建国祭(2)
「……リリィに、闇魔法を使ったのか?」
目の前が真っ赤になるほどの怒りに、ウルティオは声を震わせる。リリティアの意志を奪い操る目の前の男をぶち殺してやりたい衝動にかられるが、なにより、あの時彼女を助け出せなかった自分に対してどうしようもないほどの怒りを感じていた。
「そんな議論、意味のないものだ。なにせ、誰にも証明できないのだから」
嘲笑うようにブランザ公爵はリリティアに問いかけを続けた。
「リリティア、お前はその男に囚われ、脅された。そうだな?」
公爵の狙いは、この告発を行ったウルティオ自身を犯罪者としてその告発内容を全て信憑性の無いものと知らしめることなのだろう。ここでリリティアが頷けば、ウルティオは王たちの病を闇魔法と偽った狂言者として司法院に連行される。しかし、ウルティオにとって今はそんな事はどうでも良かった。
(どうすれば、リリィを救える⁈どうすれば、闇魔法に囚われたリリィを取り戻せる⁈)
焦燥とともに、ウルティオはリリティアを救う方法を考える。しかし、現状では闇魔法を解けるのは光魔法だけ。その唯一の使い手であるリリティアが操られてしまえば、こちらには対抗する手段はなかった。
真っ直ぐな瞳で、いつも俺の役に立ちたいと笑っていたリリティア。操られていたとはいえ、自分を陥れる発言をしてしまった事を後から知ればどれだけ傷つくか、容易に予想ができてしまう。その事が何より苦しい。
(このままリリィがブランザ公爵に囚われ続けるのだけは絶対に阻止してみせる。高位貴族の殺人で捕まるとしても、もしもの時はこの手で術者であるブランザ公爵を……っ)
ウルティオが隠し持ったナイフの場所を確認しようとしたその時、リリティアの様子がおかしい事に気がつく。
「…………は、っ、……うっ」
闇魔法で命令されたのだろう、ブランザ公爵の問いに頷こうとしたしたリリティアの言葉が、突然途切れた。
見れば感情を表さない瞳でありながら、グッと言葉を発しないように唇を噛みしめていた。そして苦しげな表情で床に座り込み頭を抱える。
「リリィ⁈」
「ちがうっ……ウィルは、わたしを……うぅっ」
苦しげに頭を抱える様子から、闇魔法の暗示に抵抗するため酷い苦しみに襲われているのが分かる。ウルティオは公爵の腕を振り払ってリリティアの側に駆け寄った。
闇魔法に必死に抗い、ウルティオを守るため自らの喉を傷つけようとしているリリティアの手を庇うように掴む。
「もういい、リリィ。無理しなくていい」
例えここで罪に問われようとも、リリティアが苦しむことに比べれば全然かまわなかった。しかし、リリティアは拒むように口を動かす。
「やっ……、ウィルは、わた、……の、大切、な……」
ぽろぽろと透明な瞳から流れる涙に、ウルティオは胸が締め付けられる。
「リリィ……」
ウルティオはリリティアの痛みを少しでも引き受けられないかとでもいうように、華奢な体をぎゅっと抱きしめた。そしていまだ瞳に自分を映さないリリティアの首に、ウルティオは自らの首にかけていたお守りをそっとかける。
「リリィ、約束しただろう?俺のもとに、帰ってきてくれ……」
ウルティオは懇願するように声を震わせると、そっとリリティアの頬を包み、慈しむようにどこまでも優しい口づけを落とした。
ぽとりと、透明な雫が青空色のガラス玉に吸い込まれるように落ちた。
その瞬間、リリティアの首にかけられたガラス玉のお守りが温かい光を発する。
「!」
リリティアの魔力と願いの込められたガラス玉は、キラキラとした光の粒子を纏って輝く。やがてピキッとガラス玉にヒビが入り、そこから温かな光が溢れ出し二人を包んだ。
ホールにいた人々は、奇跡のような光景に息をのむ。
幻のように神聖な光はすぐに収まるが、その残滓がウルティオとリリティアを祝福するかのように取り巻いていた。
ふっと体の力が抜けたように倒れかけたリリティアを、慌ててウルティオが抱き留める。ウルティオの腕の中で、涙に濡れたラベンダー色の瞳がゆっくりと開きウルティオを映し出した。
「ウィル……」
温かな腕の中で、リリティアは涙を流しながらウルティオを呼んだ。
