懐古(2)
リリィと母親のオリアさんは、貧しいながらもお互い支え合いながら暮らしていた。幼いながらも母親を助けようと、リリィは六歳ですでに近所のお店での手伝いをして家事もこなしていた。その間は俺を一人で家に置いていく不用心さで、このお人好しの母娘はいつか悪人に騙されてしまうのではないかと心配になるほどだった。
「ウィル、ずっとベッドにいても退屈だよね。
そうだ、私の宝物を貸してあげる!」
パタパタと戻ってきたリリィの手には、ボロボロの絵本が大切そうに抱きしめられていた。
「その絵本……」
「お手伝いをしている雑貨屋さんのおじさんがね、もうボロボロで商品にならないからってくれたのよ。ウィルに貸してあげる」
「灰かぶり?のお姫様の話と、……これは怪盗の話か?」
「うん!悪い王様に閉じ込められているお姫様を怪盗ウルフが助けてくれるのよ!格好いいでしょう?文字は読めないけど、絵本なら絵を見るだけで物語がわかるもの」
「……俺が読んでやろうか?」
「ウィル、字が読めるの⁈すごい!」
キラキラした瞳が尊敬に輝くのを、俺は照れ臭くて横を向いて赤い頬を隠していると、もぞもぞとベッドによじ登ってきたリリィがすっぽりと俺の腕の中に収まった。
「な、この格好で読むのか⁈」
「え?お母さんと絵本を見る時はいつもこうしてるよ?」
「そりゃあ、そうかもしれないが…」
「駄目だった……?」
シュンとして俺を見上げてくるリリィに、俺が否と言える訳がなかった。ジョルジュの面倒を見ていたこともあり、リリィはまるで妹のように可愛く思えた。ひどく久しぶりに、人の温もりを感じながら絵本を読んだ。
ある日、立ち上がれるくらいには回復した俺が洗濯物を乾かすリリィの後ろ姿を眺めていると、リリィが引き込まれそうなほど青い空と白いシーツを背景にこちらに振り返った。
そしてじっと俺の瞳を見つめて、キラキラと瞳を輝かせて嬉しそうに笑った。
「ウィルの目って、まるで青空みたいにきれいだね。私、青空って大好きよ。洗濯物も良く乾くし、お花もキラキラするし、私も元気になるもの。光の色ね!」
――そう言うリリィの笑顔こそが、光のようだと思った。
今でも憎しみを原動力に裏の世界でのし上がる俺の真っ暗な心の中に、ポツリと存在する小さな温かな光。
それ以降もやけになって自身を傷つけるような戦いをしようとする度に、自分の方が痛そうに涙目で俺の傷を一生懸命に手当てしてくれたリリィの顔が浮かんでは俺を引き止めてくれた。
だいぶ体も動くようになって、これ以上ここに居れば迷惑になってしまうとリリィの家を出ようと決意した日、俺はちょうど街で開かれている露店にリリィの手を引いて連れて行った。今までの仕事で多少稼いだ金があったため、今までの治療費にと全額置いていこうとしたが、それはオリアさんに断られた。だからせめて、リリィに何かお礼を買ってあげたかったのだ。しかしリリィは、はじめての露店をウィルと見れるだけで楽しいと太陽みたいに笑って、今度は逆に俺の手を引いて色々な店を回って楽しんだ。
最後に回った広場の端に出ているガラス細工の露店の前で、リリィは突然足を止めた。
「ウィル、見て!ウィルの瞳の色みたい!綺麗だねぇ」
そう言って目を輝かせていたのは、青空をそのまま閉じ込めたような澄んだ色のガラス玉だった。今まで見てきた露店の装飾品と比べるととても安いものだったけれど、リリィが瞳を輝かせたものならばとそれを購入した。無意識に、自分の色を覚えていて欲しいという気持ちもあったのだろう。
夕陽が建物を赤く染める人気のない帰り道、俺はリリィに向き直った。
「リリィ、俺は自分の場所に戻らなくちゃいけないんだ」
「……ウィル、行っちゃうの……?」
大きなラベンダー色の瞳を潤ませて、リリィは泣きそうな声で言った。寂しがってくれているのかと思えば、胸が温かくなった。
リリィは俺の手をギュッと握るとイヤイヤと首を振る。
「ごめんな、でも、やらなきゃいけない事があるんだ」
「や、やだ。だって、ウィルが帰るところには、ウィルの怪我を手当てしてくれる人はいないんでしょ?また、ウィルが危ないことするの、やだ……」
リリィの言葉に、息をのむ。俺の仕事の話などした事なかったのに、出会った時の状況からリリィは俺が危険な仕事をしている事をしっかりと理解していた。
――それでも、俺を助けてくれたのか……。
俺は忠誠を誓う騎士のようにリリィの前に膝をつき、誰よりも温かな小さな手を握った。
「リリィ、心配いらない。時間はかかるかもしれないけど、絶対にまたリリィに会いに来るよ」
「……ほんと?ほんとに、会いに来てくれる?」
「ああ」
何年後になるか分からない。その時には、きっと幼いリリィは俺のことなんて忘れているだろう。それでも、俺はこの誓いを忘れない。
「リリィが辛い時は、今度は俺が助けるから。約束だ」
俺はそう言って、約束の証にと青空色のガラス玉をリリィに手渡した。
「やくそく、だよ」
ギュッとガラス玉を握りしめ、泣きそうな瞳で約束を交わした君を、忘れた日はなかった。
裏ギルドに戻った俺は、力が認められて貴族がらみの仕事が増えきた。しかしそうなると、ルーベンス家特有の瞳の色に気づかれる恐れがあった。自分がルーベンス家の生き残りだと気づかれる訳にはいかなく、一時的に目の色を暗くする薬を使用しているうちに、薬の副作用なのか本来の色に戻らず、いつのまにか俺の瞳は夜闇のように色を濃くした。
彼女が好きだと言ってくれた青色を失ってしまったことが辛かった。まるで、自分がどんどんと穢れていっている証明のように感じていた。
なのにーーー。
『髪型や姿が変わっても、怪盗さんは怪盗さんでしょう?』
再び出会えた君は、なんて事なく俺の心を救ってくれた。




