卒業記念パーティー(2)
「私はガイル国から来たウィング・ガルドーと申します。今日はこの記念すべき日に私のバイオリンの音色で彩りを添えるためにやって参りましたが、是非あなたに私の曲を捧げさせてください」
どうやったのか分からないが、このパーティーのゲストとして潜り込んだらしいウィングと名乗るウルティオは、リリティアの手を取って微笑みかけた。
「おい、君、いきなり何を……」
その言動からやや女性に軽薄そうな印象をもたせるウィングに対し、セドリックが困惑気味に声をかけるが、ウルティオの視線はリリティアから離れない。
リリティアは今回の計画の詳細は話されていなかったが、躊躇う事なくウルティオの手をとった。
「ガイル国からのお客様にお祝いいただけますこと、誠に光栄でございます。私はカスティオン侯爵家のリリティアと申します」
ニコリと微笑みを浮かべたリリティアに笑みを返し、ウルティオはリリティアの手を引く。
くるりと後ろを振り向いたリリティアが「セドリック様、ありがとうございました」と言った時の笑顔を見て、セドリックは上げかけた手を下ろした。
連れられていった中央の舞台には見るからに高価なグランドピアノとバイオリンが用意されていた。そのバイオリンを躊躇いなく手にしたウルティオが、一音を奏でる。するとその音は不思議なほどに会場中の人の耳に響き渡り、皆の注目を集める。
静かになった会場の中央で、ウルティオは弦に指を滑らせた。
奏でられたのは冬の寒さを乗り越え花を咲かせる自然の力強さを讃える讃美歌。冬の厳しさを表す重厚な音から、春を寿ぐ軽やかな音まで、目に浮かぶような多彩な音を操るウルティオの技術に会場中が引き込まれる。そしてその演奏をする華やかでいて端正な容姿のウルティオに、ほぅと感嘆のため息をつく女性も多かった。
最後の一音が奏でられると、ワッと大きな拍手があちこちから贈られた。
「素晴らしい演奏ですね。どちらの方なのかしら」
「なんでもガイル国の方だとか……。高名な演奏家なのでは?」
ザワザワと貴族たちが話し出す中で、ウルティオが会場の観客へ一礼をすると口を開いた。
「温かい拍手ありがとうございます。私はガイル国のウィング・ガルドーと申します。今の曲は、先程出会いましたお美しいリリティア嬢へ贈らせていただきました」
ウルティオの言葉に、すぐ近くで演奏を聴いていたリリティアに注目が集まる。
「素晴らしい演奏をありがとうございます。ガルドー様」
リリティアの賛辞に笑みを返すと、ウルティオはまるで舞台の主役のように注目を集めながら周りを見回してみせた。
「しかし私は皆様の門出を寿ぐために参った訳ですから、次は本日ご卒業されます皆様の為に旅立ちに相応しい曲をお贈りしましょう」
告げられた曲名は卒業式に相応しい非常によく知られた曲だ。期待するような瞳が集まる中、ウルティオがそう言えばと小首を傾げる。
「こちらの曲はピアノとの二重奏もありますが、宜しければどなたかにピアノの演奏をお願いしても?」
ウルティオの言葉に、ザワリと空気が揺れる。
先程の高度な演奏を聴いて、名乗り出る者はなかなかいないだろう。
さらにこの曲は元々ピアノとバイオリンの二重奏曲だったのだが、超絶技巧が必要でヴァイオリニストとピアニスト双方に高い技術と音楽性を求められ、その高度さに演奏できるものが少なくなったためにより簡単に編曲されたバイオリンのみの曲が今は一般的となっているという経緯がある。
貴族は音楽の教養は必須だが、だからこそウルティオの演奏と比較され自分が劣っていると思われるのは皆が避けたいところであるし、ましてや間違えずに演奏しきる事のできる自信のある者などほとんどいない。こんな大きな催しで演奏を失敗するような恥を晒せば、社交界でいつまでも笑いものになってしまうだろう。
ウルティオ扮するウィングは、まるでそんな貴族たちの空気など気がつきませんとでも言う態度でニコニコと笑みを浮かべている。
そんな時、後ろから誰かがリリティアの背を乱暴に押し出した。
「調子にのりやがって。大勢の前で恥をかけばいいんだ」
聞こえた声に後ろを振り返れば、いつの間にここまで来ていたのか、忌々しそうにリリティアを睨みつけたジェイコブが手を突き出した状態で立っていた。
たたらを踏んで前に出たリリティアに、皆の目が集中する。
「こいつが演奏すると言っていますよ。はは、学年主席様は随分と自信がおありのようだ」
ジェイコブの狙いは明確だった。あからさまにリリティアが失敗して笑い物となる事を狙っている。
ジェイコブの言葉を無視し、ウルティオがリリティアを優しく支えて手を差し出す。
「リリティア嬢、突き飛ばされたようですが大丈夫ですか?」
「は、はい」
「随分と礼儀知らずな紳士が混じっていたようですが……、リリティア嬢、ピアノをお願いしても?」
大丈夫だと笑みかけるウルティオに、リリティアはハッキリと首を縦に振って頷いた。