目の前の大好きな瞳に、自分が戻ってこれたことを実感する。ちゃんと帰ってこれた。ここが自分の帰る場所なのだと、リリティアはあふれる涙をそのままにウルティオの手に頬を寄せた。
「……おかえり、リリィ」
「ウィル、……ただいま……っ」
やっと取り戻したリリティアを、ウルティオは万感の思いで強く強く抱きしめる。
リリティアの涙を、宝物のように優しくウルティオが拭う。そして顔をよく見ようと、愛おしげに熱い瞳で見つめあった。
その光景を見れば、二人がどれだけ想い合っているのか誰にでも理解する事ができただろう。
しかしそこに、空気を引き裂くような怒鳴り声が響く。
「何故だ!何故術が解けた?!おい、そいつを寄越せ!」
ウルティオは掴み掛かろうとする公爵からリリティアを腕の中に庇う。
「リリィは、もう二度と渡さない!」
公爵の腕を抑えこみながら、ウルティオはリリティアにそっと問いかける。
「リリィ、ここまでの出来事は、覚えている?」
「はい!」
リリティアははっきりと頷いた。
(闇魔法で操られていた間のことも、ちゃんと覚えてる。私が今、何をすべきかも――!)
リリティアはすっと背筋を伸ばし、顔を観衆に向けて口を開いた。
「私は、無理やりブランザ公爵に捕らえられ、闇魔法によって精神を支配されていました」
ざわめく貴族達に、ブランザ公爵の顔が怒りに満ちる。
「何を言うか!リリティア!」
怒りの形相を浮かべるブランザ公爵にびくりと震えるも、リリティアはもう怖くはなかった。すぐ側にウィルが居てくれる。それだけで、私は何でもできるから。
リリティアは濁った瞳で立ち尽くすカスティオン侯爵とルーベンス公爵であるローグに駆け寄ると、光の魔力を解放した。リリティアの光魔法で、カスティオン侯爵とローグがハッと目を覚ましたように辺りを見回し、ブランザ公爵を見ると喚きだした。
「私たちを操っていたのか?!」
「わ、私はブランザ公爵に指示されたのだ!」
喚く二人に、ブランザ公爵は忌々しげに吐き捨てる。
「クソッ、捨て駒どもが」
ウルティオに抑えられていた腕を振り払うと、ブランザ公爵はふらりと後ろに後ずさる。
「まだだ、まだ私の罪状は確定できない」
「これでもまだ足りないと言いますか?いいでしょう。あなたの邸に踏み込めるだけのもう一つ、そして最も大きな罪をお伝えします」
「そんなもの……」
「――オルティス法第一条」
ウルティオの声に、ブランザ公爵の口元が引きつる。
「解放王オルティス一世が定めた奴隷禁止法。オルティス王国において、貴賤問わず何人たりとも奴隷を所持、または売買する事を禁ずる。――あなたはこの国の最も根幹の法を犯し、人身売買に手を染めていますね」
もうこれ以上の驚きはないと思われていた観衆は、さらに大きな驚きの声を上げた。奴隷禁止法は、オルティス王国ではその法を犯せば貴族でさえもその地位をはく奪される。
「証拠があると?」
低く唸るような公爵の言葉に、ウルティオは滑らかに口を開いた。
「隣国との国境に接する南方領地ガザン村、そしてソウリ村、エール村。これらに不自然な人と金の流れがあることから調査を行った結果、我が国の国民を攫い奴隷紋を刻み、隣国へ売り渡している現場を押さえました」
「そこは我が公爵領ではない!濡れ衣だ!」
「しかしそこはあなたの配下である貴族家の領地だ。しかも資金の流通経路に、ブランザ公爵家の子飼いの兵が護衛として投入されているのが確認されたんですよ」
奴隷売買は、見つかれば即貴族位が抹消される。そのため、公爵家内でも知る者が限られる極秘事項だった。それはつまり調査に非常に困難を極めるという事なのだが、ウルティオたちは何年もかけて末端から少しずつ信頼を獲得していき、ついにその現場を押さえたのだ。
「は、話にならんな。そいつらはとっくに公爵家から解雇された者たちだ。私とは関係ない。不愉快だ、私は帰らせてもらおう」
「待ってください!」
踵を返そうとするブランザ公爵に、リリティアは声を上げる。
このまま公爵邸に返してしまえば、あらゆる証拠の廃棄に動き出すのは目に見えている。それこそ、奴隷紋が刻まれてしまったあの幼い子供たちも、辺境の村の捕まっている人々も。
(そんなこと、させない!)
