別れ(2)
「罪を捏造だなんて……!それこそ冤罪ですわ!何を証拠に言っているんですか⁈」
ビアンカの言葉に、ウルティオは攻撃の矛先を変えた。
「そう言えばビアンカ嬢、足を捻られたとか?」
「そ、そうですわ!リリティア様に踊り場から突き飛ばされたのです!」
ビアンカの主張に目を細めたウルティオは、スイと視線をビアンカの足元に移動させる。
「おや、ビアンカ嬢、足元に蛇が」
「ひ!イヤァ!どこ⁈」
マリアンヌの際に実際に蛇を見たのが頭に残っているのだろう、ビアンカはジェイコブに抱かれていた場所から反射のように飛び退いた。しかし、もちろんそこには蛇などいない。
ビアンカが足をついて立っている様子に、シーンと周りが静まり返る。
「く、くくっ。ビアンカ嬢はどうやら無傷のようですね。階段の上段から落ちたと言うのに、足も捻っていないとは随分と強運な方のようです。さすがに、無傷の方を証拠に殺人未遂を言い張るのは無理があると思われますよ?」
「だ、騙したの⁈」
ビアンカは怒りからか顔を真っ赤にして怒鳴った。
「いえ、まさかそんな。ただ、見間違えてしまっただけですよ。
それに、騙していたのはあなたの方だ」
冷たい瞳でビアンカを見据えたウルティオは、攻撃の手を決して緩めなかった。
ポケットから、小さなブローチを取り出して周りに見えるように掲げてみせた。
「ところでビアンカ嬢、これはリリティア嬢が教室から投げたとされる君のブローチですか?先日、中庭の生垣に落ちていたのを見つけたのですが」
「まあ!そ、そうですわ!母の形見なのです。見つからずにずっと心を痛めていたのです」
話をそらせると思ったのか、感激したようにブローチを受け取るビアンカに、ウルティオは冷たい笑みを浮かべる。
「間違いなく、これがあなたのお母上の形見なのですね」
「そ、そうですわ、リリティア様に捨てられてしまって……」
ウルティオの視線にやや後退りながら、ビアンカは儚げに頷いた。ウルティオは、怒りを隠しながら、ニコリと笑って口を開く。
「おかしいですね。このブローチはザーネ商会が平民層でも買いやすいようにと今年の春頃から安価で売り出した商品ですよ。なぜそれが形見となっているのでしょう?失礼ですが、お母上がお亡くなりになったのはつい最近なのでしょうか?」
「な、ち、ちが、そんなこと……」
二の句が継げないビアンカの様子に、周囲の人々は疑惑の目を向ける。この話が本当だったなら、むしろビアンカとジェイコブこそが権力でリリティアを従わせてきた悪役となるのだから。
ここ最近のジェイコブ達の勘違いの件も噂としてほとんどの者が知っており、まるで誘導されるかのように、皆の頭に同じ疑惑が浮かび、そして確信へと変わっていく。
「ビアンカ嬢のお母上の形見は偽物だった。今までのも、ただリリティア嬢の評判を落とすための茶番だったのでしょう?
