リーデルハイト家のお茶会
翌週、リリティアはリーデルハイト家の門の前に立っていた。公爵家なだけあって非常に大きなお屋敷で、庭も丹精込めて整えられている。
馬車を降りたリリティアをマリアンヌが迎える。
「いらっしゃい、リリティア。殿下はすでにいらっしゃっているわ」
「マリアンヌ様、今日はご無理を言って申し訳ありませんでした」
「いいのよ、リリティアが意味もなくあんな事言い出すとは思えないもの。大切なお話があるのでしょう?」
「……ありがとうございます」
自分を信頼してこの場を設けてくれたマリアンヌに、リリティアは心からの感謝を告げた。
「こちらよ」
マリアンヌと共に入った応接室にはすでにジョルジュがソファに座っており、リリティアに穏やかな笑みを向けた。
「王太子殿下、この度は不躾なお願いをしてしまい、申し訳ありませんでした」
「謝ることはない。まずは座ろう。普段の学園生活なども聞きたいしね」
深く頭を下げたリリティアに、ジョルジュは席を勧めた。
マリアンヌが学友のリリティアを紹介するという名目で招かれているため、テーブルには三人分のお茶が用意されている。
ふわりと香る優しい紅茶の香りにホッとして口をつければ、リリティアが以前好きだと言った銘柄の紅茶である事に気がついた。
「マリアンヌ様、ありがとうございます。紅茶、とても美味しいです」
胸に湧く嬉しさのままマリアンヌにお礼を言えば、マリアンヌはパッと顔を横に向ける。
「べ、別にわざわざあなたの為に用意した訳ではなくってよ!たまたまその茶葉がウチにあっただけですから」
赤くなっている頬にくすくす笑っていると、正面の席でジョルジュが穏やかに笑って二人のやりとりを見ているのに気がついた。
「あ、も、申し訳ありません。お恥ずかしいところを」
「いいさ。マリアンヌの普段の様子が知れて嬉しいよ」
ジョルジュの言葉に、マリアンヌはピクリと反応する。
「そ、そんな事、いつもは言ってくださらないではないですか」
「……そうかな?」
「そうですわ!いつも私は大丈夫だ、問題ない、気にしなくて良い!それしか仰いません!」
マリアンヌはバンッとテーブルに手を付き立ち上がる。
「わたくし、王妃教育も問題ない成績を収めているはずですわ!それなのに、何故殿下はいつもわたくしを遠ざけようとなさいますの⁈今は、何より大変な時でありますのに!」
「君はまだ正式に婚姻は結んでいない婚約者だ。そんな事まで負担を背負う必要はないよ」
「……っ!やはり、殿下はわたくしを信頼しておられませんのね!」
マリアンヌはクルリと踵を返すとドアに向かって歩いていく。
「少し、頭を冷やして参ります。リリティア、今のうちに殿下とお話を。……恥ずかしいところを見せてしまってごめんなさいね」
パタリとドアが閉まり、室内は静寂に包まれる。
「……いつも、怒らせてしまうな」
ポツリと呟かれたジョルジュの言葉に、リリティアはそっとジョルジュに顔を向ける。マリアンヌの去った扉を見つめるジョルジュの顔には、手の届かない物を羨望するような、諦めに似た表情が浮かんでいる。
「はは、恥ずかしい所を見せてしまったね。お茶会の時はいつもこうやって彼女を怒らせてしまうんだ。不甲斐ないね」
「……怒っているのではなくて、悲しんで、いるのではないですか?」
「……」
「……殿下は、先程マリアンヌ様の学園での様子が知れて嬉しいとおっしゃっていました。マリアンヌ様のこと、お気にかけていらっしゃるんですよね?」
「……そうだね」
「マリアンヌ様は、殿下の事をとても心配されています」
「ああ、知っているよ」
ジョルジュは目を細めて、愛おしそうにカップの紅茶を飲む。
「こっちは僕の好きな銘柄なんだ。茶菓子もね、いつも僕の好きな物を並べてくれる。これが好きだなんて、言った事ないのにね」
「マリアンヌ様は、とてもお優しい方ですから。相手のことを、とてもよく見てくださいます」