「ブランザ公爵が奴隷の売買に関わっていたことは、私が証明できます」
「何を」
怒りで顔をどす黒く染める公爵に、リリティアは真っすぐに対峙する。
「私こそが、生きた証人です。理由は、あなたが誰よりも分かっているはずです」
リリティアは自らの左腕を右手で掴む。そこには、幼い頃に刻まれリリティアを苛ませ続けた忌まわしい奴隷紋がある。ずっと疎んでいた物……それでも、今はこの奴隷紋こそが、ブランザ公爵が奴隷売買に関与していた動かぬ証拠になる。この奴隷紋と隣国に売られた人々に刻まれた人の奴隷紋が一致すれば、確実にブランザ公爵に繋がる。
「は、ははは……。それを今、この場で明かすことができるのか?そうすればお前は、もはや社交界では生きていけんぞ」
最後の足掻きのようにリリティアを揺さぶる公爵の言葉に、リリティアは一瞬動きを止める。
そうだ、たとえ無理やり刻まれたものだとしても、奴隷紋が刻まれた者を社交界が受け入れることはないだろう。そうなれば、これからジョルジュを支える側近として立つことになるであろうウィルの隣にいるのは難しくなるのかもしれない。
(それでも、私はウィルと戦いたい。みんなが繋いできたこの機会を、絶対に無駄にしたくない)
リリティアは覚悟を決め、袖をまくり腕の奴隷紋を明かそうとした。しかしその腕を、後ろから大きな手が抱きしめるようにそっと止める。
「リリィ、そんなことしなくていいんだよ」
「でも、ウィル……」
「大丈夫、あいつらが間に合ったようだ」
安心させるようににこりと笑ったウルティオは、視線をホールの入口へと向けた。するとその入り口がバンッと開かれて、騎士たちがなだれ込む。それを率いているのはジョルジュの側近であるマルティンとガスパルだった。目を丸くするリリティアに、ガスパルはニカリと笑って見せる。後方には、マチルダとカミラの姿も見える。二人はリリティアの無事な姿に嬉しそうな笑みを見せる。
「みんな……」
リリティアが両手を握りしめて皆を見つめている中で、代表でマルティンが王とジョルジュに頭を下げた。
「殿下、奴隷売買が行われていた村の制圧、完了いたしました」
「良くやってくれた、マルティン」
ほっとしたように笑みを浮かべたジョルジュの横で、ずっとリリティアを心配していたマリアンヌもほろりと安堵の涙を流しリリティアに笑みを見せた。
「また、ブランザ公爵邸から秘密裏に出ていた馬車の中から奴隷紋が刻まれた子供が発見されました。その奴隷紋と辺境の村で保護した人々に刻まれた奴隷紋が一致。オルティス法第一条を犯した罪で、ブランザ公爵の爵位をはく奪のうえ捕縛いたします」
マルティンの号令で、騎士たちがブランザ公爵を捕縛するため動き出す。
やがて公爵は、諦めたようにガクリと床に手をついて騎士に縄をかけられた。リリティアは驚いたようにその光景を見つめ、ウルティオを振り返った。ウルティオはぱちりと片目をつぶりリリティアに説明する。
「リリィを取り戻すために、確実にブランザ公爵を捕縛できるよう組織員すべてを投入して人身売買の行われていた辺境の村の制圧を行ったんだ。証人として王宮の騎士の資格を持つマルティンも連れてね。そして公爵家にその情報が行かないように徹底的に情報も遮断した。公爵家とのつながりが分かる決定的な証拠が出てくるかは賭けだったけどね」
簡単に言っているが、情報が漏れないように少数精鋭で迅速に行う必要があった制圧は非常に困難なものだった。秘密を守るため、村には公爵の子飼いの精鋭も監視として常駐している。そしてなにより厄介なのは異常があった場合に即座に情報を伝える役割を持つ暗部の存在だ。その制圧にはウルティオ自らが出向き、命のやり取りを行った。しかし、それをリリティアに伝えるつもりはなかった。リリティアを助けるために何だって使うのは当然のことであり、彼女が無事に自分のもとに戻ってきてくれるのならばそれで全てが報われるのだから。
