企み(2)
ジェイコブたちが教室から去ってから、リリティアは力を失ったようにふらりと床に座り込んだ。
頭に血が上っているジェイコブは、本当に実行してしまう可能性があり恐ろしかった。自分が傷つけられるなら構わない。でも、私のせいで他の人が傷つくのは耐えられそうもなかった。
(マリアンヌ様……)
貴族派のカスティオン侯爵家の私なんかにも、事情を知って隣に座ってくれた少女。本当は、ずっとお友達のように喋ってみたいと思っていた。二年になって、それは私にとっては高望みだったと諦めてしまったけれども……。
でもせめて、あんな人たちの腹いせの為に傷つけるような事はしたくない。
(何とかしなくちゃ)
決行は明日の朝。事前に伝えられれば良いけれど、今は放課後。すでに帰宅しているだろう。手紙を出すお金さえ持っていない私では、リーデルハイト家に手紙を送ることもできない。カスティオン侯爵家の私では、門前で取り次ぎもしてもらえないだろうし、そこまで馬車で行く自由も許されていなかった。
「どうしたら……」
朝から校門でマリアンヌ様が登校して来るのを待って、マリアンヌ様の代わりに私が汚物を被れば――。でも、それで諦めてくれるのか分からない。それに、その指示に背く行為でお母さんの治療がもしも中止されたらと考えると背中が凍るような恐怖が込み上げてくる。
考えに沈んでいたリリティアは、いつの間にかふらふらといつもの裏庭のベンチにやって来ていた。
そして、いるはずのない青空のような笑顔を探している自分に気がついた。
(今日は授業のない日だもの。怪盗さんがいるはずない。それなのに、また頼ろうとしてしまうなんて――)
いつもいつも、貰ってばかりの自分に嫌気がする。何も返せないくせに、また彼の優しさに縋ろうとする自分が申し訳なくて仕方なかった。
「ごめんなさい、怪盗さん……」
ベンチの前に立ち尽くして顔を俯けながら、リリティアはか細い声でそう溢した。
しかしリリティアしかいないはずの静かな裏庭に、もう一人の優しい声が落とされた。
「呼んだかい、お嬢さん」
裏庭に落とされた柔らかな声に、リリティアはバッと顔を上げる。そこには、いつの間に現れたのか漆黒の髪を靡かせたウルティオが困ったように笑って立っていた。
「……っ、怪盗さん……」
ウルティオの姿を視界におさめた途端、じわじわと視界が滲んできた。ウルティオは仕方ないなと笑いながら、優しくリリティアの目元を拭う。
「お嬢さんに謝られるような事、俺には全く身に覚えがないんだけどな。むしろ、いつ俺を頼ってくれるかと待っていたんだが」
「!聞いて、いたんですか……?」
ああ、と頷きながら、ウルティオはジェイコブに掴まれて乱れた髪を優しくすいてなおしてくれる。
「授業の資料作りの名目で、最近は時々学園に来ているんだ。本業の仕事もあるし、あの馬鹿男たちがまた何かやらかしそうな気もしたからね」
案の定だったと毒づきながら、ウルティオはニカリと笑みを浮かべる。
「お嬢さん、俺は君が新しい婚約者を得るまで協力すると言っただろう?こんな時は、真っ先に相談してくれないと」
そう戯けて言って見せた後、その真夜中色の瞳が真摯にリリティアに向けられた。そして言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お嬢さん。こんな時は、助けてって、言って良いんだよ」
ウルティオの言葉に、目元からポツリと一筋の涙が落ちる。
私なんかが、助けを求めて良いのだろうか?私は何にも持っていないのに。あなたに何も、返せないのに。
助けてと、その言葉を口にするのは、ひどく難しいことだと初めて知った。だって今までの生活で、助けを求められる人など、誰一人いなかったのだから。
「さあ、君の願いを言ってごらん」
全てを受け入れてくれるような声に促されて、リリティアの声が震える。小さな小さな心の声が、やっと言の葉を得る。
「……私、マリアンヌ様に酷い事、したくないです」
「うん」
「マリアンヌ様は、私なんかにも優しくしてくれた人で、だから……!」
ウルティオの服の袖をキュッと握って、リリティアは精一杯の勇気を出してお願い事をした。
「だから、もしご迷惑でなければ、マリアンヌ様にお手紙を届けていただけませんか?私がマリアンヌ様を庇って泥を被れば、――」
「それはダーメ。君が傷つく事になるなら、承服できないな。それに命令に逆らったら、お母さんの治療が中止されるかも知れないんだろう?あの馬鹿男の命令には従っていたという大義名分を失っては駄目だ。それは、君を守る上で今は必要なものだから」
リリティアの頬を優しく拭いながらも、ウルティオはこの件に関しては意見を翻してはくれそうもない。
「でも、じゃあ、どうすれば……」
途方に暮れたように瞳を上げたリリティアのラベンダー色の瞳に、いつものように自信に溢れた笑みを浮かべるウルティオの顔が映し出される。
「大丈夫。俺に任せて。だから君はあいつらに逆らうような危険は犯しちゃダメだよ」