「ああ、――だからこそ、彼女を王族の事情に巻き込みたくないんだ」
紅茶のカップを置いたジョルジュが真剣な目を向ける。
「マリアンヌは君のことを信頼している。だからカスティオン侯爵家の君にこんな事を言うのだが、……王城はすでに貴族派の手中に収められている。少しでも連中の意に沿わない事をしでかせば、恐らく僕は抹殺されるだろう。そうなれば僕の妹に王配として貴族派の誰かが当てがわれ、妹は生涯傀儡の女王とされて貴族派の世となる。
そんなところに、僕はマリアンヌを引き摺り込みたくないんだよ。僕と疎遠であればあるほど、彼女は中立派として生き残る可能性が上がる」
ジョルジュの言葉にリリティアは息をのんだ。ここまで王城の状況が切迫しているとは思わなかったのだ。
マリアンヌを危険に晒したくないというジョルジュの気持ちは、痛いほどに理解できた。リリティアとて、大切な友達であるマリアンヌには危険な立場には立ってもらいたくない。――それでも、ひたむきにジョルジュの力になりたいと願うマリアンヌの気持ちも、胸が軋むほどに、よく分かるのだ。
「……マリアンヌ様には、お伝えしないのですか?」
「ああ、言うつもりはないよ」
「そう、ですか……」
ギュッとスカートを握り、マリアンヌを想い苦しそうな表情を浮かべるリリティアに、ジョルジュは微笑んだ。
「マリアンヌに、君のような友が出来て良かったよ。もしもの時は、彼女の力になってあげて欲しい」
ジョルジュの言葉に、リリティアは泣きそうになる。
「私も、出来ることならいつまでもマリアンヌ様のお側にいられたらと思っておりますが、……学園を卒業したら、もう、私に自由は許されておりません」
「……そうだね、かの公爵は、君を離すことはしないだろう」
顔を俯かせ、リリティアは膝の上の手を握りしめた。
「私はよいのです。初めから分かっていた事ですから。
それより、もしも、もしもマリアンヌ様が全てを知った上で殿下の側にいる事を望んだ時は、……その時は、殿下の御心のうちをマリアンヌ様にお伝えすると、約束して下さいませんか?」
「僕はそんな事にするつもりは……」
「もしもの時の、お話です。私は、マリアンヌ様と共に過ごした時間は殿下の足元にも及ばないでしょう。しかし、私にとっても、マリアンヌ様は大切な唯一のお友達なのです。どうか、お約束ください。――マリアンヌ様のお心を掬いあげる事が出来るのは、殿下だけなのですから」
リリティアの懇願に、ジョルジュはしばし口を閉ざした後、ゆっくりと頷いた。その事にリリティアはホッと息をつき、良かったと呟いた。
「さて、君の話を聞くつもりだったのに、僕のことで時間をとらせてしまったね」
「いいえ、今回のこと、お話しできて良かったです」
「僕も、君と話が出来て良かったよ。……彼の頼みを聞いて良かったと思っている」
ジョルジュの言葉に、リリティアはパッと顔を上げる。
「彼とは、ウィリアム・ルーベンス様のことですか?」
「よく分かったね。今日は、彼の事を聞きたかったのだろう?」
「はい。可能な限りで構わないのです。彼について教えていただきたかったのです」
「彼についてはどのくらい知っているのかな?」
「司法を司るルーベンス公爵家の嫡男でしたが、12年前に当時のルーベンス公爵の不正が発覚し公爵は処刑、その後のルーベンス家は公爵の弟が家門を継いでいます。父親の処刑後、彼は公爵家から追放され、行方不明となっています」
「そう。よく調べているね。まあ、それ以上の資料は貴族派が全て隠蔽してしまっているから調べられないしね」
「隠蔽……。やはり、冤罪だったのですね?」
「ルーベンス公爵ほど公明正大を体現する人物を僕は知らない。だからこそ、彼は貴族派から煙たがられていたんだ。
王である父もルーベンス公爵をとても頼りにしていてね、僕も公爵と一緒に王城にやって来る彼を兄のように慕っていたんだよ」
