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優しい日々


「お母さん、この前ね、怪盗さんと収穫祭に行ったのよ。初めて見たお祭りは全部がキラキラしていて、とても綺麗だったの。お母さんにも、見せてあげたかったな」


治療院の病室で、リリティアはいつものように笑顔を浮かべてお母さんに話しかける。


「夢みたいに楽しくて、その日は寝るのが怖くなっちゃったの。もしも朝起きてあの夜の事が全部夢だったらって思うと、とても寝れそうになくてね、私、その日は怪盗さんが買ってくれたお花やお菓子を抱きしめたまま寝ちゃったわ」


「これはね、怪盗さんがお祭りで買ってくれた飴細工なんだよ。凄く綺麗な小鳥さんでしょう?食べるのがもったいなくて、私では全然食べれないの。だからね、お母さんの病室に飾ってもらおうと思って持ってきたの。もしもお母さんが食べたくなった時、ここに飾っておけばいつでも食べられるでしょう?こんなに綺麗なんだもの、きっとね、甘くてとても素敵な味がすると思うんだ」


返事のない会話にリリティアは一旦口を閉ざすと、ギュッと胸元のお守りを握りしめた。



「……ねえ、お母さん。このガラス玉のお守りをくれた男の子の名前、覚えてる……?」




***



「リリティア、何か良い事でもあったの?」


昼休みの食堂で、リリティアの正面に座るマリアンヌが問いかけた。


「良い事、ですか?」

「ずっと、元気がなかったでしょう?べ、別にあなたを心配していた訳じゃないけれど、その、最近は大丈夫そうだから、ちょっと気になっていただけよ!」


いつものようにツンと顔を横に向けながらも、ずっと自分の事を心配してくれていたマリアンヌに、リリティアはジンと胸が温かくなった。


「マリアンヌ様、ご心配おかけしました。もう、大丈夫です」


ふわりと花が咲いたように笑みを浮かべたリリティアに、マリアンヌは目を見開いた。


「……もしかして、ウォーレン先生と何かありまして?」

「え⁈ど、どうしてですか⁈」


驚いたように肩を跳ねさせたリリティアに、マリアンヌは逃がさないとばかりにジーっと視線をリリティアに向けている。その視線に耐えられる訳もなく、リリティアは小さな声で返答する。


「あの、たまたま、街でお会いできただけで……」

「本当にそれだけですの?」

「……収穫祭に、誘っていただきました……」


顔を赤くして白状したリリティアに、マリアンヌは嬉色を浮かべて納得したように頷いた。


「まあ!本当に?なるほどね、それで……」

「?どうしたのですか?」

「最近あなた、凄くフワフワ笑うようになったと思ったのよ」

「フワフワ……ですか?」

「ふふ、自覚なかったの?こうなったらほら、わたくしに恋愛話を提供しなさい!あなたくらいしかこんな話できないのだから」


こんな風にたくさんの話をするようになって気づいたのは、マリアンヌはとても恋愛話が好きだという事だ。リリティアは困ったように眉を下げた。


「そんな、本当にウォーレン先生は、親切で良くしてくださっただけで、恋愛なんて」

「あ・な・た・の、気持ちを聞いているのよ!」


(私の、気持ち……)


リリティアはワタワタと焦りながらも、収穫祭で自分の手を引いてくれたウルティオの笑顔を思い出した。すると次々と連鎖するように彼の優しい笑顔が浮かんできて、リリティアの胸を温かく照らす。


「……ウォーレン先生は、とても優しくて、格好良くて、ヒーローのような方です。私を、いつも助けてくれる人……」


リリティアはギュッと胸元で手を握りしめる。


「……私にとって、ウォーレン先生は……命より、大切な方です」


スルリと口から溢れたリリティアの迷いのない言葉に、マリアンヌは息をのんだ。


「リリティア、あなた……」


マリアンヌが何事か言葉を発する前に、リリティアはフワリと微笑んでこれ以上の話を拒むように話を変えた。


「マリアンヌ様こそ、殿下とはお会いにならないのですか?」


リリティアの話題転換にこれ以上話す気はないと悟ったのか、小さくため息をついてマリアンヌは頬杖をつきながら話しに乗ってくれた。


「ま、いいわ。あなただけに話させるのはフェアじゃないものね。

……そうね、私は殿下とは月に一度お茶会をしているわ。穏やかで、真面目で、国のことをとても考えていらっしゃる方よ。でも、いつも壁を感じるのよ。これ以上踏み込んで欲しくないような……。

今は王族派とはいえ、長く中立だった我が家はあまり信用出来ないのかもしれないわね」

「……マリアンヌ様は、殿下を慕っていらっしゃるのですね」


リリティアの言葉に、マリアンヌは飲みかけの紅茶でむせてゲホゲホと咳き込んだ。


「な、なんでいきなりそんな話になりましたの⁈」

「マリアンヌ様、寂しそうなお顔をされていましたから」


いつも不満そうに話していても、リリティアはマリアンヌが婚約者の悪口を言っているところなど見た事がない。むしろ、たまに心配そうな様子を見せていて、王太子殿下がマリアンヌの気持ちを汲んでくれればといつも思っていた。


