窺えた。


そっと目元に触れると、迷子のような弱りきった瞳がウルティオを見上げた。

今の状態の彼女にこんな事を言うのは酷な事だと分かりながらも、ウルティオは覚悟を決めて口を開いた。


「昨日あの後、俺も治療院に忍び込んで確認してきた。ーーーお母さんは、病気の悪化による衰弱で亡くなっていた……」


ウルティオの言葉に、ラベンダー色の瞳に怯えが混ざる。よろりと逃げるように後ずさるリリティアの腕を、ウルティオは掴んで引き留めた。


「うそ、うそです……」

「嘘じゃない。カスティオン侯爵は、君にそれを隠して遠方に療養した事にするつもりみたいだ」


リリティアは、何も聞きたくないというようにフルフルと首を横に振る。そんなリリティアの腕を強く掴んで、ウルティオは言葉を紡いだ。


「お嬢さん、俺と来ないか」


ウルティオの言葉に、リリティアが息をのむ。


「こんな時にこんな事言うのは卑怯だと分かっている。だけど、オリアさんが亡くなった今、君の立場が心配なんだ」


母親が亡くなって弱っている所にこんな事を言うのは酷な事だと分かっている。しかしあの執着を含んだブランザ公爵の瞳に加え、彼女を従わせるための母親(人質)が亡くなった今、彼女に何かするつもりではないかと考えると焦燥感が募った。

これ以上彼女を追い詰めたくなんてないのに、どうしても口調が強くなってしまう。


(くそ、どうでもいい相手なら、簡単に騙してでも連れ出せるのに……!)


冷静に対処できない自分自身に悪態をついて、ウルティオはリリティアを見つめる。


「嫌……です。だって、まだ、私はお母さんに会ってない。もしかしたら、お父様の言う通り重症だったかもしれないけど、まだ、必死で生きてるかもしれない。それなら、治療が必要で、私は、ここにいないと……」


必死に自分に言い聞かせるように言葉を紡ぐリリティア。

現実を受け入れられずに自分の言葉を否定しようとするリリティアに、焦燥感から強い口調で真実を告げる。


「リリィ!オリアさんは、亡くなったんだ!」


びくりと肩を震わせたリリティアの瞳が潤み、次の瞬間には決壊したかのようにボロボロと涙が溢れてきた。力を失ったように床に座り込み、呆然と涙を流す。


「……だって、約束、したんです……。私が、今度はお母さんを幸せにしてあげるって、誓った、のに……」


今にも消えいりそうな弱々しい声。白い頬をいく筋もの涙が流れて床に染みを作る。


「……ごめん、なさい。少しだけ、ひとりにして下さい……」


俯き震えながら紡がれるリリティアの声。初めてウルティオを拒絶するような言葉に、ウルティオはハッとして口を閉じ拳を握りしめた。


(俺は、何をやってるんだ)


彼女はウルティオの言葉を信用していない訳ではない。きっとカスティオン侯爵の企みにも気がついている。彼女は、とても頭の良い人だから。


それでも、心が受け入れられないほどに傷ついているだけなのだ。


ーー俺がやるべきは、リリィの心を守ることだったのに。



後悔で顔を俯かせたウルティオは、懐からやや灰に塗れた手紙を取り出した。


「これは、オリアさんから君への手紙だよ」

「え……?」


呆然と目の前に渡された手紙を見つめるリリティアの手にそっとそれを握らせる。


「処分されそうだったところをギリギリ回収できたんだ。すまない、本当はもっと早く回収出来れば良かったんだが。でも、文字は読めるはずだから」


薄く焦げ跡がついた手紙を手にパッと顔を上げたリリティアが、ウルティオを見上げる。ウルティオは痛みを堪えるような表情を浮かべながら、右手でそっとリリティアの頬の涙を拭った。


「声を荒げてすまなかった。俺は一旦帰るから、ゆっくり読んでごらん」


涙で揺れるリリティアの瞳を見つめてそう伝えると、ウルティオはバルコニーの柵を蹴ってその場を去った。



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