「その後の消息は……」
「ついこの前まで、消息どころか生死さえも分からなかった。しかし学園の舞踏会の前、突然手紙を受け取ったんだ。君を、マリアンヌの学友とするように進言して欲しいってね。それも、貴族派の不正の証拠という手土産付きで」
ジョルジュは目を見開くリリティアに肩を竦めてみせた。
「僕に聞きに来たということは、君は彼の心当たりがあるようだね」
「はい……」
「彼が今どうしてるのか、教えてくれるかい?」
ジョルジュの問いに、リリティアはフルフルと首を振る。
「申し訳ありません。彼が望んでいるのか分からない以上、殿下のご命令でもお伝えする事は出来ません」
強い意志をもった瞳で見返され、ジョルジュはハハと頭を掻いた。
「彼が大切にしているらしい君を脅すような真似はしないさ」
ジョルジュの言葉に、リリティアは唇を噛み締める。
「リリティア嬢、君は彼の事を知って、これからどうするつもりだい?」
「……私は彼に救われました。私も、私にできる範囲で彼の望みを叶えるお役に立ちたいと思います」
「もしかして……彼は、君が気づいている事を、知らないのかい?」
驚いたようなジョルジュの問いに、リリティアは微笑みでもって答えた。
「最後に、もう一つだけ教えていただいても良いですか?彼の瞳の色は、青空のような、澄んだ青色でしたか?」
「そうだよ。ルーベンス家の特長でね、全てを見通すような、澄んだ青色をしていた」
ジョルジュの答えに、リリティアは泣きそうな瞳で、誰よりも美しい笑顔を浮かべた。
***
「こんにちは、お嬢さん。お友達とのお茶会は楽しかったかい?」
裏庭の木立で資料を読んでいたリリティアに、いつものように唐突に現れたウルティオが声をかける。
太陽の光の元で透けるウルティオの瞳に目を細め、リリティアは綻ぶような笑みを浮かべる。
「こんにちは、怪盗さん。お茶会ではたくさんおしゃべりができて楽しかったです」
「それは良かった」
リリティアの言葉に嬉しそうに笑顔を溢すウルティオの目元に薄い隈を見つけて、リリティアはスッと顔を近づけた。
「!ど、どうしたんだ?」
「やっぱり、目の下に隈があります。怪盗さん、最近、忙しいのではないですか?無理をして、ここに来られてはいませんか?」
「無理なんてしてないさ」
心配はいらないとウルティオは笑うが、リリティアの心配そうな瞳の翳りがはらわれる事はない。
「あー、今日はたまたま寝不足なだけだから、本当に心配する必要はないんだよ」
「それなら、せめて少しだけここでお休みしませんか?」
リリティアの懇願に負けて、ウルティオは苦笑しながら分かったと答え、木の幹に背中を預けた。その隣に、リリティアもそっと腰を下ろす。
「あの、肩に寄りかかっていただいて、大丈夫ですよ」
「……じゃあ、少し肩を借りようかな」
リリティアの肩に温かな重みがかかる。スルリと頬に当たったウルティオの髪の感触に、トクリと胸が高鳴った。
「はは、侯爵令嬢の肩を借りるなんて、贅沢な休憩だ。重くないかい?」
「ふふ、全然重くなんてないですよ」
段々と色づき始めた木々の隙間から、優しい木漏れ日が二人に降りそそぐ。何も話さなくとも、お互いの体温を感じる距離でそばにいられる時間はとても心休まるものだった。
「怪盗さん、少しだけ、目を瞑ってくれませんか?」
「?どうしてだい?」
「…駄目、でしょうか」
「君のお願いなら、もちろん良いさ」
そう言って目を閉じたウルティオは、疲れが溜まっていたのだろう、すぐに寝息を立て始めた。
ズルズルと下がってきた頭をゆっくりと自分の膝の上に下ろすと、リリティアはその寝顔を見ながら幸せそうに微笑んだ。自分のそばで体を休めてくれる事が、とても嬉しいと思う。
「……ねえ、怪盗さん。私が本当に悪役令嬢でも、許してくれますか……?」
小さな小さな呟きは、風と共に木立の奥へと消えていった。




