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企み(3)


翌朝の学園で、登校してくる生徒たちからは死角の位置にリリティアは連れて来られていた。

水の入ったバケツを持たされたリリティアに、ジェイコブとビアンカは愉快そうな笑みを浮かべた。


「はは、結局お前は俺の命令には逆らえないんだよ!」

「ちゃんと服に水をかけてくださいよ。全然かからなければ、また別の日にやり直してもらいますからね」

「……かしこまりました」


リリティアはギュッとバケツの持ち手を握り締めた。


「来たぞ」


校門から、マリアンヌが歩いてくる様子が見てとれた。

リリティアはよし、と気合を入れる。怪盗さんは考えがあるから言われた通りにしていてと言っていたけれど、言われた通り少しだけ水をかけたら、リリティアは大袈裟に転んだ振りをして水のかかった位置に倒れ込み、泥だらけの悪役令嬢という、よりインパクトのある話題を提供してマリアンヌから目をそらさせるつもりだった。


(これなら、命令にも逆らった事にはならないはず。マリアンヌ様にも、それほどご迷惑をかけなくて済むわ。話題に上るのは、愚かな悪役令嬢が泥だらけになったということだけ)



曲がり角からマリアンヌがやって来る。

しかし、いざ水をかけようとしたところで後ろからジェイコブに腕を取られた。


「っ!」


ジェイコブはリリティアの腕ごとバケツを高く掲げて振りかぶると、マリアンヌに大量の水を振りかけた。


(ダメ!)


必死に抵抗しようとしても、ジェイコブの力に敵わない。何とか頭から水を被るのは防げたけれど、マリアンヌのスカートに大量の水がかけられるのを、リリティアは顔を青くさせながら見ている事しかできなかった。

しかしそれだけでは済まなかった。呆然とするリリティアを、ジェイコブが後ろから突き飛ばして死角であった場所から突き出し、登校途中の生徒たちの視線に晒させた。そして後ろからリリティアを捕まえるように押さえつけたのだ。


「リリティア・カスティオン!何をしている!」


王太子の婚約者であるマリアンヌが水をかけられたことで騒然としていた場所に、ジェイコブの声は大きく響いた。


「お前が怪しい動きをしているから確かめようとしていたが、まさか他家のご令嬢に水をかけるとは!まったく品位が疑われる!」


ジェイコブの言葉に、その場にいた生徒たちの目が泥の上で組み敷かれているリリティアに向けられる。ジェイコブと共に現れたビアンカが、瞳を潤ませて皆に聞こえるように言葉を発する。


「王族派の方を悪くおっしゃっていたのは聞きましたけれど、このような事なさるなんて……」

「まったく、貴族派筆頭の次期ブランザ公爵である俺の婚約者であることを鼻にかけていたのは知っていたが、王太子殿下の婚約者であるマリアンヌ嬢を水浸しにするなど、そのような下劣な行為は私が許さん!」


まるで自らが正義である事を疑わないかのようなジェイコブの演説に、すべての生徒たちが注目する。

リリティアは泥の上で押さえつけられながら、ひたすらにマリアンヌへの申し訳なさで震えていた。


(私、結局何も出来なかった……)


悔しさにギュッと泥のついた拳を握りしめていたところ、不意に場違いな拍手の音が聞こえてきて皆の視線がリリティアから逸れる。



「素晴らしいですね、リリティア嬢。とても勇敢な行動でした」



皆の振り返った先には、足で何かを踏んでいる姿勢のウォーレン講師の姿があった。せっかくリリティアを糾弾していたのに、生徒たちの注目を一瞬で攫っていったウォーレン講師にジェイコブが苛立たしげに問う。