見るからに高価な美しい黒い光沢のグランドピアノの前に移動すると、ウルティオがそっと椅子を引いてくれる。その際にリリティアだけに届く声で言葉が届けられた。
「絶対にお嬢さんの演奏に合わせて見せるから安心して」
そう言って自信に溢れた笑みを向けられて、リリティアも小さく微笑み返す。
一度だけリリティアが侯爵邸でピアノの練習をしている時に調律と称してやってきたウルティオに請われてこの曲を弾いた事があったけれど、このためだったのだ。
(怪盗さんが大丈夫と言ってくれているなら、絶対に大丈夫)
虐待のような授業の中で褒められた事など一度もなく自分の演奏がどれだけのものなのか分からないけれど、ウルティオがきっと合わせてくれるとリリティアは心から信頼できた。
ウルティオが中央に戻りバイオリンを構える。そしてリリティアに頷いたのを見て、リリティアはそっと鍵盤に手をのせた。
ポン、ポンと軽快な指捌きで始まったリリティアの演奏に、観客は固唾を飲んで見つめる。やがてそこに、ウルティオのバイオリンの軽やかな音が重なる。やがて力強くお互いが主旋律を奏で合うような珍しいパートに入る。ここで超絶技巧が入り、およそ初めて演奏する者同士で曲が成り立つ訳が無いと皆が思う場面である。一テンポでも音がずれればたちまちに曲は不協和音となってしまうその箇所で――ウルティオとリリティアは、まるで長年連れ添ったパートナーのように息を合わせた演奏を見せた。観客たちからは息をのむ音が聞こえる。
打てば響くような、まるでお互いの考えている事が分かるかのような一体感の中でふと顔を上げれば、ラベンダー色の瞳と真夜中色の瞳がかち合い自然と笑みが溢れる。
美しい絵画の一場面のような二人の演奏に、会場は誰も身じろぎする事なく聞き入っていた。
やがて旅立ちを寿ぐ穏やかなパートでは、まるで野に咲く花々と春風のようにお互いを優しく包み込むような音が絡まり合う。最後の一音までまるで今がパーティー会場である事を忘れるかのような素晴らしい演奏に、曲が終わって一拍後には大きな拍手が演者の二人に贈られた。
「素晴らしい演奏でしたね」
「リリティア嬢とは、あのカスティオン侯爵家の……。なんでも成績もトップで光の魔力を持っているとか。ピアノの才もこれほどとは」
「ブランザ公爵が嫡男の婚約者にと望まれたとか。さすが公爵様は先見の明がありますわ」
貴族たちが騒めく中、ウルティオは感激したように胸を抑えてリリティアの前に跪いてみせた。
「あなたほどお美しく、これほどのピアノの腕もあるお嬢さんに出会ったのは初めてでした。先程の婚約者の方にお返ししなければならないのが非常に残念でなりません」
ウルティオの言葉に、リリティアは慌てるように首を振った。こんなに注目を集めている場面でセドリックに迷惑をかける訳にはいかない。
「先程の方は婚約者ではございません。一人でいた私を心配して下さっただけなのです」
「おや、卒業というこの大切な日に、あなたのエスコートもしてくれないとは、あなたの婚約者はとても多忙な方なのでしょうか」
「いえ、この会場にはいらっしゃいますが……」
「なんと!この会場にいながらあなたをエスコートもしてくれないのですか⁈何と最低な婚約者でしょうか。まるで知り合いから聞いた学園で婚約者を甚振っていたと噂のどこぞの最低令息のようではないですか。男の風上にもおけません」
ウルティオの発言に、会場はシンと静まり返り一点に視線が集中する。そこには、怒りで顔を歪ませたジェイコブがいた。
リリティアに恥をかかせるという企みも見事に失敗し、さらにこれほど侮辱を受けてジェイコブが黙っている訳はなかった。
「貴様、ブランザ公爵家嫡男であるこの俺を侮辱して無事で済むと思うなよ……!」
ジェイコブの怒りの声に、ウルティオはさも今気づいたとの様子で顔を上げる。
「おや、まさかあなたがリリティア嬢の婚約者ですか?しかもブランザ公爵家というと……、本当にあなたが不貞をした上に婚約者を虐げていたという最低男でしたか。確かに、先程リリティア嬢を突き飛ばしておられましたものね。自分よりも優秀な婚約者を恨んでいたという噂も本当のようで。確かにリリティア嬢はあなたにはもったいないほどの才をお持ちの方だ」
ブランザ公爵家と聞いても謝罪する事なくさらに自分を貶めてくるウルティオに、ジェイコブの顔は怒りで赤黒く染まっていく。
「貴様!!今すぐ不敬罪で牢にぶち込んでやる!!」
ジェイコブの言葉に、ウルティオはニヤリと口元を歪める。
「おや、私は何か間違った事を言いましたか?不敬罪で牢に入れるとは……指摘されたく無い事を言われたと自分で言っているようなものですよ。自分の名誉を守るというなら、ーー貴族らしくする事はひとつです」
ウルティオは自身のポケットから白い手袋を取り出すと、ジェイコブの足元へと投げ捨てた。
「ブランザ公爵令息、決闘を申し込みます」