「公爵邸にいた子たちも保護してくださったんですね。良かった……」
全てが終わったことを徐々に実感したのか、リリティアは全身からすとんと力が抜けるのを感じた。そんなリリティアを、ウルティオが優しく支える。もう二度と奪われないよう、その腕はリリティアを離すことはない。
両脇を騎士に繋がれ膝をつくブランザ公爵の前に、ジョルジュが立ち塞がる。
「ブランザ公爵、そなたには我が母殺害の疑惑もある。そちらも必ず証明してみせる」
ジョルジュの宣言に、ブランザ公爵は憎々しげな表情を浮かべて衛兵に連れられていった。その後ろ姿を眺めながら拳を握りしめるジョルジュを、隣でマリアンヌがそっと支えた。
少し離れたところでは、髪を振り乱したカスティオン侯爵がリリティアに縋りつこうとしていた。
「リリティア!娘であれば、カスティオン侯爵家の潔白を今すぐ宣言するんだ!」
庇うようにリリティアを抱きしめたウルティオは、氷のような表情で侯爵に告げる。
「カスティオン侯爵。あなたが攫われた娘などもはや政略の道具に出来ないと早々に絶縁していることは調べがついています。彼女はカスティオン侯爵家の不正の証拠も提出してくれました。言い逃れはできませんよ」
「そ、そんな」
座り込むカスティオン侯爵の横から、ジェイコブがわめく。
「な、なんでこんな……。ブランザ公爵家はどうなるんだ?!おい、リリティア!お前は俺の婚約者だったのだぞ!俺を助けろ!」
「私はカスティオン侯爵家から除籍された時点であなたとの婚約は破棄されています。それに卒業式の際、私との婚約を破棄したいと叫んでいたのはジェイコブ様ではないですか?」
うぐっと顔を歪ますジェイコブに、リリティアはにこりと笑みを浮かべる。
「私、ジェイコブ様と婚約破棄ができてとても幸せでした」
「なっ、なっ」
羞恥と怒りから、ジェイコブは顔を真っ赤に染めて口をパクパクと開閉することしかできずに衛兵に引きずられていく。その後方では我先に気づかれないようにホールから逃げ去ろうとしているビアンカがいるが、彼女がジェイコブの恋人としてブランザ公爵家の後ろ暗い金を使いこんでいたのは誰もが知るところだ。すぐに取り調べの対象として連行されることだろう。
「全部、終わったんですね」
「ああ」
リリティアはウルティオの腕の中で、貴族派の貴族たちが捕縛されてゆくのを静かに見つめる彼を見上げた。捕縛される貴族の中には、彼の父の仇であるルーベンス公爵も含まれている。
――ずっとこの時のために戦ってきたウィルは今、何を考えているだろう。
心配げに見つめていると、視線に気づいたウィルが視線を下す。リリティアを見つめたウィルの表情に、リリティアの胸はドキリと高鳴った。
リリティアを見つめるウィルの瞳は、まるで晴れ渡る青空のように澄んでいて、とても優しく微笑んでいたから。
「これでやっと、リリィの為だけに生きられる」
心から嬉しそうに、そんな事を言うから。
リリティアは泣きそうなほどの幸せを胸に、ウィルの胸に抱きついた。宝物のように抱きしめ返してくれる温かな腕が何より嬉しい。
「リリィ様!」
「リリティア!」
ずっと心配してくれていたマチルダやカミラ、ガスパル、そしてマリアンヌ達もこちらに駆け寄ってきて、皆が笑顔で無事を喜び合った。
こうして、後に歴史書に記されるオルティス王国のあり方を変えた貴族派の断罪は幕を下ろしたのだった。
あと1話、エピローグで完結です!今日中に投稿します!




