懐古(3)
リリィと分かれた後、彼女の様子を見に行きたい気持ちに蓋をして、俺は裏の世界で名を上げていった。
まだ何の力もない俺では、裏の世界で生きていく限り弱みを持つことは出来ない。リリィと親しくしている事が知られたら、確実に敵対する者たちに狙われる。リリィを守るためには、離れる必要があった。少なくとも、彼女を守るだけの力をつけるまでは。
三年後、死に物狂いで裏の世界でのし上がり、もしもの時は彼女を守ることのできるだけの力を手に入れた俺は、下町の懐かしい彼女の家をこっそりと訪れた。
しかしそこで見たのは、もぬけの殻の家。
近所で聞き込みをして知ったのは、ほんの一週間前に彼女たちが貴族の父親に引き取られたという話だった。
愕然とした俺は、急いで人を使ってその貴族を探ろうとして……手を止めた。
――リリィを見つけて、俺はどうする?
取り返す?
せっかく、貴族になれたリリィを?
そして、復讐のために生きる俺に巻き込んで日の当たらない世界で生きさせるのか?
むしろ……俺に関わらずに生きた方がずっと、幸せになれるんじゃないのか?
この国で平民として生きるなら、いつ何時貴族の理不尽に晒されるかわからない。それなら、貴族の娘として暮らせるのなら、そちらの方がずっと幸せなはずだ。
太陽みたいに笑う君は、日の光のもとで笑っていてほしい。
俺に光をくれた君には、誰よりも幸せになって欲しかった。
――そして俺はリリィの消息を探すのを止めた。……見つけたら、会いに行ってしまいそうだったから。
その後はリリィを忘れるように、復讐の為の準備をがむしゃらに続けてきた。
貴族の、特に高位貴族の情報を得るのは平民では非常に難しい事だ。違法行為の証拠などは特に厳重に隠され、探っている事を悟られるだけでもこちらの命を狙ってくるだろう。
だから俺はリリィと読んだ怪盗の話を思い出し、あくまでも宝石や金目の物を狙う義賊を装って派手に貴族邸に侵入した。しかし本当の目的はその後だ。一度盗みに入られた貴族は、大切なものをより安全な場所へ仕舞い込む。その動きを探り、目的の証拠品を盗みだすのだ。
高位貴族の邸宅は非常に警備もしっかりしており、使用人もほぼ縁故採用。下働きとして潜入し情報を得るのもかなりの困難を極めた。そのためまずはそいつらの手足である下級貴族から地道に証拠を集めていき、人脈を広げ、やっと侯爵クラスに手を出す事ができるようになった時には、リリィと別れてからすでに十年近くが経っていた。
侯爵家ではじめに狙ったのは、カスティオン侯爵家。当時父を疎ましく思っていたブランザ公爵家にへりくだり、違法行為をしていた可能性がある貴族家だった。
侯爵家はさすがに今までのようにはいかず、怪盗として侵入した夜は衛兵からの攻撃を避けきれずに右足を負傷してしまう。
どこかに隠れやり過ごすしかないかと離れの部屋を開けた時、―――再び俺の前に天使が飛び込んできた。
美しいミルクティーブラウンの髪に、珍しいラベンダー色の瞳。
見間違える訳がない。美しく成長したリリィが月の光に照らされてそこにいた。
当時のリリィはたった六歳で、しかももう十年以上昔の話だ。俺のことなど覚えているはずがないと思っていたし、事実青空色の瞳を失った俺にリリィが気がつくことはなかった。
それでも、貴族になったはずのリリィは怪盗の俺なんかの傷を手ずから手当てしてくれた。その変わらない優しさに、俺は胸が熱くなるのを感じた。
リリィがカスティオン侯爵令嬢だと分かった俺は少しだけ、少しだけだと言い訳をして伝手を使って王立学園の関係者からリリィの現状を調べた。
――そして俺は、何もしなかった自分の馬鹿さに心底憤った。
学園では、リリィの悪評が出回っていたのだ。
彼女が権力を笠に虐めを行うなど、絶対にあり得ない事だった。誰かが彼女を貶めようとしているのではないかと、俺は手駒の一人に行かせるはずで前々から準備していた講師の枠に自分を押し込んだ。あの学園は高位貴族の子供たちが通うこともあり、警備は非常に厳しく不法侵入はほぼ不可能。そこで、貴族たちの内情を探るために弁護士ウォーレンの事務所を通じてかなり以前から根回しをしていたのだ。
そうして知った彼女の現状に、俺は壁を殴りつけずにはいられなかった。
彼女は母親を盾にとられ、侯爵家でずっと虐げられてきたのだ。この八年で、彼女は笑顔を浮かべる事もできなくなるほど、心に傷を負っていた。
リリィが辛い時は、今度は俺が助ける。そう誓ったはずなのにこのザマだ。
リリィを苦しめる婚約者のジェイコブとビアンカなど、出来る事なら裏で締め殺してやりたいくらいだった。
君を苦しませる、こんな場所に君を一人置いて帰ることがたまらなく苦痛だった。出来ることなら、今すぐにでも攫っていきたい。
リリィの笑顔を取り戻すためなら、俺は何だってやるつもりだった。君は俺を絵本の魔法使いのようだと言ってくれたけれど、本当の魔法使いだったらどれだけ良かっただろう。もしも何でもできる魔法使いだったのなら、今すぐに君をこんな状況から助けられるのに。
少しずつ浮かべてくれるようになったリリィの笑顔は、俺の心をいとも簡単に鷲掴む。
友達もでき、楽しそうに学園生活を送れるようになったリリィの笑顔を見れるだけで幸せだった。
リリィは今や立派な侯爵令嬢で、少し話しただけでもその知識の高さが窺える。教師の権限で調べてみれば、予想通り彼女の成績は他の追随を許さないほどに飛び抜けて優秀だった。母親のため、彼女がどれだけの努力をしてきたのかが分かる。
公爵家の嫡男というあの馬鹿男などに、リリィはもったいない。リリィには、彼女を一番に大切にしてくれる相手でなければ許せない。
リリィの努力が報われて、君が幸せな結婚が出来るまで見守りたいと、そう、思っていたはずだった。
そう、はじめは、恩人であり妹のような彼女の幸せをただ祈っているつもりだった。
いつからだろうか……彼女の笑顔を、独り占めしてしまいたいと思うようになったのは。
もしかしたら、初めて君の笑顔を見た時からだったのかもしれない。
君の笑顔を目にする度に、積み重なるように、君への愛しさが増してゆく。
その笑顔に手を伸ばしそうになる度に、グッと拳を握りしめた。
俺の手は血で汚れている。どれだけ望もうとも、リリィをいつ命を落とすかもしれないこちらの世界に引き摺り込む事は出来ない。復讐を胸に生きる俺に関わらせてはいけない。
だから俺は最後まで、君の魔法使いを演じよう。君が、君の王子様と幸せになれるまででいい。俺に、そばで守らせてほしい。