つまり、不貞をしていたお二人が、気に入らないリリティア嬢を貶めるために権力でもって彼女に命令して悪役令嬢をやらせていたということですね」
ウルティオは、躊躇いなくジェイコブとビアンカの罪を白日の元に晒す。
「何の罪もないリリティア嬢を貶めて、今回は自作自演の殺人未遂事件まで起こして彼女の一生をめちゃくちゃにしようとしたのですね。恐ろしい事です」
責めるウルティオの言葉に、ビアンカは悔しげに歯を噛み締めた。
ウルティオは挑発するように言葉をつなげる。
「男爵令嬢が侯爵令嬢へ不敬を行うなど本来は考えられない事ですが……、公爵令息と仲がよろしくなったせいで、自分が偉くなったと勘違いされてまったのでしょうか?」
「ふざけるな……、ふざけるなよ‼︎お前、平民のくせにそのような態度をとって許されると思うなよ‼︎」
「ジェイコブ様!」
ビアンカはジェイコブに縋り付いて儚げに涙を流して見せるが、今や誰の同情も得られない。むしろ、ここまで侯爵令嬢を貶めてきた男爵令嬢へ化け物を見るような視線を向けている。
ジェイコブはブルブルと震え頭の中が真っ赤に染まっていた。今まで、公爵家の嫡男である自分を侮辱するような者はいなかった。全てが自分の思い通りに動くのが当たり前だったのだ。ブランザ公爵である父が、自分に関心を向けてくれない事以外は。
その父が認めるリリティアは、ジェイコブにとって憎しみの対象だった。どれだけ貶めても、踏み潰しても足りないほどの存在だったのだ。
そのリリティアと平民の教師に見下されている現状は、とても正気を保てるものではなかった。
(そうだ、こんな平民など焼き殺してしまえばいい。奴隷女も、そうすれば絶望で二度と口答え出来なくなるだろう)
頭に血が上ったジェイコブはその怒りのままに魔法を発動させた。
「平民の分際で公爵家の俺を侮辱した事、存分に後悔させてやる!」
ジェイコブは火魔法で手に炎を纏わせると、それをウルティオに振り上げた。ジェイコブは魔力が多く、拳大の炎を作り出せるのは学園でも彼ぐらいであり、常々自慢をしていたのだ。
ウルティオは危なげなくその手を抑えるが、炎の熱でジュッと手が焼ける音がした。その光景を見て、リリティアは顔色を無くしてウルティオに駆け寄る。以前、ジェイコブは気に食わない使用人の顔をその炎で焼いた事があったのだ。それを思い出し、頭が真っ白になりながら無我夢中で手を放させようと手を伸ばした。自分に炎が回っても怪盗さんが助かるのなら構わなかった。
「ウォーレン先生!」
「ダメだ!危ないから手を出すな!」
焦るウルティオの声がする。火があわやリリティアの服に燃え移りそうになった時、ウルティオが舌打ちして何かを呟いた。
その途端、突然強い突風が窓から吹き込んできて皆の視界を遮る。
その突風は一瞬のうちにジェイコブの火を幻のように消し去っていった。
突然火が消えた事に皆が呆然とした表情を浮かべるなか、リリティアが焦ったようにウルティオの手を見れば、右手から腕にいたるまでが赤く酷い火傷となっている。酷い痛みが襲っているはずなのに、息をのんで瞳を潤ますリリティアにウルティオは笑って見せた。
「そんなに心配しなくて良い。火もすぐ消えたし、後で冷やせばすぐ治るよ」
ブンブンと首を振り、リリティアはその手を両手でそっと抱きしめた。これだけの火傷がすぐに治る訳がない。自分のせいでこんな怪我をさせてしまったのが申し訳なくて悲しくて、涙が溢れてくる。導かれるようにその手を額に押し当てると、そっと目を閉じた。
「光よ、この者に癒しの加護を……!!」
(神様、この火傷を私に移してくれたって良い。だから、どうかこの優しい人の怪我を少しでも治してください)
無我夢中で祈るリリティアの体から強い光があふれ、ウルティオの手を包み込む。ウルティオがその手を包む温かさに目を見開くと、その瞬間に手の痛みは幻のように霧散した。
奇跡のように淡い光の粒子が空へと消えていくと、そこには火傷など無かったかのような綺麗な手があるだけだった。
(うそ……。切り傷じゃないのに、治せた……?)
驚きながらも、傷が治った事に心からホッとしてリリティアはヘナヘナと力を失ったかのように座り込む。そのリリティアを、慌てたようにウルティオが支えた。
「うそ……!」
「あれが、光魔法なのか⁈」
「凄い……」
その場面を目にした生徒たちはどよめいた。
今まで光魔法を見る機会など無かった生徒達にとって、今の光景はまさに奇跡のような光景だったのだ。