「は?何を言っている?」

「おや、気がつかれませんでしたか?先程マリアンヌ嬢に、この毒蛇が近づいていたのです」


ウォーレン講師が足を上げると、その足元に気を失っているであろう蛇が横たわっていた。


「キャー!!」


蛇の姿を目にした生徒たちが一斉にパニックになり蛇から身を離した。


「もう死んでいるので大丈夫ですよ。

先程マリアンヌ嬢に蛇が近寄ったところをリリティア嬢が追い払うために水をかけられたのです。そのお陰で蛇がマリアンヌ嬢に噛み付く前に退治する事ができました」


ウォーレン講師の言葉に、ワッと生徒たちが安堵の歓声をあげる。


「ところで……なぜあなたは、勇敢な行為をしたリリティア嬢を押さえつけているのですか?」


まるで芯から冷えるような冷気をまとった視線をジェイコブに送り、ウォーレン講師が言葉を紡ぐ。


「な、俺は、こいつが下劣な行為をしたから捕まえて……」

「そ、そうですわ!たまたま蛇がいただけで、リリティア様が水をかけようとしていた事は間違いないと――」


そんなジェイコブとビアンカの言葉を遮るように、凛とした声が響く。


「いいえ、それは間違っていますわ。リリティア様は、確かにわたくしを助けてくださいました」


その声は、スカートを濡らしたマリアンヌのものだった。マリアンヌの言葉に、ジェイコブの言葉は完全に塞がれた。

マリアンヌが断言した事で、リリティアの行為は王太子の婚約者を助けるものであったと証明されたのだ。


「マリアンヌ様……」


久しぶりに顔を合わせたマリアンヌは、目元を隠すようにバッと扇で顔を隠しながらも、リリティアに感謝の言葉を伝えた。


「ありがとうございましたわ、リリティア様」

「……いいえ。ですが、お召し物を濡らしてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいのですよ、助けてくださったのですから」


久しぶりの会話に、胸が温かくなる。この一年、私の悪評が出回っていたのに、それでも今回、こうやって庇ってくれた事が嬉しかった。


「さあ、このままでは体が冷えてしまいますね。マリアンヌ嬢は早くお召し替えなさった方が良さそうですね」

「ええ、まだ家の馬車がおりますから、今日は一旦帰りますわ」

「それが良いでしょう。リリティア嬢は、一旦お怪我がないか保健室で確認いたしましょう。そちらの婚約者様に突き飛ばされておりましたからね。どうやら、またブランザ公爵令息とビアンカ嬢の()()()だったようですけれど」


そう言って、ウォーレン講師はジェイコブに倒されて泥で汚れたリリティアに自らの上着を優しく被せると、軽々と抱き上げた。


「ウォーレン先生、私は歩けますので」

「いいえ、万一足を捻っておられたら大変ですから」


慌てるリリティアにそう言いながら、ウォーレン講師は屈辱で顔を赤くさせるジェイコブとビアンカに冷たい笑みを浮かべてその場を去った。


今日の出来事は、蛇に噛まれそうだったマリアンヌをリリティアが助けたという話題で持ちきりとなり、マリアンヌの服が濡れてしまった事などはすぐに話題から消えていった。



***



「はぁ……」


ウルティオは、リリティアを運びながらどんよりとしたため息を吐いた。


「怪盗さん?あの、重いでしょうし、もう下ろしていただいても…」

「お嬢さんはむしろ軽すぎるくらいだよ。ちゃんと食べてるのか心配になるなぁ」

「あ、上着も、泥で汚してしまい申し訳ありませんでした」

「そんな事、気にしなくていいんだよ」

「ですが、気落ちされているみたいです。また、私がご迷惑をかけてしまったから……」

「違う違う。俺は、自分の不甲斐なさに打ちひしがれていたんだよ」


言いながらウルティオは保健室の扉を開けると、優しくリリティアをベッドの上に座らせた。大きな手が、慎重にリリティアの頬についた泥を拭う。


「今回は君を傷つけないようにしようと思っていたんだけど。上手く、いかないものだね」

「そんな事ありません!私はいつも、怪盗さんに助けていただいています。今回は、泥まみれにはなってしまいましたが、怪我もしていませんよ」


リリティアは頬にあるウルティオの手をとってギュッと握りしめると、朝露の花が綻ぶような笑顔を浮かべた。


「本当に、ありがとうございました。怪盗さんのおかげで、またマリアンヌ様と少しですが、お話する事もできました」

「……マリアンヌ嬢は、君にとって大切な人なんだね」

「……はい。一年の時、ジェイコブ様に嫌われていた私には誰も関わろうとはしませんでした。そんな中で、話しかけてきてくれた方なんです」

「そうか。大切な友達なんだね」

「……友達に、なりたいなと、思っていました」


手に入らないのを当然だと、諦め慣れた顔で眉を下げたリリティアに、ウルティオはムッとした顔をすると両手でリリティアの頬を包んで顔を上げさせた。


「お嬢さん、俺は君の協力者で、つまりは君も俺の仲間みたいなものなんだ。大怪盗ウルティオの仲間が欲しいものを易々と諦めるなんて許されないよ。

欲しいものはね、諦めちゃ駄目なんだ」

「怪盗さん……」

「大丈夫、きっとマリアンヌ嬢と友達になれる日はくるよ。君が考えるよりも、ずっと早くね」


ウルティオはそう言うと、頼もしい笑みを浮かべた。


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