「そ、そんなんじゃないですわ!わたくしは、ただ、婚約者としてやや不誠実と思われる殿下の態度に文句を言っているだけですわ!」

「ふふ、でも、本当はもっと打ち解けたいと思っていらっしゃるのでしょう?」

「〜〜っ!」


照れ隠しだと分かるマリアンヌの態度にクスクスと笑った後、リリティアは居住いを正してマリアンヌに向き直る。そして、真剣な表情で問いかけた。


「マリアンヌ様、次に殿下とのお茶会があるのはいつなのでしょう」

「来週ですけれど、それがどうかしたの?」

「失礼な事だとは分かっています。ですが、一度だけ、殿下にお目通りすることは出来ないでしょうか」


リリティアは真っ直ぐにマリアンヌを見つめて口を開いた。


「以前殿下から問われた方について、お話を伺いたいのです」



***



「こんにちは、お嬢さん」


木々の緑がだんだんと赤く色づき始めたカスティオン侯爵邸。その離れにある図書室の窓から穏やかな声がかけられる。

柔らかな日差しの入る大きな窓の前の机で資料を読んでいたリリティアは、パッと顔を上げて花が綻ぶような笑顔を浮かべた。


「こんにちは、怪盗さん」


柔らかな風が入る開けた窓の外には、艶やかな赤髪を後ろでくくった青年が立っていた。青年はおもむろに赤髪のウィッグをとると、窓枠に腰掛けてリリティアに真夜中色の瞳を向けて微笑んだ。


「今日も来て大丈夫だったのですか?」

「大丈夫!なんと言っても、今の俺は侯爵夫人お気に入りの調律師だからね。勉強のために図書室で音楽関連の書籍を拝見したいって言えば、すぐに許可が出たよ」

「それなら良かったです」


ホッとしたように微笑んだリリティアに、ウルティオはニカリと笑ってみせた。



高位貴族ともなれば音楽の教養も当然のように要求される。カスティオン侯爵家でも数台のピアノが所有されており、中でもパーティー会場として使用される大広間に置かれるグランドピアノは非常に高価な物だ。収穫祭の数日後、ウルティオはどうやったのかそれらの調律、修理を行う調律師として変装した格好で現れ、リリティアを大いに驚かせた。

その技術と魅力に溢れた容姿から、ウルティオはすぐに侯爵夫人に気に入られ、ピアノのみならずバイオリンの調弦や修理までも頼まれているようだった。


「怪盗さんはピアノの調律も出来るのですね」

「怪盗たるもの、手先が器用でないといけないからね」

「ふふ、ピアノもお上手そうです」

「もちろん!でも、一番得意なのはバイオリンかな。お嬢さんは?」

「私は、ピアノでしょうか。他の楽器も一通り勉強していますけれど」

「お嬢さんが使うなら、やる気が出るな。気合いを入れて完璧に調律してあげるよ」


そんな会話をしてから、もう何度目かの訪問だ。もう突然現れるウルティオにも驚く事なく、リリティアは図書室に行けばいつも窓際の席で資料を読みながらその訪れを心待ちにしていた。




リリティアはふと立ち上がって窓枠に座るウルティオに近づくと、背伸びをしてそっとウルティオの肩についた赤く色付いた葉を手に取った。


「ふふ、怪盗さん、今日はどこを通って来られたんですか?葉っぱがついています」


至近距離で柔らかく笑うリリティアに、ウルティオは傾きそうになった体をパッと離して拳で口元を隠す。


「あー、実はすぐそこの裏庭に良い場所を見つけたんだ。お嬢さんも行ってみないか?」


ウルティオから差し出された手を躊躇うことなく取ったリリティアは、ふわりと体を持ち上げられて外に降り立った。


この別館にはほとんど人がやって来ないため、裏庭などはあまり手が加えられていない。その木立の中に入っていけば、少し歩いた所でぽっかりと木々に囲まれた空間が現れた。足元では小さな小花がそよそよと風に揺られ、上からは心地よい木漏れ日が降り注ぐ。木の根元は柔らかな草で覆われていて、ここで座って読書をすればとても気持ちが良いだろうと思えた。


「こんなに素敵な場所があったなんて、知りませんでした」

「そうだろう?ここら辺の散策中に見つけたんだ」


一番大きな木の根元にハンカチを敷いてリリティアを座らせると、ウルティオ自身もその近くに腰を下ろした。木漏れ日が二人を包み、とても心地良い。


「最近、学園はどうだい?」

「マリアンヌ様とご一緒させていただいていますから、毎日楽しいです。今度、マリアンヌ様の家のお茶会にご招待いただいたんですよ」

「良かった。お嬢さんが楽しく学園生活を送れる事が一番だからね。最近、すごく柔らかく笑えるようになったみたいだから安心したよ」


ウルティオはそう言って慈しむような笑顔を浮かべる。

自分の幸せを願ってくれるその笑顔に、リリティアの心はいつも泣きそうなほどの幸せを感じていた。


「そう言えば、法学の授業は新しい教師はやって来たのかい?」

「はい、でも、皆ウォーレン先生の方が分かりやすかったと言っていますよ」


ウォーレン講師が辞めた後、急遽別の法学の講師が雇われたが、生徒たちにはウォーレン講師と比較されてやや可哀想な状態だ。


「ちなみに、何の教本を使っているの?」

「ダードン氏の著作です」

「なるほどね。悪くはないけど、学生に基礎から学んでもらうならリンド氏の法学論の方が良いと思うんだがな……」


真剣に話すウルティオの姿に、リリティアは思わずふふと笑みが溢れた。


「怪盗さんは、本当に法学が好きなんですね」

「……そうだね。子供の頃から、法学の参考書が絵本代わりだったから」

「そうなのですか?」


初めて聞いたウルティオの子供時代の話に、リリティアは目を丸くした。


「それに、怪盗として、法律の抜け穴をつくのこそロマンだと思わないか?」


ウルティオの戯けた言葉に、リリティアはまたクスクスと笑う。


小さな箱庭のようなこの空間で、二人でまた話ができる事がリリティアにとって何より幸せだった。


(このまま、時間が止まってしまったら良いのに)


リリティアは心の中で呟いて、そっと瞳を閉じた。



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